第23話 憩いの図書室

 俺が番犬の目を逃れて氷瀬と唯一穏やかに過ごせる時間、それが図書委員の仕事中。


 各学年、各クラスが持ち回りで担当するので、1ヶ月に1回あるのが関の山。


 そのたまにしかない氷瀬との静かで幸せな時間を堪能するために、俺は自分の仕事を最速で最短で一直線に片付けた。


 途中、ライトノベルのコーナーで立ち止まる。思い出すのは東雲のためにラノベを取ってやったときのこと。


 あの頃のあいつはおどおどしてたけど、守ってやりたい何かを感じたよなぁ。それが今では。


 人は変わる。秋月さんの言葉が胸に響きつつも、仕事を終わらせた俺は氷瀬の隣に腰かけた。


 2人分の距離を開けて座る俺と氷瀬の距離。


 パーソナルスペース。侵入されると人が不快に思う距離を可視化したもの。仲が良くなれば、無害と判断されればその距離は短くなっていく。


 氷瀬は今日も静かに小説を読んでいる。夏服になり、すこし露出が上がった制服。半袖の先からは氷瀬の生腕がお目見えしている。柔らかそうだなぁ。それに纏う布が1枚減ったことで、体のラインがより鮮明になるというか、大き過ぎず、小さくはない完璧なボディラインが冬服に比べくっきりと。


 夏服の白いブラウスと銀髪の相性が最高過ぎていつまでも見てられる。俺、キモ。


「…………」


 氷瀬は見るからに読書に集中している。


 ちょっと、試してみるか。


 近接の要因と単純接触の原理により、以前より俺と氷瀬の仲は深まっているはず。てか深まってないと俺が困る。ゴールは付き合うことだからね。もう新学期が始まって3か月目よ。うかうかしてたら1年経ってるって。


 よし。意を決して、おれはさりげなく座っている椅子を氷瀬の方に近づけて、人ひとり分のスペースまで縮めてみた。


 氷瀬はチラッと目線でこちらを伺うだけで、特に嫌そうなそぶりはみせずに読書へ戻った。


 なるほど、これくらいの距離は許してくれるのね。やってみてよかったわ。


 これ以上攻めようかと思ったけど、焦りすぎは禁物と恋のキューピッドが言っていたので、今日はこのくらいで。


 それから下校時刻の鐘が鳴るまで、俺は氷瀬の隣で携帯をいじって過ごしていた。


「野中君、今日もお疲れ様」


 図書室で残っている生徒にお帰りいただき、二人きりになったところで氷瀬が話しかけてくれた。


 相手から話しかけてくれる時点でそこそこ好意があると思ってしまうのは俺がチェリーボーイだから?


「氷瀬もお疲れ様」


「うん。それで野中君、この前の校舎裏でのことなんだけど」


「あ、やっぱその話ですか」


 なんとなくそんな気はしてた。


 体育倉庫の時も食い気味で訊いてきたもんな。氷瀬から話しかけられた時点で少し察してた。


「そうだよ! 壁ドン! 恋愛小説とかでしか見たことないけど、どんな感じだった!?」


 氷瀬はまたも目を輝かせて距離を詰めてくる。


 ラブコメの定番イベントに興味津々なのか?


「どんな感じって言っても、まあ色んな意味でドキドキしてたな」


「ドキドキしたんだ!?」


「あ、いや! たぶん氷瀬が思うようなドキドキじゃないと思う……」


「そうなの?」


 きょとんと首を傾げる姿もソーキュート。可愛いぜ!


