第2話 動き出す巨大な組織 二

 恵庭は声の聞こえる方に歩いて行く。声の聞こえる部屋の前まで来た。部屋の中には入れない。部屋の前に可動式のパーテーションのようなものが置いてあり身を隠すには都合がよかった。

 後で聞いた話だが、この恵庭の不思議な状態は壁や扉は基本的にすり抜けるように通れるらしい。そして、今の彼女の状態は普通の人間には見ることができないらしい。一部の『見える者』には見える……つまり、幽霊のような状態である。

 そして、一応、壁や扉は、普通の建物の壁や扉の役割を果たしてくれ、彼女の姿を隠してくれるのだという。つまり、部屋の中に何ものがいるかわからないが、今、部屋の外にいる恵庭の姿は、その者たちから見えていない。

 ここで壁をすり抜けて中に入っても、中にいる人が普通の人ばかりなら、誰も彼女の姿を見ることができない。しかし、もし、『見える人』がいたら見つかる……そういう状態だ。

 都合よくパーテーションがあり、身を隠しているから、今、ホワイエに誰か来たとしても、すぐには見つからないはずだ。


「入らなくていい。声は聞こえているから」

香保子が恵庭に耳打ちする。

うなずく恵庭。

部屋の中からの声は聞き取れた。


「人はたくさん集まっていますか」

「ええ、第十三支部は特に優秀なようです。関東支部も順調なようです」

「それは素晴らしい。冷泉れいぜい様も第十三支部と第三支部の成果には満足されているようですよ」

「……」

「……が……のようですよ」

「それは北陸支部の……ではありませんか?」

「……京都遷都せんとを……なので……」

「……京都を『』に……」

「……お願いしますよ」

「ところで……」

そこから後はよく聞き取れなかった。


 別の部屋から数人の男女が出てきた。年齢は様々だ、二十代くらいの者もいれば七十代くらいだろうか高齢のご婦人もいる。みな一応に穏やかな表情で談笑している。


 恵庭は少し居心地が悪いと感じ始めていた。いくら見えてないとはいえ、あまり大勢の人がいるところに長居はしたくなかった。

「恵庭、もういいわ。だいたい場所もわかったから、気を付けて帰ってきて」

恵庭がうなずく。


 先程、部屋から出てきた人たちはバラバラと建物から出て、それぞれ帰って行ったようだ。恵庭は部屋の前のパーテーションから離れる。もう一度、建物の外に出て、その場所を確認しておこうと思った。

 建物を出て周りの景色を見回す。これで香保子や葉山、哲也、優一にも、ここの景色は見えた。


 恵庭の動きが止まった。背後に何かを感じる……振り向けない。もし『見える人』だったら、振り向けば顔を見られる。

 背後から女性の声がした。高齢の女性の様だった。

『さっきの女性?』


「この時間はタクシーがなかなか通らないのよ」

柔らかい京都弁。かすかなお香のような香りが漂っている。


あの高齢の女性だ……間違いない。

ひとごと?』

振り返れない。


「あなた……『会』の方じゃないわね」


恵庭は緊張した。

『誰かわからないが、私が見えている』


恵庭は咄嗟とっさに、その場を離れた。それは見える人からすると、目の前から霊が消えるような感じだという。


 最初と同じ光のトンネルのような中をすごいスピードで帰ってくる。追われているのがわかった。恵庭はその者をこうとしているのか、蛇行するように帰ってきているらしい、ときどき、どこかの見たこともない風景がちらちら見えた。


「恵庭!構わずまっすぐ帰ってきなさい。この場所までは特定できないから!」

香保子が大声で言う。


恵庭は振り返らず、そのままこちらに向かってくる。


次の瞬間、みんなの目に優一の部屋が見えた。


まるで、目の前を高速の何かが通り過ぎたかのように部屋の中に突風が舞った。


同時に香保子が呪文を唱え手刀で空を切り、全員に向かって、


「みんな、手を放して!」

と叫んだ。


全員が手を離すと同時に、


バーーン!


という、何かが、どこかにぶつかったような激しい音がアパート中に響いた。


そして、静かになった。

部屋中には、今までなかったお香の香りが漂っていた。


そこにいた者はしばらく茫然ぼうぜんとしていた。


哲也が恵庭を抱き上げる。恵庭はゆっくり目を開いた。

「大丈夫かい?」

恵庭がうなずく。小さく震えている恵庭を四人が抱きしめた。

「怖かったね」

香保子が恵庭を強く抱きしめた。恵庭の目に涙が光った。

 優一は初めて見た。この世界のとてつもない『力』を持つ人たちの目に涙……

恵庭を初めて見た時、とんでもない『力』を持っている化け物だと思った。その恵庭でも怖かったのだ……あの高齢の女性が本当に怖かったのだ……そう思った。


 アパートの住人が何人か外でざわめいていた。

香保子が出て行く。

「ごめんなさい、おどろかせて」

「大丈夫ですか?」

「なにがあったんです?」

近所の奥様らしい女性たちの心配そうな顔が、部屋の中の優一たちからも見えた。

香保子は困ったような顔をして、

「ごめんなさい。圧力なべが……もう大丈夫です」

「……」

怪訝けげんそうな顔をして、

「よくわからないけど、気を付けてくださいね」

と言いながら、部屋の中を覗き込む。

「本当に、ごめんなさい。おどろかせて」

謝る香保子に、集まってきた人も『まあ、大事ではないようだ』と思ったのか、その場から帰ってくれた。


「ふう」

とため息をついて、香保子が戻ってきた。


 しばらく恵庭は薄手の毛布にくるまって、優一と葉山の間に挟まれるようにしていた。少し落ち着いてきたようだ。

「ごめんね心配かけて、もう大丈夫みたい」

恵庭に笑顔が戻った。

「なんで、あなたが謝るのよ。でも、笑顔が戻ってよかった……」

葉山も微笑む。


「何なんだろうね。あの集団」

そこに行った恵庭もよくわからなかったようだ。

「……京都に遷都せんととか……『』にするとか言ってた」

「聞こえた」

葉山が言う。

優一が、

「もし、本当に京都府を『都』にしたら、京都都きょうととになって言いにくいね」

と言うと、

葉山が、

「そんなつまづきそうな名前、あるわけないでしょう」

と微笑みながら言う。


そして葉山の表情から微笑みが消え、

つぶやくように……


「そんなつまづきそうな名前じゃなくて……


京都府は『府』を取ったら『京都』よ」

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