第2話
私の贄としての、そして炉神の伴侶としての日々が始まった。一体どちらなのか釈然としないが、しきたり上の名前という事であまり気にしないことにした。
伴侶としての役割は簡単で、この霜月のあいだ
炉神は優しかった。神とはいえ、傲慢さは感じなかった。朝早い時間に寒風吹き荒ぶ丘に来るのは大変だ、と正直に話すと、会う時間を変えてくれた。おかげで早起きも、寒い想いもしなくなって済んだ。
それでも気を許すのは危険だった。何故なら私は神の贄だからだ。いつ食い殺されるか分からない。
だけど、それは無用な心配だったらしい。儀式が始まって日の浅い炉神は、現世に
私は最初の頃はほんの少しだった逢瀬の時間が、少しずつ伸び始めているのを感じていた。
私と神はとりとめもなく、色んな話をした。今日の議題はこの儀式の意義についてだった。
「
祭りについては理解していた。だが、せっかく目の前に神がいるという事で、私は以前から思っていた疑問を口にしてみた。
「それは、どちらが始めたのですか?」
「というと?」
「人間が始めたのか、神が人間に強制したのか、ってことです」
神は皮肉そうに笑った。彼は色んな顔で笑うが、私が見る機会が多いのはこの顔かもしれない。心底愉快そうな笑みだった。
「面白いな。
神は目を閉じる。言葉を選んでいるのかもしれない。
「後者、ということはありえない」
「人間が勝手に始めた、という事ですか?」
神は否定も肯定もせず、私に視線を向けた。
「その表現が適切とは思えないがね」
彼は振り返り、丘の方を見た。風に吹かれて、丘草が揺れている。彼の結っていない髪も流れる。
「人が生きていく上では色んなものが必要だ。食べていくのは勿論だが、物事の捉え方、考え方だって大切だ」
回りくどい言葉に辟易した。
「この国は災害だって、多いだろう? 人間が社会を築き、文化を生み出しても、自然には圧倒され、
婉曲な表現に苛ついたが、言わんとしていることは分かった。
「それが神ということですか」
「色んな神がいるが、この国の神の形というのは、そういうものに近いんじゃないかね。荒ぶる神を
どうやら諭しているつもりらしい。それが私の逆鱗に触れた。
「そして、みんなのために犠牲にされるものが出てくるわけですね?」
緊迫感が漂う。だが、言葉を取り消すつもりはなかった。神はしばらく沈黙した後、またあの皮肉な笑みを見せた。
「耳が痛いね」
言ってから真面目な顔になった。
「犠牲になるものがいることについて否定はしない。神の側が望んだものではない、としてもだ」
「なぜ犠牲が必要なんです?」
「まあ、聞いてくれ。犠牲になるものというのは多くの場合、貴重なものなんだ。そういうものだからこそ、神への捧げものになる。共同体が困窮していたり、危機に瀕している場合などは特に、そういった犠牲が必要になる。少なくとも、人間はそう考えるようだ」
「神の側は応えてくれるのですか?」
「応えるも何もない。儀式は儀式さ。人が考えて実行したものだ。神は関与しない」
「でも、貴方は現れているじゃないですか」
「おっと、そうだった。まあ、これは大分例外的なものだがね」
炉神と私との関係が特殊なものだとしたら、殆どの儀式には意味などないのではないか。そう思うと、やりきれない気持ちになった。
そういえば、今年は凶作だったことを思い出す。私も神の贄となる前は食べることにも窮した。だが、贄となった私には食料が確保されている。しっかり役割を果たすために。
なんとも皮肉なものだった。結果的には凶作が幸いとなって、私は食べるものに困らない。だけど、その代わりに私がこの月を生き延びられる望みはない。
議論はひと段落して、沈黙が訪れた。だけど、気まずくならないのが不思議だった。
何度も逢瀬を重ねたので、神と別れる時間も大体把握していた。今日はこんなところだろう。だけど、最後に疑問が浮かんだ。
「さっきの口ぶりですと、まるで神は人間がつくった、というように聞こえたのですが、間違いでしょうか?」
「いいや、君の指摘通りだ」
「ですが、あなたは存在しています」
「本当にそうか?」
「少なくとも私には見えるし、こうやって話をしています」
「君にはな」
炉神はまた皮肉そうに笑う。
「どうやら君は、自分がどういう人間なのか、まだ分かっていないようだな」
どういう意味だ、と尋ねようとして、彼の言葉に遮られる。