「あれは恐怖のドキドキだから……」


「でもドキドキはしたんだね!」


 うーん……でもあれは間違いなく恋愛のドキドキじゃない。


 東雲神楽の暗黒面に圧倒されそうな恐怖が生んだ代物。そう、あれは恐怖以外では表せない。恋の予感は皆無だった。


「いいなぁ壁ドン……」


「氷瀬もそういったイベントに憧れてるのか?」


 女子はああいった胸キュンイベントが好きなのか? 俺はそのまま愛に押しつぶされて殺されるかと思ったけどな。


 反面教師ってわけじゃないけど、俺も氷瀬にあそこまでの愛を押し付けるのはやめよう。心の中だけで留めておこう。


「そうだね。普段読んでいる小説も恋愛ものが多いから、やっぱり憧れちゃうよね」


「普段恋愛小説読んでるんだ?」


「そうだよ。色んな恋愛小説を読んで勉強してるの!」


「勉強? 恋愛の?」


「うん。私の教科書なの! 小説みたいにドキドキすることに憧れてるんだ!」


 なるほど。氷瀬はめちゃくちゃモテているのに、更に恋愛の勉強しているのか。


 そして、憧れているということはまだ恋をしていない可能性が高い。チャンスはあるぞ伊織。


 つまり、今まで散って行った男たちは、氷瀬に恋心を抱かせる前にくたばっていったか。なんかライバルとはいえ可哀そうだな。


 まあ俺もまだそいつらと同類だけどさ。


「そうだ!」


 氷瀬は何か思いついたように手を叩いた。


「野中君、私に壁ドンやってよ!」


「は!?」


「なんで驚くの?」


「いや、え、だって、ええ!?」


 か、かか、か、かかか、か、壁ドン!? 俺が!? 氷瀬に!? え、どゆこと!?


「氷瀬って誰にでもこんなお願いするの……?」


 おそるおそる訊いてみた。


 だってこんなお願い普通ただのクラスメートにしないだろ!? ちょっと壁ドンしてよ? いいよ! いやいやならないならない。恋人同士がする会話だよこれ。


 氷瀬ってもしかしてその辺の貞操観念がお甘い? それで愛が冷めることなど微塵もないが、今後のために一応訊いとかないとね。うん。


「野中君。それはさすがに私に対して失礼じゃないかな?」


 氷瀬は不服そうに頬を膨らませた。リスみたいで可愛い。


「いや、ごめん! ちょっと今冷静じゃないわ俺!」


「こんなお願い誰にでもしないよ。野中君ならいいかなって思って言ってるの」


「――!?」


 くぁwせdrftgyふじこlp(言葉にならない叫び)。


「前に言ったでしょ。私は野中君に興味があるって。こんなのお願いは野中君にしかできないから!」


 氷瀬は笑いながら手を合わせてお願いしてくる。


 十波……お前が俺を殺したがってるのは今の氷瀬が原因なのか? 悪いな。興味を持たれてしまって。やっぱりね、俺の魅力はわかる人にはわかるんですわ。はは。


「ひ、氷瀬がそこまで言うならいいけど……本当にいいのか?」


「もちろん! どんとこいだよ!」


 氷瀬は図書室の壁まで自分から後ずさり、ワクワクした目で俺を見てくる。


 高鳴る鼓動を抑えながら、俺は氷瀬の前に立つ。


「じゃ、じゃあやるぞ?」


「うん! お願いします!」


 やっべぇ……緊張してきた。壁ドンって不意打ちでやるからドキッとするんだよたしか。


 じゃあ予告壁ドンって実際どうなの? でも氷瀬がやってくれって言うなら全然やるしってか氷瀬の顔がめっちゃ近い近い。眩しい……!


 やるぞ……やるぞ……。


「行くぞ!」


 衝撃音が図書室に響く。


 氷瀬の顔の横。数センチもない所を目掛けて手を押し付け、顔も氷瀬の目の前まで近づける。


 壁に手を押し当てた衝撃で、氷瀬の銀髪が小さくなびく。


 つぶらな瞳。女の子のいい香りが鼻をくすぐる。


 心臓が……激しく存在を主張してくる。少し黙ってろ。黙ったら死ぬけど、そこは良い感じに空気読んで静かになってくれ。


「ど、どうだ……?」


「なるほど……これが……壁ドン……!」


 氷瀬は顔を赤くするわけでもなく、うんうんと何か納得するように頷いた。


「ありがとう野中君。とっても勉強になったよ!」


「そ、そうか……」


 これ以上は俺の心臓が持たなそうだったので氷瀬を解放する。


 俺は死ぬほどドキドキしてるんだけど、氷瀬は案外冷静だな。なんか俺だけドキドキして悔しい。表には出さないだけで、氷瀬もドキドキしてるのか? そうであってほしいけど。


「また、お願いね!」


「……え?」


 またって、なに?


 だけど氷瀬はその答え教えてくれず、この日は解散した。


 氷瀬って、結構積極的なんだなぁ。

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