Perfect days

百済

第1話


 霜月(十一月)のはじめ。

 寒さが本格的になる年明けほどじゃないが、空が薄明るいこの時間帯はじゅうぶん寒い。息を吸って吐くだけで、肺が凍えるようだった。おまけに強い風が吹いている。

 私は自分の体を抱くようにして寒さに耐えた。そして、あちこちを歩き回る。動いていれば、ほんの少しでも体が暖まると期待してのことだ。

 私がいるのは村外れにある小高い丘だった。丘は草で覆われているが、周りには一本の木も生えていないので、風よけに出来るものがなかった。

 代わりに丘の頂上にはひとつの岩が鎮座していた。ご丁寧にも注連縄しめなわが巻かれているが、その半端な大きさから威厳を感じるのは難しい。

 磐座いわくらというらしい。神のおわすところだそうだ。

 特別信心深いわけでもない私でも、その岩が神と結び付く事は知っていた。

 小さい頃はこの丘で他の子供たちと遊んだ記憶があるが、磐座いわくらに近付く事は稀だった。というのも、ある時岩の上に大胆不敵にも乗った男の子が村長からこっぴどく叱られた場面を見たからだ。

 磐座いわくらには神がいる、と聞いて村人は育つ。この足に対して特別何かをする必要はないが、雑に扱ってはならないと教えられる。

 神に対し、私にはその程度の浅い知識しかない。そのはずなのに、この度"ある役目"を仰せつかってしまった。つい最近のことだ。

 

──しゃん、しゃん。


 寒さに窮した私が、しゃがみこんで罰当たりにも磐座いわくらを風よけにしようとしていると、それは聞こえた。不思議な音。鈴の音だ。

 立ち上がって、音のした方に首を巡らすと、三つの人影が見えた。麓の方からこちらへと近付いてくる。

 長身の男が、女二人を両脇に従えている。

 しゃん、しゃん、と鈴は相変わらず鳴っていたが、不思議と耳障りには感じず、それどころ安らぎを覚えるような気持ちになった。

 その三人には見る者を魅了するような、形容しがたい麗しさがあった。その印象は近付くにつれて強くなった。

 男女の違いはあれど、三人とも高貴な者が着けるのであろう、ゆったりした衣服に身を包んでいた。

 男は淡黄色の筒袖に、同じ色の袴を着て、腰には帯が巻かれていた。奇妙なことに袴は膝下の辺りが紐で括られていた。時折光が煌めくので、何かと思ったらどうやらその紐には鈴が括り付けられているらしい。

 首にはたまが連なる飾りが巻かれていた。その出立ちでおかしいのは、佩刀はいとうしていないこと、そして髪を結わずに流していることだった。

 女たちも概ね男と同じ格好だった。自然のままに後ろに垂らす垂髪すいはつは私と同じだが、髪の艶やかさは私とは比べ物にならない。また、二人は肩には紅色の細い布を巻いていた。領布ひれだろう。

 それは辺鄙な村に住む私でも分かるぐらい古風な格好だった。だけど、それが自然に思えるほど風景に溶け込んでいる。

 見惚れているうちに、三人は私と言葉を交わせるぐらい、近くに来ていた。

「お待たせした」

 私とは少しの距離を置いて、男が口を開いた。神々しいとは言え、礼儀は欠かさないらしい。彼はまさしく神らしいのだが。

「我は炉神。火と技を司る神なり」

男はよく通る声で名乗ってから、ひと呼吸置いた。

「そなたが贄ということでよろしいか?」

 私は曖昧に頷いた。ここへ来るように言われていたが、何をすればいいのかは詳しく聞いていない。

「ミチと申します……」

 とりあえずそう名乗ったものの、微妙な距離感と、男の威容に気圧されて、私の声はか細いものになった。羞恥がこみ上げ、俯いてしまう。

 そうしていると、無遠慮な視線を感じた。男ではなく、両脇の女たちだ。髪型が似ているせいで、彼女たちが瓜二つに見えていた。が、近くで見ると顔までそっくりなので、双子なのかもしれない。その二人が嘲るような表情で私を見ていた。私の格好がよほど見すぼらしいようだ。小綺麗にしてきたつもりだが、所詮ただの村娘なので、仕方ない。

