第24話 一人増えた屋上
「ってイベントがあったんだよ」
屋上。最近は日差しが強くなってきたから屋上も暑くなってきた。
「はぁ……そんなイベントが。先輩ってやることやってるんですね」
「なんか言い方に悪意を感じるんだが」
「逆ですよ。ちゃんと氷瀬先輩と仲良くしてるようで感心しました」
雛森がうんうんと後方師匠面で頷く。ライブでもいるよねこういう人。
今日は俺から雛森を呼び出した。理由は単純。そろそろ本丸を攻めてもいいんじゃね? 会議をするためだ。
「伊織さん! 私という未来の伴侶がいながら他の女に手を出すんですか!?」
なぜか東雲もいた。呼んでない。でもいる。
「いつ未来の伴侶になったんだよ。何回も言ってるだろ。俺は氷瀬一筋だって。お前と将来を誓い合った記憶ないんだけど?」
あの一件以降、彼女はことあるごとに俺に愛を告げに来ている。都度あしらっているわけだが、これって見方を変えれば俺と氷瀬の関係性に見えなくもない。
俺が氷瀬にしょっちゅう愛を伝えてたらこんな感じに見えるんだろうな。反面教師ってわけじゃないけど、なんか勉強になるわ。やりすぎって、よくないんだな。
「そんな……亜希、あれを」
「はい。お嬢様」
もはや様式美となっている秋月さんの瞬間移動。屋上に遮蔽物はないから隠れるところなどない。なのに、秋月さんは今日も音もなく現れた。
秋月さんは黙って俺に1枚の紙を突き出した。勝訴! とか書かれた紙を持ってそうな持ち方。
「これはなんですか?」
「はい。お嬢様と伊織様の婚姻届けです」
「へぇ……はい!?」
え、なに? 婚姻届け!?
改めて秋月さんが広げた紙を凝視する。そこには夫になる者のところに俺の名前が、妻になる者のところに東雲の名前が既に記載されていた。
「なにこれ!?」
「ですから婚姻届けだと言っております」
「いやだからなんでこんなの用意してんのって訊いてるんですよ!? なんか俺の名前まで入ってるし!? 勝手に書くのは禁止なんじゃないですか!?」
「ご安心ください伊織さん!」
東雲が自信満々に胸を張る。
「東雲家の力を駆使して、伊織さんの筆跡は完全にトレースしています。これを代筆と見抜ける人間はこの世に数人もいません!」
「どこが安心なんだよ!? 東雲の力をそんなことに使うなよ!?」
「そしてここには、伊織さんのご実家で使われているハンコの完全コピーがあります!」
秋月さんがポケットから野中と彫られたハンコを持ち出してきた。
たしかに、両親がよく家で押しているものと形が似ている気がする。なんでそんなの用意できんだよ⁉︎
ぐいぐいと、秋月さんが俺に婚姻届けを押し付けてくる。圧が……圧が強い……!
「あとは伊織さんの意志でこれを押していただければ完成します。さあ!」
「さあ! じゃないんだわ!? 認めるわけないだろ!」
こいつほんとぶっ壊れたな。ブラック東雲が誕生してますわ。
とは言え、このモンスターを生み出してしまった責任の一端は俺にある。だから、自由を満喫している東雲を止めることもない。
人は自由だ。こうして婚姻届けを押し付けるのも自由。それを断るのも自由。すべての選択は自分に委ねられる。
まあ、なにが言いたいかと言うと……こいつやべぇな。
「……まあいいです。私は諦めませんから!」
東雲がそう言うと、秋月さんは婚姻届けを懐の中にしまった。
「伊織先輩、満足しましたか?」
「お前今の何を見たらその答えが出てくるの?」
「伊織先輩モテモテイベントでしょう? 可愛い女の子にちやほやされて嬉しかったですか?」
「俺がちやほやされたいのは氷瀬だけだよ……」
「そんなクールな伊織さんも大好きです!」
「ああ、うん。ありがとう」
「で、今日の話は氷瀬先輩にそろそろアタックしてもいいんじゃないか? って話でしたよね」
脱線していた話を雛森が元に戻した。
「また止めようとしたって――」
「そうですね……いいんじゃないですか?」
「無駄だぞ……っていいのか!?」
「なんで先輩が驚くんですか?」
「いやお前にはまだ早いって言われるかと思って」
この前だってそれで止められたからな。今回もお前にはまだ早いって言われると思ってた。
だけど、雛森から返って来た言葉はその逆で、なんか普通にOKが出た。
「話を聞く限り先輩たちは普通に仲良さそうですし、もう止める理由はないと思います」
ただ、と雛森は続けた。
「でも伊織先輩、氷瀬先輩を呼び出せるんですか?」
「それなぁ……」
よくわかってるな雛森。氷瀬を呼び出すには越えなければいけない壁がひとつある。
十波朱莉。氷瀬の親友にして番犬ケルベロス。氷瀬に近づく男を絶対に許さない存在。俺の天敵。
図書委員の後に告白でもいいけどそれじゃ風情がない。俺としてはデートに行ってから告白したいわけよ。
だが、そうなると確実に十波の断崖絶壁を超えなくてはならない。決して十波の胸のことじゃない。
「十波をどうするかだよなぁ……」
「先輩、十波先輩をいっそ仲間に引き入れてしまうのはダメなんですか?」
「十波を……えぇ……」
あれは無理だろ。俺と十波は目が合っただけでバトルが始まる間柄だぞ?
