第38話 彼女の心
「この後はどうしようか? もう少しブラブラする?」
結局1日のほとんどをこのショッピングモールで潰してしまった。まあ、氷瀬が楽しそうだったからいいか。
「いったん地元に戻らないか? そんで少し散歩してから解散でどうだ?」
「それいいね!」
お互いの意見が一致した俺たちは、今度は一緒の電車に乗って地元へと戻った。
電車に揺られて、来た道の逆へと進んで行く。
中の人は少なく、俺と氷瀬も仲良く隣同士で座ることができた。
毎日乗っている電車。氷瀬を初めて見かけたのもこの電車の中だった。
「……ん?」
肩に何か重いものが。見れば氷瀬の頭が俺の肩に乗っかっていた。
「すぅ……すぅ……」
隣からは氷瀬の可愛い寝息が聞こえる。寝てしまったのか。
なんか今日はやけに積極的だったし、ショッピングモールの中では結構歩いたし、疲れてたのか。
まあそうだよな。クラスの男子と二人で遊びに行くのに、気を張らない方がおかしいか。なんか俺も疲れてきたな。
大きなあくびがひとつ出た。背中を伸ばしたい気分だったけど、氷瀬を起こしてしまうからやめた。
ガタンゴトン。電車と線路が奏でる音楽を聴きながら、俺は氷瀬を起こさないよう静かに過ごした。
「野中君ごめんね。重かったでしょ?」
朱く染まり始めた遠くの空。そんな景色に彩られた河川敷を並んで歩く。
氷瀬は電車の中で眠ってしまったことを申し訳なさそうにしている。
いやいや、むしろご褒美ですから。
「全然。超余裕だわ」
「思ったより疲れてたみたい。でも、もう元気になったよ!」
氷瀬は顔の前でぎゅっと手を握った。復活のアピールらしい。可愛い。
「今日はあっという間だったね。楽しかったぁ!」
氷瀬は背筋を大きく伸ばした。
「俺もだ。最初に氷瀬が腕に抱きついてきたときは正直戸惑ったけど、それでも楽しかった」
「ならよかった。いきなり腕に抱きつくのはよくなかったんだね。勉強になったよ」
「勉強って……それは恋愛小説で得た知識か?」
「そうだね。色んな恋愛小説を読んで学んだ知識を色々と試してみたかったんだ」
「それはどうして?」
何の気なしに訊いた言葉。ただの雑談のつもりで放った言葉。だけど、その言葉を口にした瞬間、氷瀬の表情が僅かに固まった。
ほんの一瞬。少しの違和感。氷瀬の表情はすぐに元に戻った。
「知りたい?」
どこか試すような視線。今まで見たことないような氷瀬の表情。
「教えてくれるのか?」
「野中君だったらいいかな。ここまで色々と協力してもらったしね。それにほら、友達だし」
「協力?」
氷瀬は何を言ってるんだ? よくわからない。
それになんか雰囲気が少し変わったような。ポカポカした陽だまりのような雰囲気から、夜の暗い感じへ変化していくような。そんな感じ。
『玲奈……やっぱり』
『どうかしたんですが朱莉先輩?』
『意味深な言葉だけ言うのはやめてくださいよ』
『野中、告白するならさっさとしなさい。後悔するわよ』
イヤホンから入ってくる十波の声は、いつもより焦っているように聞こえた。よかった。お前ちゃんと生きてたんだな。
さっさと告白しろだって? そんなのわかってるよ。でも、どうして急にそんなことを言い出したんだ?
後悔する。十波は以前も同じことを俺に言った。あの時は十波に殺されることかと思ってたけど、もしかして違うのか?