 男の方は女たちの様子に気付いていないらしい。ただ私の方を見ている。それは奇妙な視線だった。高貴なものが私を見る時、大方が女たちのような反応をするだろう。

 ふと、神と視線が合った。神はしみじみと頷く。その真っ直ぐな瞳に吸い込まれそうになるが、意志の力で顔を背けた。

 危ない。見惚れている場合じゃなかった。高貴な者とはいえ、相手は敵だ。心を許してはいけない。

 まあいい。これから私がやろうとする事はこの三人にとって意趣返しになるだろう。この恥辱も、この後味わう愉悦のスパイスになると考えれば悪くなかった。

「そちらへ行っても宜しいか?」

 炉神が言った。神のくせに律儀な男だ。村娘にいちいちお伺いを立てなくもいいだろうに。

 だけど、彼は手順に忠実であろうとしているだけなのかもしれない。神はけがれを嫌うと言われている。危険やけがれがない事を確認してから、移動する必要があるのだろう。

 三人が近付いてきた。これから起こる事を考えると、堪えようとしてもにやけてしまう。できるだけ俯き、顔を隠す。そうしていれば、神の威容に怯えているように見えるかもしれない。

 彼らとの距離があと十歩ほどになった時、私は仕掛けた。

「ひとつ、伝え忘れた事があります」

 三人が動きを止める。

「何だ? 申してみよ」

 炉神が言った。何も疑っていないような顔をしている。それが、これからどんなに歪むだろうか。

 私はそこで顔を上げた。ついでに着物も脱ぐ。乳房と股をあらわにした、産まれたままの格好になる。

「私の体、こんな具合なのですけど。贄として役目を果たせますでしょうか?」

 笑みを浮かべたまま言った。

 一瞬の沈黙の後、金切り声が響いた。声の主は両脇の双子だった。目を見開き、奇声を発しながら、私に指を突き付けている。動作が寸分違わず同じなので、奇妙な舞踊でも見ているようだった。

 双子の狼狽は私が裸になったことが直接の原因ではなかった。私の股から流れ落ちているものが理由だ。それは経血だった。神聖な場では忌みとして扱われるもの。それをわざわざ脱いで晒しているのだ。

 双子はしばらく叫んでいたが、同伴者の存在に気付いたのか、神の前に進み出て、両手でその体を覆おうとする。神から私の姿を隠すためだろう。領布ひれを自分達から取り、炉神に巻き付けるという動きまでしていた。魔除けの効果でもあるのだろう。

 双子の反応を楽しみながら、私はポーズをとっていた。卑しい身ながら、プロポーションには自身があった。乳房を揺らしながら、自分が扇状的に見える角度を追求してみる。一方で、神の方を見てみると、あまり動揺していないようなのが奇妙だった。盾になっている双子が邪魔でよく見えないのだが、特に反応はしていないようだ。

 そう思っていると、目が合った。知性をたたえた、深淵のような瞳。それが細くなる。笑ったのだ。

 何がおかしいのか。狼藉を働いたものに対して、怒りを示すわけでもなく、取り乱す訳でもなく、笑うとは。

「なりませぬ! なりませぬぞ!」

 双子は神を連れて後退していく。そして三人とも突然消えた。自分たちの世界に戻ったのかもしれない。人間と変わらないように見えたが、やはり違うのか。

 とにかく儀式はこれでご破産だろう。目的は達成したことになる。だが──

 あの神の笑い、そして目。

 自分の目論見がすべて見透かされているように感じ、私は喜べなかった。それどころか敗北感を覚えた。相手は、想像以上に手強いようだ。


 当然だけど、村に帰ると叱責を受けた。私は謝ったが、「では、代わりに誰かを贄にしますか?」と言うと、村長は黙った。代わりを見繕うにも、村には私以外に余りものはいない。私への処分はとりあえず保留ということになった。