「じゃあ、明日は神についての話をしようか」
そう言い残して、炉神はふっと消えた。まるで最初からいなかったかのように。いつもこうやって突然消えてしまう。
彼の去り方はあまりにもあっさりしているから、私はいつも名残惜しさのようなものを覚える。そして自分に腹が立つ。彼は、そんな私のことも見透かしているだろうか。
翌日は炉神の宣言通り、神についての話になった。私はまず、根本的なことを聞いた。
「貴方はどういった類の神なのです? 失礼ですが、私の知っている神とは少し性質が違うように感じます」
「いい質問だな」神は面白そうに笑う。
「ご指摘の通り、私は
「この国の神様ではないと?」
「いや、この国の神だ。ただ比較的新しい神だと言えば分かり易いかな」
ちっとも分からない。釈然としない私に気付いたのか、神はやれやれという顔をする。
「この国には四季があるだろう? 四季を司る神というものもいる。その後に、十二の月にそれぞれ対応する神が現れたのさ」
「ですが、月というのは人間が作ったのでは?」
「だから言っただろう。神も人間の産物だと」
改めて聞くと衝撃的な言葉だ。神の創造物が人ではなく、人間の創造物が神であるとは。何とも冒涜的な考えだった。
「貴方はご自分の存在を否定なさるのですか?」
「否定などしない。私は存在しているから、君の言葉を聞けるし、言葉を交わせる」
「それは貴方のお話と矛盾していませんか?」
「していないよ。人が創造した、
「ですが、神は人によってつくられた、と」
「そう、人によって作られた神。それは人間がこの世界を把握するための概念だった。それは一人歩きを始めて、人の前に顕現するまでになった」
「……」
「勿論ただで存在していられるワケではないよ。私たち十二の月に対応する神は自然に偏在する
何だかよく分からないが、神にとっては私に認められるのが大事らしい。そして、それは私たちがこうやって逢瀬を重ねる理由でもあるようだ。
「やはり私が知っている神とは違う気がします」
「ではこれまでに神を見たことは? 感じたことは?」
鋭い問いが来て、私は答えに窮した。そんな私を見て、彼はまた皮肉そうに笑った。
「神とは本来観念的なものだ。実在している、というより人の心の中にいる、と言う方が正しい」
先程から矛盾しまくった事を目の前の神が述べるものだから、頭痛がしてきた。
「ですが、貴方は実在しているのでしょう?」
彼は不思議そうな顔で私を見返した。
「確かめたのか?」
「え?」
「本当に私がここにいるのかどうか、確かめのか?」
彼はにやりと笑って、両拳を腰に当て、胸を張った。触ってみろ、と言っているらしい。躊躇する私だが、彼は胸を叩いて笑みを見せた。私はおずおずと神に向かって手を伸ばした。触れる、と思った掌は空を切った。
衝撃を受けて、同じ動作を何度も繰り返したが、結果は変わらなかった。
「どういう事ですか?」
「神には触れられない、という事かな」
炉神はすっとぼけたように言う。
「説明が難しいが、まだこの身には色々と制約があってね。私は人間のような肉体は持てていない」
「それでは、私を贄に出来ないのでは?」
「その制約を解放するのが、この儀式であるらしい」
「らしいって、まるで経験がないみたいに言うのですね」
「ああ、この儀式に参加するのは初めてだ」
「ええぇっ?!」
私は素っ頓狂な声をあげてしまう。
「どういう事ですか?」
「私は新任なんだ」
「新任って、世襲って事ですか?」
「少し違う。名を襲名するだけだ。私は最近、炉神になった。前任者が役割を終えたのでね」
「じゃあ、この儀式についてはよく知らないという事ですか?」
「そうだな。概要は知っているが、儀式が参加する神と贄にどういった作用をもたらすのかは知らん」
私は徒労感を覚えた。いままでの問答は一体何だったんだろう。
「儀式については君の方が詳しいかもな」
「いいえ。私も儀式についてはよく知りません。周期があるらしいのです。私の前の贄はずっと前に捧げられたと聞いています」
「どうなったのかは知らないんだな?」
「ええ、私が生まれる前の事ですから」
村長にもその者がどうなったのか聞いてみたが、要領のいい返事はもらえなかった。悲惨な結末を迎えたなら、なおのこと話さないだろう。
「そうか」
神は朗らかに笑った。
「私たちは新参者同士だな。丁度いい。仲良くしよう」
「はあ……」
