第21話 東雲神楽は抗えない

 それからしばらく、東雲は学校に姿を見せなかった。


 自由に生きてみろ、と生意気なことを言った翌日からサボるとは中々素質がある。


 と親の庇護下で自由を満喫している若造が言う。この生き方を認めてくれている寛大な親への感謝は尽きない。


「やあやあ伊織先輩! おっはようございまぁす!」


 校門から昇降口へ向かう道すがら、不意に雛森が後ろから俺の肩にのしかかってきた。


 朝からアホみたいにテンションが高い。


「重い……離れろ」


「冷たい!? 朝から冷たいですよ先輩!?」


 そう言いながら一向に離れようとしない雛森。このまま後ろに倒れ込んでやろうか?


 また余計な噂が流れそうだからやめた。


「いいから離れろよ」


「なんでそんな冷たいんですか!?」


「朝から好きでもない女子からのしかかられても迷惑なだけだろ? わかれよそれくらい」


「わかりたくなかったですよ!? ちぇ……先輩のいけず」


 よくわからん捨て台詞を吐いてから、雛森は俺の体から離れた。


「お前から絡みに来るのは最近にしては珍しいな。どうした?」


 自己開示作戦の間、雛森は自身の言った言葉通り、自分から積極的に俺に話しかけてくることはなかった。


 用があるときは俺の方から話しかけに行ってたからな。それが今日は急に向こうから話しかけてきたんだ。


 なにか心境の変化があったか、俺に話す用があったかのどちらかだろう。ただ雑談しに来ただけとは思えなかった。


「はい、先輩の様子をただ見たくなっただけです」


 全然雑談しにきただけだったわ。予想は大外れ。まあこいつのことを理解しようとするのが間違ってたんだな。こいつは宇宙人だからな。うん。


 雛森はおどけたように敬礼して見せた。無性にムカつくのはなんでだろう。


「二人の仲を邪魔しないようにしてましたが、やはりたまには先輩成分を摂取しないと私は死ぬらしいです」


「お、いいこと聞いたわ。今度お前が死ぬまで一旦家に引きこもるとするか」


「ちょっと!? 目の前でなに酷いこと言うんですか!?」


「積年の恨みが……」


「まだ年は重ねてないですよ!? 先輩はもっと私をですね――」


「伊織さん!」


 雛森の声を遮るように、久しぶりに感じる声が俺を呼ぶ。


 小柄な体にサラッと長いロングヘア。東雲神楽が笑顔で手を振りながら俺のところへ向かってきていた。


「お、東雲。数日ぶりだな。元気してたか?」


「伊織さん! ちょっと来てください!」


「え……は!?」


「伊織先輩⁉︎」


 東雲は勢いそのまま、俺の手を掴んで引っ張る。突然のことで俺は抵抗できず、連れて行かれた先は校舎裏。


 人気のない、静かな世界。


「伊織さん。改めましておはようございます!」


「お、おはよう」


 東雲は笑顔で挨拶をする。前までのおどおどした様子が今日は微塵も感じられない。こいつ、なんか変わった?


 見た目は変わってないけど、纏う雰囲気が少し変わった気がする。


「なんだか久しぶりな感じがしますね」


「そうだな。数日会ってないだけで不思議な感じだな」


 最後に東雲と会話したのはあのお昼ご飯が最後。


 その後音沙汰なく、今日ここに現れた。


「そうですね。でも、全部片付いたので今日から学校に復帰です!」


「全部片付いた?」


 なんのことだ?


「私、伊織さんに言われた言葉をずっと考えてました。それで気づきました。私は伊織さんの言う通りまだ何も行動を起こしてないんだって。だから私、お母さんの呪縛に抗うことにしたんです」


 東雲は柔らかく笑う。


 妙に明るく見えるのは、こいつが一歩踏み出したから?


 ということはだ。きっといい方向に事が運んだんだろう。


 俺は東雲の次の言葉を待った。


「お母さん、私が思っていたより全然雑魚でした! なので徹底的に潰しました!」


 キラキラとした笑顔で、東雲はそんな俺に想像の斜め上の言葉をお届けしてくれた。


「……ん?」


 なんか思ってたんと違う報告の始まり方をした。え? 雑魚? 今その言葉は東雲が言ったの? 秋月さんは……まだ姿を見せてない。じゃあ今のは本当に東雲が言ったの?


