第41話 宣戦布告

 火曜日。まだ火曜日か。日曜からの密度が濃くてもう木曜日くらいの気分だったわ。


 というのはさておき、ここは屋上。待ち人未だ来たらず。今日は俺の方が早く来たな。カギを持っているから当然なんだけど。


 屋上の中心。俺はそこで腕を組みながら喧嘩を売った相手が来るのを待っていた。


 今日は朝早くに来て、あいつの下駄箱に果たし状を入れてきたからな。おかげで午前中は半分くらい爆睡してた。


 喧嘩を売るにはもってこいの快晴。雲も俺の気合の前に恐れおののいてどこかに引っ込んだようだ。殊勝な心掛けじゃないか。


 どれくらいの時間が経っただろうか。果たされる者の来訪を告げる音が響く。


 金属がきしむ音。屋上の扉を開けて現れた銀髪の女神は、今日も大層麗しかった。色褪せない美しさ。やはり女神か。


「これ、どういうことかな?」


 屋上の中心。俺のところまでやってきた氷瀬は、片手でヒラヒラと小さい紙を俺に見せつける。


 果たし状。昨日、あいつらと話した後にホームセンターで買ってきたやつ。どうやって宣戦布告しようか考えていた時、ふと目に入って一目惚れした。


 なんとなく、氷瀬の雰囲気がいつもより暗い。今日の氷瀬はクール系って感じ。それもまた可愛いぜ。


「果たし状だけど?」


 氷瀬にギャップ萌えしてニヤけそうな俺の表情筋に重りを乗せて、さも平然としているかのように返事をした。


 クールな氷瀬もいいなぁ。ずっと見てられるわ。


「それは見ればわかる。放課後屋上に来いしか書いてないし、何がしたいのかな?」


「それは最後に取っておくとして、今日はなんか雰囲気が違うな。それが本当のお前なのか?」


 人は誰しも2面性を持つもの。この俺にだってもちろんあるはず。あるよね? 氷瀬への愛で埋め尽くされた1面しか見つからなかった。


 それはされおき、普段明るい子が急にクールになるのは……最高です。ありがとうございます。


「そうだって言ったらどうする?」


「べつに。クールな氷瀬も最高だなって思うだけ」


「……やっぱり野中君は変わってるね。どことなく朱莉に似た何かを感じるよ」


 天真爛漫な氷瀬もいいけど、クールな氷瀬もそれはそれで堪らない。どんな氷瀬でも最高ってことよ。


 でもな氷瀬、十波と似ているってのはいただけない。


 あいつと俺、全然似てないだろ。愛の方向性が真逆だから。純粋と狂気で正反対の方に進んでるから。もちろん純粋なのは俺。


「学校での私は、みんなに愛される私。みんなああいう感じの女の子が好きなんでしょ?」


 私はわかってるんだよ? と言いたげに氷瀬は作り物のような笑みを浮かべた。


 その通り過ぎて否定などできない。学校での氷瀬はみんなに愛されている。だから数多の男が突撃しては散っていくのだから。ちなみに俺もついこの前そこの仲間入りを果たした。


「野中君はどっちの私がいい? あっちの私が良ければそれで対応するけど?」


「ぐ……それは非常に迷う質問だ……」


 今のクールな氷瀬。太陽のように笑顔を振りまく氷瀬。どちらも魅力的過ぎて判断に迷う。俺を迷わせるなんて氷瀬はやっぱりすごい奴だ。


 もういっそ両取りできないですか? ハイブリッド氷瀬とかできたりしない? ハイブリッドって車みたいにニーズあるでしょ? 


「どっちでもいいよ? 野中君の好きな方に合わせるよ?」


「じゃあ今の氷瀬のままで。それが本当のお前なんだろ。今日はその方が都合がいい」


「それは果たし状と関係ある?」


「大ありだ」


「そう。もしかしてまた付き合ってとか言われるのかな? でも私、もう野中君にはあまり興味ないかな」


 氷瀬は申し訳なさそうにするわけでもなく、ただ普通の表情のままだった。


 相手を拒絶することへの罪悪感をまるで感じないその姿。それは、相手にどう思われようが気にしないからこそできる姿だ。よくわかる。俺も興味がない相手にはそうするからな。