 帰る途中に村を歩くと、侮蔑の視線があちこちから刺さった。だけど、気にする必要はない。贄になる前だって私の扱いは大して変わらなかったのだから。


 家に帰ると複雑な気持ちになった。その家は私には身分不相応なものだった。

 大きな屋根がつき、その両端には交差して天に向かってそそり立つ軸木がある。千木せんぎというらしい。

 神の贄になった者が住まうことになる神の家だった。正確には夫婦の家なのだそうだが、磐座いわくらは村外にあって、神の家は村内にあるのがよく分からない。普段は村の外にいるが、贄を食らう儀式の時は村の中に招く、ということらしい。

 立派な建物だが、私にとって居心地のいい住まいではなかった。

 とにかくもう儀式はご破産なのだから、私がこんな大きな家に住む必要もない。元の小さな住まいに戻るだけだ。

 ただ、贄になって畑仕事や村の雑務から解放されたのは一時の事とは言え、良かったな。

 そんな風にごろ寝をしながらしばらくぼんやりしていると、村長がやってきた。悪い予感がした。なんと贄の役割を継続してほしいとの事だった。あんな狼藉を働いたのに何故かと問うと、神が私を気に入ったらしい。

 腑に落ちなかったが、あんな事をした手前、断りづらい。というか、あんな事をした私を受け入れる神がいるとは。私がしぶしぶ頷くと長は去った。

 途端に重苦しさが腹の中に入ってくるような気がした。それは今日でお別れしたはずのものだったのに。

 贄、という言葉が頭に思い浮かんで、私の心は凍てつく。これは私の宿命なんだろうか。

 私は頭を振って考えを断ち切った。そしてこの大きな家に来て以来、日課にしていた運動を始めた。何もしなくて良くなると、体が鈍ると思って始めた事だったが、今は明確な目的があった。

 神への生け贄になんか、なってたまるか!


 翌日、同じ場所に行くと同じ時間に炉神は現れた。

 神と目が合うと、私は羞恥が込み上げて、顔を背けてしまう。昨日はもう会わないつもりでいたから、あんな事をやったのだ。炉神の方もどこか気まずそうにしていて、彼はやや俯きがちだった。

 会話の糸口を探そうとしていると、炉神の脇に、今日は昨日の双子がいないことに気付いた。

「お連れの方は?」

「方向性の違いでね」

 釈然としない物言いに引っかかった。

「昨日の君のやらかしのおかげで、彼女たちは大騒ぎだ。儀式は延期だとか、中止だとか、色んな案が出た。それでも私が続行を願い出たら、決裂してしまったというワケだ」

 炉神は笑いながら話した。理由が分かっても、違和感は拭えない。

「何故私に固執するのです? 私はただの村娘です」

「ただの村娘なら、あんな暴挙には出ない」

 こちらを見透すかしたような言葉に腹が立ち、私は思わず彼を睨んだ。炉神は苦笑した。

「失礼。私は人と接する機会がなくてね。怒らせたのなら謝る。だが、昨日の君を見て、興味深いと思ったのは本当だ」

 どうやら私の企みは逆効果だったらしい。

「確認したいのですが、儀式は継続中ということでよろしいのですか?」

「そうだ」

「あなたの組織の後ろ盾がなくても?」

「組織なんて大層なものはない。この儀式について、決定権があるのは私だけだ」

 独裁者ということか。具体的にはこれから何をすればいいのかを聞くと驚かれた。

「聞いていないのか?」

「詳しくは。ただ神と会って、伴侶になるとか」

「理解しているじゃないか」

「でも、私は贄でもあるのでしょう? 結局どちらなのか分かりません」

「難しく考える必要はない。ただ、この場所で私と会い、話をしてくれればいい」

「話をするだけなのに伴侶なのですか?」

「世の中、色んな関係があるものさ。まあ、これは大分特殊なものだとは思うがね」

 とにかく私は役割を果たすことになってしまった。楽観すればいいのか、悲観した方がいいのか分からない。彼は変わっているが、誠実そうにも見える。少なくともこれまでの印象では。

 ふと、疑問が浮かんだので、神にぶつけてみた。

「昨日あんな事をしていなければ、私を選ばなかったのですか?」

 神はしばらく考え込んでから、笑った。

「それはどうだろう。しきたりだからな。そういう事にはならんだろう」

 どっちだよ!

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