神はともかく、贄は常に新鮮なものになるのではないか、と思ったが、言い返す気力は私に残っていなかった。今日はなんだか疲れてしまった。
身分不相応な家に帰っても、やる事はない。食事をして、寝るだけだ。あとは気晴らしに体を動かすことだけ。
「……」
一日が過ぎるたびに私の人生は、着実に終わりに近付いていく。一人でいると、どうしてもそんな考えに囚われる。
そんな時、切り替えるには炉神のことを考えるのが丁度良かった。気付けば彼のことばかりを考えている。なんだか妙に優しくて、議論の好きな神様。あんな感じで、神としての役割を果たせるのだろうか。
しばらくして自己嫌悪に陥る。私は矛盾している。私を死に追いやる存在こそが炉神なのだった。
でも、どうしてだろう。彼のことを考えると、心が安らぐ気がするのは。
私はまだ、炉神が私を食い殺す存在だと、受け入れていないのかもしれない。或いは、そんな風に考えたくないだけなのかもしれない。
今日の議題はお互いの住まう世界についてだった。昨日の流れで自然とそうなった。
「どんなところなんです? 神のいる世界って」
「色んな世界があるさ。色んな神がいるように」
神は苦笑いした。説明が難しいのだろうなと思った。この人がこういう顔をする時はいつもそうだ。
「君はどんな印象を持っている? 神の世界について」
彼が説明に難儀するのは、私の持っているイメージとどう擦り合わせをしたらいいのか分からないからだ。だから、こういう時、彼はまず私に質問する。
「何でしょう……雲の上に住んでいて、美味しい食べ物を食べて、豪華なお家に暮らしている……そんな感じですかね」
神の方を見ると、変な顔をしていた。平静を装っているが、口の端が時折小刻みに震えていた。笑いを堪えているらしい。
「全然違いますか?」
「いや、でも民の印象はそんなものだろうな。どちらかと言えば、それは貴族のイメージに近いと思うが」
言われてみればそうかもしれない。
「私は食べ物を必要とはしないし、家も持っていない」
「そうなのですか?」
にわかには信じ難い話だ。
「それに雲の上にも住んでいないよ。それは
神は奇妙な表情を見せた。自慢、というより自嘲しているかのような笑みだった。
「私は君と違う世界に生きているワケでもない。生きている世界は同じだ。ただ、見えるもの、感じるものが違うというだけだ」
「そうなのですか。意外でした」
「私にとってはの話だよ。私と、十二の月に対応する、神たちの話だ。他の神は違うかもしれない」
「そういえば、この間のお連れの二人は?」
「彼女たちも神だよ。私より若くて、位が少し下がるがね。今は私の補佐をやってもらっている。儀式の際にも重要な役割を担ってもらう」
そうだったのか。ということはまたあのニ人に会うというわけだ。正直、それを考えるとげんなりした。
「つまり炉神さまたちは、普段から私たちの暮らす世界に居られると?」
神は微笑んだ。
「その通り。普段から君たちの事を見守っている」
「見守るだけじゃなく、何かして欲しいです」
「そう言われてもな。中々難しいものがある」
私たちは自然と笑い合った。
何だろう。彼になら、心を許せるかもしれない。それは適切な態度じゃないと思ったが、それでも私はそんな風に考えてしまった。
だからだろうか。その後に続いた彼の言葉に、裏切られたような気持ちになったのは。
「思えば長かった。人々の生活を遠くから眺めるだけで、関わる事が出来ないというのをずっと続けていたからな。かれこれ五百年、本当に長かったな」
「え?」
私は鈍器で殴られたような衝撃を受けていた。五百年? 五百年も生きた者が二十年も生きていない人間を贄とし、さらに長い年月を生きる? それはどうしようもない矛盾を孕むように思えた。
「ミチから見た世界とはどんなものだ?」
突然質問をされて、私は狼狽えた。
「私の……ですか?」
「君から見た世界、それはどんなものなんだ?」
それは何とも残酷な問いだった。
「……見ての通り、私は見すぼらしい村娘でしかありません。毎日畑仕事をして、雑用をして、それでも食べるものに困ったり……惨めな生活を送ってきました……」
他人には聞かせられないような身の上話。だけど、気付くと言葉が溢れるように私の口から漏れ出した。
「私は人間です。生きることの素晴らしさよりも、辛さをたくさん味わってきました。それはこれからも変わりません。でも、それでいいんです。それが、私の人生だったんです」