「なんであんな人のことを怖がっていたのか、今になると不思議でいっぱいです!」


「え……え?」


「所詮は権力をかざすだけで本人は無能でした。なので周りを少しずつ崩して行けば、簡単に潰すことができました。弱い犬ほどよく吠えるってその通りですね!」


「し、東雲……?」


 今目の前にいるのは、あの東雲でいいんだよな? なんか、中身が変わってない? いや、マジで。


「伊織さん! あなたのおかげで私は生まれ変わることができたんです! ありがとうございます!」


「あ、はい。どういたしまして」


 不思議な圧に圧倒されて後輩に丁寧語で返してしまった。


「母親を……潰した?」


「はい! 私、お母さんのこと大嫌いでしたから! スッキリしました!」


「お、おう……」


 今日イチの笑顔がこのタイミングってのはどうよ? なんか怖いんだけど。


「それにしても、自由って素晴らしいですね。どうしてもっと早くこうしなかったんでしょうか」


「伊織様」


 手を合わせて闇を含んだ笑みを浮かべる東雲。


 俺が呆気に取られていると、何もない空間から突如東雲専属メイドの秋月さんが姿を現した。


 もう慣れたせいか、俺は突然現れた秋月さんを見ても動揺しなかった。


「秋月さんは相変わらずのようで」


「はい。おかげさまで」


「それで、これは、その……どうしちゃったんですか?」


 目の前の東雲の変貌ぶり。おそらくそれを近くで見た来たであろう秋月さんに訊く。


「お嬢様は長年、奥様による教育で心を抑圧されている状態でした。それが反転したのです」


「反転……?」


「もともとお嬢様には支配者としての素養がありました。ですが、奥様には勝てないと刷り込まされた雑念が邪魔をして、ずっと実力を発揮することができませんでした。ですが」


「俺の言葉をきっかけに覚醒してしまったと」


 秋月さんは静かに首を縦に振った。


「はい。あの日の伊織様の言葉がお嬢様を東雲家の人間として覚醒させました。そして抑圧から解放されたお嬢様は、本当の自分に気づいたのです」


「本当の自分?」


「伊織さん……私、気づいたんですよ」


 ゆっくりと東雲が近づいてくる。


「私……本当は欲張りだったんです。一度気づいたら、その欲に抗えないんです」


 また一歩、闇のオーラを纏った東雲が近づいて、俺は一歩後ずさる。


「欲しいものは全部の欲しいみたいなんです。東雲家の権力のだいぶはお母さんから頂戴しました。お父さんからもそのうち貰う予定です」


 東雲が近づく度に、俺は後ろに下がる。


「自由も手に入れました。あとは――」


 後ろに下がろうとしたところで、背中が何かにぶつかった。校舎の壁だ。


 東雲は両手を壁に打ち付けて俺を包囲した。これは……逆壁ドン。


 ラブコメでよくあるやつの逆パターンだ。俺も今ドキドキしてる。でもこれは恋じゃない。目の前の女子への純粋な恐怖。


「あなたが欲しいんですよ。い・お・り・さん」


 黒く濁った瞳が俺を射抜く。


 やべぇ……俺ってばとんでもないモンスター生み出しちゃったんじゃないの?


 何がやばいって、こいつが欲しがったら大抵のものは手に入れられちゃう力を持っちゃったことなんだよな。


 自由。今の東雲は俺をはるかに超える自由と権力を手に入れてしまった。


「わ……」


 突如漏れ聞こえた第三者の声。そして聞いたことがある声。


 その方を向けば、朝から輝く銀髪をこしらえた最強美少女が手にハンカチを持ったまま固まっていた。


「ひ……氷瀬!? なんでここに!?」


「あの……東雲さんがハンカチ落としていたから届けに来たんだけど……」


 氷瀬の顔がみるみるうちに赤く染まっていき、


「ご、ごゆっくりどうぞ!」


 輝く銀髪をたなびかせ、氷瀬はいつぞやの体育倉庫での事件のように踵を返して走り去って行った。


 届けにきたハンカチはちゃんと置いて行く対応をして。


「氷瀬!? 違うんだ!? これは違うんだああああああ!?」


 東雲の腕に閉じ込められた状態で叫んでも、氷瀬には届かなかった。


「またこの展開かよおおおおおおおおおお!」


「さあ伊織さん。私と愛を育みましょう!」


「するか!? 俺は氷瀬一筋なんだよ!」


 俺は、完全無欠の美少女だと思っていた氷瀬の弱点をひとつだけ見つけた。


 氷瀬は、間が悪い。

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