第40話 初心に帰る

 放課後になっても、俺はしばらく屋上で時間を潰していた。一人になりたい気分だったから。


 校庭で部活動の元気な声が聞こえ始めるころ、そろそろ帰るかと屋上を後にして教室に戻る。


 教室に同級生は誰もいなかった。


 その代わり、後輩が一人だけ残っていた。


 窓に片手を当てて、静かに校庭を眺めている。


「あ、伊織先輩。どこほっつき歩いてたんですか?」


 雛森は俺の気配に気がついて振り向くと、力ない笑顔を俺へ向けた。らしくない笑顔だ。


「お前、どうしてここに?」


 わざわざ俺の教室まで会いに来るとは珍しい。初めましての時以来か。


「なんとなく、伊織先輩の顔が見たくなって」


「伊織さん! やっと見つけましたよ!」


 教室の入口から一際元気な声。


「はぁ……なんで私があんたに付き合わされんのよ」


 その後ろから気だるそうな声。


 東雲と十波まで教室に集合した。


 屋上でないところに全員集合するのは初めてかもしれない。


「お前らどうしたんだよ?」


「伊織さんのことを慰めに来ました! そして弱みにつけ込んで私の虜にします!」


「お前はブレないな」


 後半の言葉がなければまだ救いようがあるんだけどなぁ。東雲の願望がだだ漏れしている。


「つか、俺を探すなら屋上は探さなかったのか? まずそこだと思うけど」


 どう考えたって俺を探すなら最初は屋上一択だろ。俺単体で居なくなる時はトイレか自販機か屋上なんだから。


 目が合うと、東雲は目を逸らした。何かを隠しているのがまるわかりだ。


 十波に視線を向けても、馬鹿にしたように鼻を鳴らすだけだった。ぶっ飛ばすぞ。


 最後に雛森を見れば、彼女は優しく笑うだけで何も言わなかった。


「細かいことはいいんですよ!」


 無理やり話題を変えるように雛森が言った。


「伊織先輩、大丈夫ですか?」


 雛森は本当に心配そうな目で俺を見ている。


 なにが大丈夫なのかはお互い確認するまでもないんだろう。


 今日の雛森はいつもと違うから調子が狂う。


 伊織先輩! 押してだめならさらに押せ作戦ですよ! とか言ってきそうなのにな。


「大丈夫だよ。べつに落ち込んじゃいないから」


「本当ですか?」


「まあちょっと……てかだいぶ予想外だったけど、本当に落ち込んではいない」


 屋上に居たのも、これからのことを考えるためだ。


 一人でゆっくり考える時間が欲しかった。


「十波、お前は知ってたのか?」


 何を、と言わなくても通じると思ったからあえて言わない。


 彼女の変わりよう、そして抱えていたもの。


 思い返せば俺になにかと匂わせていた女に問う。


「当たり前でしょ。友達なんだから」


 十波は淡々と事実だけを告げる。


 氷瀬は、友達は俺と十波だけだと言っていた。


 きっと友達だと思ってくれたから、氷瀬は自分の本当を教えてくれたんだろう。


 1日経ってからそう気づいた。あの氷瀬の本性を知っていたら、もう少しクラスがざわついていてもおかしくない。


 それがないってことは、氷瀬は普段それを隠しているってことだ。


「知っていた上で……伊織さんを道化のように扱っていたんですか?」


 東雲が低い声で唸るように言う。


 その声には、怒りと言う名の炎が燻っているような気がした。


「そうよ」


 それでも、十波はただ静かに一言だけ返す。


「あなたって人は……人の心をもてあそんで楽しかったですか? 返答次第では本気で怒りますよ?」


 東雲が人を殺しそうな鋭い目で十波を睨む。


 だけど十波はそれを気にもせず腕を組んで黙りこくる。


 それが気に食わなかったんだろう。東雲は一歩十波へにじり寄って尚も暗い目で十波を睨みつける。


「なにか答えたらどうですか? 無言は肯定と捉えられますよ?」


「やめろ東雲」


「ですが伊織さん! この女は!」


「こいつは最初から俺に警告していた。それでも突っ込んだのは俺だ。十波が協力してくれたことを感謝こそすれど、恨むことはしない。しちゃいけない。そんなことしたら俺はただのクソ野郎になっちまうだろ」