「……ミチ?」
私の吐露に神は気圧されたような声を出した。だが、私は止まらなかった。
「そんな人生も今月で終わりです。村のための犠牲として、神に食べられてしまって。二十年も生きていないのに、五百年も生きてる神様に食べられてしまうなんて……」
気付くと涙がボロボロと溢れていた。
「私、神様に食べられてしまうような事をしましたか? 間違った事をこれまでしなかった、なんて言いませんよ。でも、命を失うような目に合うほど、悪い事なんてやった覚えはないんです!」
神は完全に動揺していた。私をとりなそうと言葉を探しているのか、口をパクパク動かしたが、何も紡げずにいるようだった。
「貴方は酷い。むごくて残酷な神様。贄にされようとしてる私と貴方が伴侶? 冗談じゃありません! 仲良くしよう? 出来るわけないでしょ! 貴方なんか大っ嫌い!」
私は駆け出した。神が現れていられる時間はもう少しだった。分かっていながら、距離を取った。
十分離れたと思ったところで、膝をついて息を整えた。だけど「すまなかった」という聞き覚えのある声を聞いて、私は飛び上がりそうになった。辺りを振り返っても姿はない。遠くにシルエットが見えるぐらいだ。声だけを飛ばせるのだろうか。
「君の心情も考えず、無神経だった。話が出来る相手がいると思うと嬉しくて、つい喋り過ぎてしまう。だが、そんなこと君には関係ないものな」
西日を背に受ける炉神の姿は神々しかったが、今はやけに弱々しく見えた。
「ミチ、本当にすまなかった。でもこれだけは信じてくれ。私にとって、君は特別な存在なんだ。殆ど唯一の……」
言葉はそこで途切れ、遠くにあった神の姿も消えた。見えるのは夕日だけ。今日も、一日が終わる。
次の日、結局私は同じ場所にいた。約束の時間をぶっちぎって、とうに昼過ぎだったが。
それは迷いに迷っての判断だった。行かないという選択だってあり得た。周りの目もあるから、とりあえず外に出て、この場所に行くフリをして、余所へ向かう。そうする事も出来たはずだ。
でもそうしなかった。何故なのか自分でも分からない。ただ、ここに来ればその理由が分かるような気がしていた。
「良かった。来てくれたか」
神は私の背後から現れた。正面から来るのはバツが悪いらしい。私は振り向いて、彼と相対する。気まずくて、長く顔を合わせられなかった。それは彼も同じようだ。
「……嫌ですけど、役割は果たさなきゃいけないと思ったので」
「すまない。でも、君が来てくれて、嬉しい」
彼は本当に嬉しそうな声で言った。私は背を向けたままでいた。きっと笑顔でいる彼に引きずられるのは嫌だったから。同時に納得もしていた。私は彼の顔を見たかったのだ。
「今日はどんな話をしようか?」
「無理に話なんてしなくても良いです」
「そうか。でも、私には話をする以外に出来る事がなくてね」
「私は貴方の伴侶なんでしょ? 夫婦なら、言葉が要らない時だってあるんです」
「そうか……そういうものかな」
その日、私たちは静かに過ごした。
結局、私はこの神に心を許してしまっている。この人は私の全てを奪うというのに。
何たる皮肉。何たる矛盾。胸の何処かが満たされるのと同時に、叫び出したい衝動にも駆られる。彼の側にいると私は狂ってしまう。でも、それでもいいか、なんて思っていたりもする。
逢瀬の時間が終わりに近付く頃、疑問が湧いて、彼に質問したくなった。いや、違う。正確には彼の言葉が欲しくなった。
「昨日おっしゃってましたよね? 私は特別だって」
「えっ? ああ、そうだ。そう言ったが……」
私の指摘が恥ずかしいのか、神はしどろもどろになっていた。神でも照れるらしい。そこを狙い定めるかのように私は言葉を続けた。
「あれはどういう意味なんですか?」
「いや、なんだ、その……言葉通りの意味だ」
「へえ」
「詳しく聞かせて欲しいです」
「いいのか? というか」
神の体が消えかけていた。儀式が始まって半月近くも経ち、彼が消える時間も緩やかになった。私はそのことに安堵を覚えていた。
「また今度でも良いです」
「わかった……明日、説明しよう」
「わかりました。ちゃんと、聞かせて下さいね」私が笑いながら言うと、彼は少し焦った様子だった。
「そ、それではな」
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