 だからこそ、氷瀬がもう俺に微塵も興味を持ってないことはよくわかった。


「それはそれは、悲しいこと言ってくれるじゃん」


「あんまり悲しそうに聞こえないけど?」


「あんまり悲しくないからな」


「なにそれ……」


 いいじゃねぇかマイナスのリスタート。


 マイナスが大きい方が、プラスへの振れ幅が大きくなるんだからな。今日と言う日におあつらえ向きの条件だ。


「野中君は今まで告白してきた人と違うなぁって思ったから、色々試してみたんだよ? わかるでしょ?」


「まあな。あれだけぐいぐい来られたのも、試してたってことだろ?」


「そう。もしかしたらドキドキできるかなぁって。興味を持つってことは好きってことなのかなぁって思った」


 恋人がやりそうなことのあれやこれや。


 氷瀬は自身の心に足りない感情を知るために、あえてド派手なコミュニケーションを取っていたのだ。


 そのターゲットにたまたま俺が選ばれた。だから俺で色々実験して、そして結論が出た。俺では何も感じないと。


「でも違ったね。やっぱり私は壊れてるんだって、再認識しただけだった。何も感じなかったんだから。だからもう君への興味はなくなったの。結果が出ちゃったからね」


 まったく……残念な結果だぜ。


 普通の男ならこんなにひどい遊びされたら心折れちゃうよ? 泣いて不登校になっちゃうよ。普通の男なら。


「お前は壊れてるのか?」


「そうでしょ? みんながよく私に言ってくるって感情がなにもわからないんだよ? 愛とか恋とか、全然わからない。それが壊れてなくてなんなんだろうね。私はただ勉強してみんなに愛されるだろう私を演じているだけなんだから」