「伊織さん……むうぅ……」


 東雲は不服そうに十波から顔を逸らした。納得はしていない。だけど俺が十波を責めない以上、不本意ながら拳を降ろしてくれたって感じか。顔はめっちゃ不機嫌そうだ。


 十波は最初から俺に警告していた。特級呪物を拾ったあの場所で言っていたターゲットと言う言葉。あれはきっと氷瀬の本性を知っていたからこそのものだったんだろう。


 そう、十波は警告していたんだ。いつか後悔するって言葉は、今こうして現実を突きつけられてしまうからか。


「お前なりの考えがあったんだろ?」


 それでも、十波は俺に協力してくれていた。


 だから十波には十波の考えがあったはずだ。それを聞かずに全否定してはいけない。


「……あんたは今までの男たちとは違って、ちゃんと玲奈のこと見ていた。だから私も期待していたのよ。あんたなら玲奈の氷を溶かせるんじゃないかってね」


「朱莉先輩……」


「ダメだったけどね」


 どこか寂しそうに言う十波。


 期待。まさか十波の口からそんな言葉が出てくるとはね。


 まあその期待には応えられなかったわけだけど。


「玲奈本人も言ってたけどね、玲奈は愛を知らないのよ。彼女の家庭環境はちょっと複雑だから」


「愛を知らない、ね。俺にはやっぱよくわかんねぇな」


「ですね。これは概念の話ですから」


「そうね。だからこそ、私は彼女を救いたかった。でも……私ではダメだった」


 十波を苦悶の表情で下唇を強く噛み締めた。


 氷瀬を狂う程愛している女だ。それはもう彼女に愛の何たるかを説こうと足掻いてきた歴史があるのかもしれない。


 だが、氷瀬は今なお愛を知らない。好きがわからない。


 十波だって頑張ってはいたんだろう。だけど、十波は自分ではダメだと諦めた。


 でもな、そういうとこだぜ十波。お前に足りないところはよ。


 諦めたら、そこで終わりなんだよ。本当に欲しいものなら、諦めるなんてありえない選択だ。少なくとも俺はそうだぜ?


 俺の愛はお前より勝っている。格付けは済んじまったみたいだなぁ十波。


「心と心で会話しろ……か」


 ふと、先ほど屋上でやっちーと話した言葉が脳裏に浮かんだ。


「伊織先輩?」


「結局最後は、初心に立ち返るしかないってことか」


「一人でなに呟いてんのよ?」


「これからのことを考えてたんだよ。そんで、今俺の中で答えが出た」


「どうするんですか伊織さん?」


「決まってる。氷瀬に正面からアプローチする。もう気を遣うのはやめる」


「え? 今まで気を遣ってたんですか?」


「お前は何を見てきたんだよ? 最近まで反省して氷瀬へのアタックは色々控えめにしてたんだぞ?」


 俺の言葉に、みんなは何言ってんだこいつ? と言いたげな目を向けた。


「それに、氷瀬に対しては全然脈ありじゃねぇか。悲観する理由がなにもない」


 昨日振られたばかりなのに何言ってんだよ? とみんなの目が語っている。


 浅い。全然浅い。特に雛森、お前が目を丸くしてるのが理解できないぜ俺は。


 今の状態は悪くないってのは、お前が教えてくれたことだろ?


「自己開示。氷瀬は俺にそれをしてくれたんだろ?」


「え?」


「愛を知らない。好きがわからない。それって氷瀬はあまり話してないことだろ? なあ十波?」


「まあ、そうね」


「氷瀬にとって、俺がどうでもいい人間なら、あいつは自分の内面を開示しないで振ればよかったんだよ。でも氷瀬はそれをしなかった。それは、氷瀬と俺の心の距離が近づいていたからだ。だから自分のことをちゃんと話してくれたんだろ?」


 自己開示。イカレガールで実証実験した仲良くなるための恋愛心理学。


 仲良くなるにつれて、人はお互いの内面情報を相手に打ち明けていくもの。


 自分や相手の深い情報に関わるほど、お互いに親近感が強まっていくこと。


 愛とか恋とか好きとかわかんなくても、氷瀬が気づいてなかろうが、俺と氷瀬の心の距離はたしかに縮まっている。


 あの日は、それがわかっただけでも収穫だろう。


「だったらチャンスしかないだろ? 俺は今、どの男よりも氷瀬に近い男だぞ?」


 なにせ俺は氷瀬の中で唯一の男友達認定されてるからな。爆アド待ったなし。 


「は、はは。さすがは伊織先輩……氷瀬先輩が絡むとアホみたいにポジティブですね……」


 雛森が引きつった笑みを浮かべる。


「心配した私が馬鹿みたいじゃないですか?」


「お前が心配するなんてらしくねぇんだよ。お前はちゃんと俺が氷瀬に告白するまで仕事を全うしただろ」


「え……?」


「恋のキューピッドなら堂々としてろよ。バカかよ」


「な!? せっかく心配した後輩にかける言葉がそれですか!?」


「俺は心配しろなんて言ってねぇだろ! 勝手に心配しておいて逆切れすんな!」


「むっかー! 私の純情な心を返してくださいよ! 本当に心配して損しました! もう絶対しませんからね!」


 ふん! と雛森は鼻息を荒くしてそっぽを向いた。


 なんというか、このやり取りの方が落ち着くのはなんでだろうな。


 しおらしい雛森とか気持ち悪くて仕方なかった。


「で、あんたはどうすんの?」


「決まってる。氷瀬に宣戦布告だ」


 十波は頭がおかしい奴を見るような冷めた目で俺を見ている。いつものことか。


 でもな、やられっぱなしは俺の性に合わないんだよ。だからここは一発かましとかないとな。


 覚悟しろよ、氷の乙女さん。俺の愛の炎は、そんじょそこらの氷じゃ消えないぜ?

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