「でも野中君。それより先に、私に言いたいことがあるはずよね?」
「え?」
「男女が二人で遊びに行くって言ったら最後はもちろんアレだよね。私、いつされるのかなぁってずっと待ってたんだけど?」
「え、あ、え!?」
氷瀬が俺に催促しているもの。それは間違いなく俺からの告白。
願ってもいない状況。相手から告白の催促。それ即ち、意志の確認作業。
ピークエンドの法則とか、黄昏効果とか、そんなものを抜きにして勝てそうな予感しかしない状況。
押せばいけそうなこの状況。それなのに、俺はどうして固まっている?
「ほら、私はいつでも聞く準備ができてるよ?」
その場で固まる俺の2歩、3歩先へ進んで振り返り、氷瀬は両手を大きく広げた。
「教えて、野中君の気持ちを? 私の心へ、君の声を聴かせて?」
妖艶な笑みを浮かべて、氷瀬は俺の言葉を待っている。
告白。そうだ、俺は今日氷瀬へ告白するために、あの日未遂で終わった夢の続きを描くためにここまで来たんだ。
迷うなんて俺らしくもない。氷瀬の雰囲気が変わったとかどうでもいい。
今はただ、あの日言えなかった君への言葉を届けよう。
「氷瀬……」
妖艶に笑う氷瀬の目を強く見返す。
「お前のことが好きだ。俺と付き合ってくれ!」
瞬きをせず、力強い瞳を氷瀬に向けたまま俺は言った。
『さすが伊織先輩! 男前!』
『まあ、下手にこねくり回すよりは真っすぐでいいんじゃない?』
『さあ、次は私の番ですね!』
耳から入る雑音は無視して、俺は氷瀬の言葉を待った。
「うん、ありがとう。これではっきりしたよ」
氷瀬は目を閉じて、両手を胸の前で合わせた。
なにかを結論付けるように、瞼に力が入っているように見えた。
「私、野中君に興味があるって話をしたの覚えてる?」
ゆっくりと目を開けた氷瀬が、柔らかい笑顔で俺に問いかける。
はっきりした。それはつまり俺の告白に対してイエスかノーかの答えが決まったのか思っていたけど、どうやら前置きがあるらしい。
「何回か言ってたよな」
「そう、私がなんで野中君に興味を持ったかわかる?」
「いや、全然。俺としては嬉しかったからよかったけど、理由はまったくわかってない」
「2年生の最初、野中君はみんなの前で私に告白しようとしてたでしょ?」
「それは……」
俺の黒歴史。うっ……胸が……。
「よくわからない感じになって流れちゃったけど、みんなの前でなんてすごいドラマチックだよね。君に初めて興味を持ったのはあの日だった」
氷瀬は俺に背を向けて、話を続けた。
「体育倉庫で後輩ちゃんを押し倒していたのを見て、この人は面白い人だなぁって思った」
氷瀬の表情が見えないせいか、今どんな気持ちで話しているのかがわからない。
声は明るい。それなのに、感情がどんどん抜け落ちていってるような気になってしまう。
「壁ドン、腕組み、あーん、色々試してみた。この人なら、恋愛小説みたいなことをしているこの人ならもしかしたらって」
「氷瀬……」
「野中君、今日は楽しかった?」
前を向いたまま、氷瀬が問う。
「さっきも言ったけど楽しかったよ」
「私も楽しかった。そこは同じだね。じゃあ、ドキドキした?」
「した。腕に抱きつかれた時とか、あーんするときとかやばかった」
「うん。普通はそうなんだろうね」
そこで、氷瀬は俺の方へ向き直った。
その顔からは先ほどまでの笑顔は一切なく、ゾッとするような感情のない瞳が俺を射抜いた。
「私はね、全然ドキドキしなかったよ」
思わず引き下がりそうになる瞳。今までの氷瀬はなんだったのかと言いたくなる。
「告白されれば、何か響くかなぁって思ったけど、やっぱりだめだった。愛とか恋とか好きとか、やっぱり私にはわからないみたい」
彼女は、それから最後にひとつだけ言葉を残した。
「だからごめんね。私、野中君とは付き合えない」
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