第37話 垣間見えるなにか

 その後も適当にショッピングモールをぶらついて、気がついたらお昼も過ぎておやつ時の時間に差し掛かっていた。


 お昼時の店は混んでるからと、少しタイミングを外して向かう予定が、思ったより時間を食っていたようだ。


「あ……もうこんな時間なんだ」


 可愛らしい腕時計で時間を確認した氷瀬が、驚くように言った。


「さすがにお腹空いたよな?」


「そうだね。野中君とブラブラするのが楽しかったからあっという間に時間が過ぎちゃったよ」


 氷瀬……不意に俺の胸を温かくする言葉を言うのをやめるんだ。


 平静を取り戻した俺の心がまた暴れそうになってるから。赤いスカーフを見た闘牛のように滾りそうになってるから。


「この時間だと……喫茶店とかで少し休むか?」


「だね。少し休憩しよっか」


 そんなわけで喫茶店に入った。喫茶店……うっ……トラウマが。


 俺の中で喫茶店=十波の地獄のトークショーで結びついていたことを失念していた。


 だがしかし、その印象を今日ここで塗り替える。


 氷瀬との幸せな思い出で、悪しき記憶は忘却の彼方へぶっ飛ばすんだ。


 テーブル席に向い合せ。俺はコーヒーとパスタを。氷瀬は紅茶とケーキを何個か頼んでいた。


「氷瀬はケーキが好きなのか?」


 氷瀬はテーブルに並べられたケーキを美味しそうに食べていた。


「好きだよ。家の近くに美味しいケーキ屋さんがあってね。そこのケーキを食べてからハマっちゃったんだ」


「へぇ……そんなにうまいケーキだったのか?」


「ケーキも美味しかったんだけどね、店長さんも天使みたいにすごい美人でもう色々すごかったよ」


「氷瀬が美人って言うなら相当な美人なんだな」


「どうして?」


「そりゃ、氷瀬も美人だからに決まってるだろ?」


 氷瀬のケーキを持つフォークの手が止まった。


 俺からしたら氷瀬こそがこの世で一番美しい女神なわけだが、その氷瀬が美人と評するなら相当な美人には違いない。まあ氷瀬以外に興味のない俺からしてみれば、どうでもいいことであるが。俺の中の頂点は氷瀬だから。それ以外は眼中にない。


「ふふ……ありがとう。友達にそう言ってもらえるのは嬉しいね」


「なら普段から言われてんだろ。氷瀬は俺と違って友達多いんだし」


「友達?」


「いやそこで首を傾げるなよ。氷瀬の周りにいる連中。そいつらだよ」


「ん? 私の友達は朱莉と、そして野中君だけだよ?」


「は? え、クラスで仲良く話してる連中は?」


「それはただのクラスメイト。友達じゃないよ?」


「…………」


 氷瀬はいつもと変わらない笑顔を俺に向ける。


 なのに、なんだろう。雰囲気が今までとは違うような。うまく言葉にできないなにかを感じる。


『野中』


 イヤホンから聞こえる十波の声。


『友達ランクは私の方が上だから』


 え、それ今このタイミングで言う!? ちょっと氷瀬が闇っぽい部分を見せてきたところでマウント取りに来る?


 でもそっか、氷瀬の中で俺は友達認定されているのか。なんかよくわかんないけど僥倖だぞこれは。


 全男子の中で俺が今氷瀬に最も近い男へいつの間にかなっていたわけだ。ごめんね氷瀬を好きな諸君。今日でこのレースは終わりになりそうだぜ?


「そうだ野中君!」


 氷瀬が何かを企むように口元を吊り上げる。


「私、あーん、をやってみたいんだけど、やってくれるかな?」


「……ふぇ?」


『うわ、今の伊織先輩の声やばいですね』


『ちょっと吐きそうになったわ』


『…………』


 いや自分でもわかってるからわざわざ遠隔で追い打ちかけてくんなよ。あと東雲、フォローできそうにない時だけ黙るのやめろ。本当に気持ち悪かったってそれでわかっちゃうんじゃん。言い訳できなくなっちゃうんだよ。


 でも、氷瀬どうした? またすごいのぶっこんできたな。あーんって、カップルがやるもんじゃないの? また変な恋愛小説を真に受けてしまわれた感じですか?


「……ダメ?」


「ダメじゃないです!」


 即答。上目遣いは反則。


「やった! じゃあよろしくお願いします!」


 そう言って氷瀬は俺に食べかけのケーキの皿を寄こしてきた。


 勢いでオーケーしたけど……いいの? 十波俺のこと殺しに来ない? あーんは許してくれる?


 氷瀬は目をキラキラさせて俺のことを見ている。これは……壁ドンの時と同じ。


「……ふぅ」


 やる気を入れるために小さく息を吐いた。


 フォークでケーキを一口サイズにカットして、震える手を氷瀬の口に近づける。


「野中君……黙って食べさせるの?」


「え、言わなきゃダメ?」


「当たり前だよ。それが大事なんだから!」


「そうっすか」


 氷瀬って結構独特な考え方を持っているような気がする。


「じゃあ行くぞ……あーん」


「あーん……うん、美味しい!」


 俺が差し出したフォークに口を大きく開けてかぶりつき、氷瀬は満足そうにケーキを飲み込んだ。


「なるほど……これがあーんなんだね……」


 氷瀬は壁ドンの時と同じように、どこか納得するように頷いた。


「じゃあ次は思い切ってキスでもしてみよっか?」


「キ『野中! そこまでは絶対許さないからね!?』」


 俺とほぼ同じタイミングで十波の叫び声が耳をつんざく。う、うるせぇ……。


『デートと告白までは許すけど、キスはダメよ! 私が一番最初にするんだから!?』


『ちょちょ!? 朱莉先輩落ち着いてください!? 飛び出そうとしないでください!? 全部台無しになっちゃいますから!?』


 向こうの景色は想像するしかないけど、暴走しそうな十波を雛森が必死に抑えてるんだろう。


『はぁ……手伝うのか手伝わないのか、十波さんは中途半端ですね』


『玲奈の貞操は私が守るのよ!』


『亜希。少し黙らせてください。このままだと本気で伊織さんの邪魔をしかねませんから』


『かしこまりました』


 秋月さん。今まで一言も話してなかったけどやっぱりいたんだ。


 秋月さんの一言のあと、すったもんだしていた騒ぎ声がピタッと止まった。


『伊織さん。うるさいのは黙らせましたので最後までご自由にどうぞ!』


 ……怖えよ。なにしたんだよ秋月さん。まさか息の根は止めてないよな?

 東雲は前から十波のことを消したがってたから、この機に乗じて葬り去ってないよな?


 てかご自由にどうぞって言われても……キスは、ええ!?


「……さすがにキスはやりすぎだったかな?」


「たぶん……そうだと思う……」


「じゃあ仕方ないね!」


 だめだ……今日の氷瀬は何を考えているか全然わからない。


 今日までで氷瀬のことを多少なりとも知れたと思っていたけど、まだまだ俺の知らない氷瀬がたくさんありそうだ。


 でも、だからこそ俺はもっと氷瀬を知りたい。知ることは、その人との距離が近づくことだから。


 そうして全てを知った上で氷瀬と付き合えたら、もっと氷瀬を好きになれる自信がある。


 その後は適当に雑談に花を咲かせてから店を出た。


 思ったより話していたみたいで、時間は夕方に差し掛かろうとしていた。楽しい時間は早く過ぎる。


 もうすぐ夕方。決戦の時は近い。

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