「恋愛心理学には、『ウィンザー効果』と呼ばれるものがあります」
「ウィンザー効果?」
「はい。本人から伝えられる情報よりも、第三者から伝えられる情報の方が信頼性があり、影響力が増すことを言います。つまり十波先輩を味方につけて、さりげなく氷瀬先輩の情報を探ってもらったり、伊織先輩のいい噂を流してもらえば、恋愛的にかなり有利な立ち回りができるようになるんですよ。それに、恋愛心理学を抜きにしても、本命の親友を味方に引き入れるのはかなり有力です」
「理屈はそうでもなぁ……十波だろ……?」
あれを味方に引き入れるって、どうやれば仲良くなれるんだ? 全然ビジョンが浮かんでこないんだけど。
まともな会話をこの3か月間で一回もできたことがない。それで急に仲良くなりましょうなんて無理無理。
俺の人生であいつのために費やす時間程無駄なものはない。
こっちもあっちも仲良くしようって気がないんだから、恋愛心理学的に効果抜群でも十波を仲間にってのは無理筋だよな。
「……やっぱ無理だなぁ」
「ですが、氷瀬さんを誘うためには、十波さんをなんとかしないといけないんですよね?」
「そういうことになるな」
状況を確認するように東雲が訊くので、俺は首を縦に振った。
「わかりました。じゃあ十波さんを消せばいいんですね!」
「……はい?」
「亜希。十波さんの家庭情報を調べますよ。そして付け入るスキを探して潰しましょう!」
「かしこまりました、お嬢様」
「待て待て待て待て! にこやかに物騒な話を始めるな!」
東雲と秋月さんが不穏な会議を始めたの慌てて割って入る。
「なぜ止めるんですか? 一番簡単じゃないですか?」
「お前簡単に人の家庭を壊そうとするなよ!?」
「伊織さん、私は怒っているんです。伊織さんのことを認めようとしない人なんて、消えて当然です。これもひとつの愛の形ですよね!」
「だから重いんだって愛が! 秋月さん! このモンスターを止めてください!」
「伊織様、私はお嬢様のメイドですから、お嬢様の言うことは絶対です」
「考えることをやめるな! 雛森、お前からも言ってやってくれ!」
「なるほど……協力を仰げないなら消す。たしかにそれが一番確実かもしれませんね!」
「ですよね! 夕陽さん!」
「ちくしょうお前もそっち側の人間だったな!」
こいつらと話していると俺の価値観が間違っているんじゃないかと思えてくる。
自由に生きるのは構わないしむしろ推奨する。だけど倫理観を……せめて人として最低限の倫理観を持っておいてくれ。
自由は何をしてもいいわけじゃないってことを理解してくれ。なあ東雲。お前はその気になったら大抵のことはできちゃうからこそ倫理観を養ってくれ。
「なら伊織先輩がなんとかしてください。十波先輩は、越えないといけない壁ですよ」
「…………」
「先輩にやる気がないなら、本当に神楽ちゃんが消しちゃいますよ? それが嫌なら頑張ってくださいね!」
「……やるしかないのか。これは」
雛森にうまいこと誘導されたような気がするけど、こればっかりは致し方ない。
基本的にやりたいことだけやって生きてきた俺、野中伊織は、この日初めて本当にやりたくないことへ手を出すことにした。
だって、いくら天敵とは言え、なんの罪も犯してないのに消されるのはあんまりだろ。
「はぁ……」
ひとつため息。
なんで俺、こんなに疲れてるんだろ。
空を仰いでも、答えは返ってこなかった。
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