 氷瀬は自分をあざけるように笑った。その心には諦めが滲んでいるように見えた。


「私はどこか感情が欠落してるんだよ」


 ここまでやっても何もわからなかったんだ。だからもう自分には知ることができないだろうって。


 女神も所詮は人の子か。人間らしい悩みを持つじゃないか。


 どちらかと言えば中学2年生が言いそうな悩みだ。私って、実は感情ないんだよね。みたいに唐突に始まる自分語り。そのレベルの悩み。


 氷瀬も完璧超人ではなかったということか。たとえ女神だとしても、自分で自分を諦めてるようじゃ、そりゃ答えは見つかるわけないだろう。


「お前がそう思っているうちは、絶対に何も感じることはないだろうな」


 俺の言葉に、氷瀬の眉がぴくっと動いた。


「ふーん……野中君って結構ズバッと言ってくるんだね」


「俺は自分に正直な人間なんでな。それに、先人に言われたんだよ。心と心でぶつかれってな」


 俺は、本当の氷瀬を知らなかった。好きの気持ちが先行して、どこか氷瀬の気持ちをわかった気になっていた。


 浮かれていたんだ俺は。もしかしたらいけるかもしれないって、表面の部分だけを受け取って、そんで失敗した。


 そんな俺に、氷瀬は本当の自分を教えてくれた。あまり人に言っていないであろう、自分の心の内側を。


 なれば、俺もそれに対して応えなければいけない。


 大好きで包み込んだ上っ面な言葉の矢では、氷瀬の心に届かない。その氷を貫く力で放てない。


 だから今は、好きだからこそ、俺は俺の本気を彼女にぶつける必要がある。


 果たし状ってのはそういうことなんだよ。さあ、初めての喧嘩をしようぜ氷瀬。


「お前……俺に期待はしてたんだろ? もしかしたらって、お前も言ってたもんな」


 いつぞや氷瀬がボソッと言った言葉。野中君なら、もしかしたら。


 あれは氷瀬の中でも俺なら自身の足りない感情を教えてくれるかもしれないと思ったから出た言葉だ。俺はそう断定する。


 あれも、これも、この前までの氷瀬は俺に期待をしていてくれた。今は違うらしいけど。であれば、それに応えるのは真に氷瀬を愛する者の務め。


「そうだよ。でもダメだったからこうして諦めたんだよ。君なら私を変えてくれるかもって、期待はしていたんだよ。それは本当」


「浅い。浅いな氷瀬。お前の覚悟はその程度か?」


「……どういうことかな?」


 静かな言葉には、少し怒りが滲んでいた。


「そのまんまの意味さ。お前は、一度ダメだったら諦めるのか?」


「一度? そんなわけないでしょ? もう何人かで試してるよ」


 ま、そりゃそうか。ちょっと自惚れてた。


 しかし、過去に同じ目に遭った奴らがいたのか。氷瀬は酷いことしてんなぁ。やあ同士諸君、元気にしてるか? 俺はすこぶる元気だ。


「そいつらはどうなった?」


「わかんない。振ったらもう次からは来なくなったよ。私も興味が無くなったから丁度よかったけどね」


「お前結構酷い奴だなぁ。男の純情は弄んじゃいけないんだぜ?」


「うん。だから私は壊れた酷い奴なんだよ。野中君もよくわかったでしょ?」


「いいや……わからないな」


 俺は氷瀬の言葉を否定した。


「俺は、お前を壊れた人間なんて思ったことはない」


「え……?」


 氷瀬は目を丸くして固まった。


「お前は、壊れてなんかいない」


 もう一度はっきりと、氷瀬にちゃんと聞こえるようにはっきりと告げた。


 氷瀬が壊れている? それは氷瀬が勝手に思い込んでいるだけだ。


 男の純情は弄んじゃいけなのはそうだ。勘違いがやがて悲しいモンスターを生むことが往々にしてあるから。


 だけど、それと壊れているは話が違う。そこを繋げてはいけない。


「俺の目に映るお前は、いつだって慈愛に満ちた女神だよ。壊れてなんかいない」


「そ、そんなことない。私は壊れてる。だって……私は愛がわからない。わからないんだよ?」


 どこか苦しそうに、氷瀬は自分の胸を抱えるようにして下を向いた。


 変わりたい。でも変われない。そんなもどかしさを表しているように見えた。


「本当に愛がわからない奴は、電車で率先して席を譲ったりしない。自分優先で座ったままだ」


「なんでそれを……」


「俺の愛を舐めるな」


「で、でもそれは……ただ人に優しくすれば愛情を理解できるかと思ったから」


「本当に愛がわからない奴は、体育倉庫で閉じ込められたやつをわざわざ助けに来たりしない。無視して終わりだ」


「それは……いい人間でいた方が私のためにも都合がよかったから」


「だとしても、その行動ができる奴は立派だ。俺は尊敬している」


 だって、俺にはできないことだから。


 もしかしたら、氷瀬は俺が思っていたような慈愛の女神ではないかもしれない。心から無償で自己犠牲ができる博愛精神の持ち主ではないかもしれない。


 でもそうだっていい。俺の目に映っている氷瀬は、いつでも慈愛に満ちた女神なのだから。


 氷瀬は電車で率先して席を譲る。困っている人がいたら率先して助ける。その結果だけあればいい。


 どんな思考であれ、俺にはできないことができる氷瀬を俺は心から尊敬して、愛している。


 それにな、本当に壊れてるやつはそんなことすらしねぇよ。


「そ、そんなことない。私は……」


「愛がわからないだけで壊れてるなら、この世は壊れた人間だらけになっちまうよ」


 俺の周りだけでもう3人はいる。知り合いほぼ全てだった。


「だから俺は悲しいよ氷瀬。お前が勝手にお前を諦めていることが」


 氷瀬はただ、自分が壊れていると思い込んでいるだけだ。


 だってそうだろう? 俺の目に映っていた氷瀬は、どこも壊れてなんかいない。


 いつも眩しい俺の太陽でしかなかったんだから。


「だって……何してもわからなかったんだよ? 野中君にだって酷いことをしたんだよ?」


「そうかもな。でも、それがどうした?」


「え?」


「俺はべつに酷いことされたとは思ってない。むしろ新しいお前を知れて嬉しいことしかない」


「いや……え?」


 ちょっと怯えた顔も可愛いぜ。


 えたいの知れない何かにでも出会ったか? 悪いな、俺はお前が絡むとスーパーポジティブになるみたいだから。この程度のことで酷いなんて思わないんだよ。


「だからな氷瀬、今日はお前に伝えたいことがあって呼び出した」


「…………」


 氷瀬は無言で横目でその手に持つ果たし状を見やった。


 俺は人差し指を天高く掲げ、そして意中の彼女に向けて振り下ろす。


 その指先は戸惑いの表情を見せる女の子を貫いている。


「よく聞け氷瀬! お前がお前を諦めていようが、俺がお前を諦めない! 好きがわからない? だったら俺が教えてやるよ! 愛がわからない? なら俺が気付かせてやるよ! お前の中に眠る心を!」


 目を見開く氷瀬に、俺は最後に用意していたセリフを告げる。


「宣戦布告だ氷瀬。俺がお前に好きって感情を芽生えさせてやる。そんで、次はお前の方から俺に告白させてみせる。だから、勝負しようぜ? 俺とお前の、タイマン勝負だ。お前が俺に惚れたら、お前の負けだ」


 今日ここが、野中伊織のリスタートだ。


 俺はお前を絶対に諦めない。


 覚悟しろよ氷瀬。男の粘着は、結構しつこいんだぜ?


「な、なにそれ……意味がわからない……」


 氷瀬は自分の胸を押さえながら一歩後ずさる。


 その顔はほのかな朱色に染まっている。


 だけど表情から見える色は戸惑い。自分の心がわかってないような風に見えた。


「どうした、顔が赤いぞ? もう俺のことが好きになったか?」


「そんな簡単に好きがわかったら苦労はしないよ」


「ふーん。じゃあそう言うことにしといてやるよ」


「……いいよ、その勝負受けてあげる。私に好きを教えてよ。私がそれを理解できたら、私から野中君に告白してあげる」


「じゃあ勝負成立だな。覚悟しろよ? 俺は絶対諦めないからな?」


「いいね。やれるものならやってみてよ」


 不敵に笑う氷瀬と俺。


 ここに、新しい戦いの火蓋が切って落とされた。

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