第20話 飛べない鳥

「なあ、東雲。憧れているだけじゃ掴めないぜ? 本当の自由ってやつはさ」


「叶わない夢だからこそ……憧れるんです。私はお姉ちゃんみたいに自由にはなれないんですよ」


「どうしてだ?」


「私に翼がないからです。翼のない鳥は空を飛べないんです……」


 東雲は力なく空を仰いだ。


「くだらない考えだな。そうやって自分が飛べないと思ってるうちは、一生空なんて飛べないよ」


「……野中さんは私の家庭の事情がわからないからそんなことが言えるんです」


「そうだな。俺は基本的に俺のことしか考えられないからな。自己犠牲とか、そんなの一生ごめんなスタイルだ」


 俺は基本的には俺のことしか考えていない。今までもそうやって生きてきた。


 自己犠牲。自分が何かを我慢することで誰かを救う行為。世の中では美徳とされる傾向があるが、俺からしたらそんなのクソくらえだ。誰かを救って悦に浸りたい奴が勝手にやればいい。


 だからこそ、心から自分を犠牲にして他者へ奉仕する人を凄いと思う。俺にはできないこと。それができる人のことは尊敬するし、興味だって持つ。

 他者の目を気にしての自己犠牲じゃない。他者の目を気にするわけでもなく、誰かを救って悦に浸るわけでもなく、ただ自然と自分の意志で自己犠牲ができる純粋な善の心を持った人間。人生の中で、初めて出会った存在。その存在に、その眩い光に俺は魅了されている。


「まあ、最近はそれじゃダメだって少し反省してるんだけどな」


 俺はそれで失敗したから。独りよがり過ぎるのはよくない。氷瀬には全幅、それ以外の人は1ミリ程度、相手のことを考えなくてはならない。


 これも、その部類に入るのかもな。


「そうなんですか?」


「何が言いたいかって言うとだ東雲。人は変わろうと思えばいつだって変われるんだよ」


 俺は理由をつけて諦める奴は好きじゃない。


 やりたいことがあればやればいい。何もしない今の自分を正当化するために、やらない理由を探して諦めている奴に構ってやれるほど俺の人生は暇じゃない。


「だから諦めるのはまだ早いんじゃねぇの?」


 どんな事情があるにしろ、自ら飛ぶことを諦めたらその時点でもうゲームセットだ。


 だからまずは自分の心を変えないといけない。


 それになんとなく、俺は何かに縛られてる人を見るのがあまり好きじゃない。これは完全に俺の個人的趣向だけど。


 東雲に色々言うのも、結局はそこなんだろうな。


「そ……そんなこと言われても……」


「色々事情があるにしたって、本気で自由を求める意志のない奴が自由になれるはずなんてない」


「東雲家は、野中さんが思っているような単純な世界ではないんですよ」


 怒りの籠った目が俺を睨む。


 結構好き放題言ってるけど、秋月さんが俺を仕留めにくる気配を感じない。絶対どこかにいるはずなんだけどな。


「でも、お前の姉貴はそのしがらみをぶっ壊していったんだろ? ならできないことじゃない」


「……それは」


「お前が自分を諦めているうちは絶対に飛べはしない。自由ってのは、本気で求めるやつのところにしかやってこないんだよ」


「私は……」


「どんな事情があるにしろ、自由を求める権利は誰にだってある。憧れてるだけではだめだ。しがらみがあるなら、抗う意志を示さないとだめだ。籠の中の鳥で甘んじているうちは、お前は絶対に飛べない」


「私は飛べると思いますか?」


「それを決めるのはお前だよ東雲。本気で自由になりたいなら、まずは抗ってみろ。そうすりゃ新しい世界が見えてくるはずだ」


「私が……抗う……」


 うわ言のように東雲は呟く。少し、喋りすぎたかな。


 自由は、それを求める者にしか掴めない。


 空は、飛べると思わなきゃ飛べない。


 大事なのは自分がどうしたいかだ。


 自由になりたいなら、邪魔するものには本気で抗うことだ。


 まあ、俺と東雲では抗うレベルが違うのはわかる。俺が今どれだけ無茶苦茶なことを言ってるかはわかる。それでも、まずは自分の心を変えなければその先はないんだ。


 これは、意志の話だ。


「東雲家という籠に一生囚われたままで甘んじるかは、お前の意志次第だよ東雲」


 俺は揺れる東雲の瞳を見つめた。


「俺の勝手な意見を言えば、お前はもっと自由に生きていいと思うぜ。自分の人生なんだ。どんなしがらみがあろうと、生きたいように生きた方が幸せだと思う。でも、それを決めるのはお前だ。自分の人生、どう生きたいかは自分で決めるんだ」


「私の人生……どう生きたいか……」


「人が生きられる時間は有限だ。それなのに、自分がやりたくないことに時間を費やすなんてもったいないだろ? そんな時間は少ない方がいい。俺はそう思うよ」


「私は……」


「ま、これは俺の自論だけどな」


 真面目な話をしたせいか、豪華な昼ご飯の味を覚えきれずに昼ご飯イベントは終了した。


 先に戻った東雲を見送る。自己開示。己の内を相手に解き放つことで親密感を上げるワザ。


 一応俺も思うことをしっかり伝えけど、果たしてこれで仲は深まるのか。結構忖度無しで好き放題言ったぞ?


「野中様」


「うぇ⁉︎」


 不意に後ろからの声。俺は意識外からの声に肩を震わせて振り返った。


「秋月さん……急に現れるのやめてもらっていいですか?」


「申し訳ありません。普段は影の中に潜んでおりますので」


 え? それどういう意味って訊いていいやつ? 


 なまじ本当に突然現れるから、影の中に潜んでいるをどう解釈すればいいのか判断がつかない。


 秋月さんはこの前のように俺を絶対殺してやるといった殺意はなく、どこか悠然とした雰囲気だ。どうやら今日は敵視されてないらしい。マジ助かる。あんなのもう御免だからな。


 てっきり東雲に好き放題いったから殺されるかと思ったんだけど。実は背中に汗が滲んでたり。


「この前は大層失礼を働き申し訳ありません。まずは先日の非礼をお詫びさせてください」


 秋月さんは深々と頭を下げた。


「俺に頭なんて下げる必要ないですよ。あなたはあなたの仕事を全うしようとしただけです。誤解が解けたならそれだけで十分ですよ」


「……ありがとうございます」


 世の中には謝れない人間ってのが多数存在するからな。謝ったら死ぬ系のやつね。あれは最悪だね。自分で選んだ選択が間違ってたなら、ケツは自分で拭かないといけないのに、それをしないんだから。


 それに比べたら、間違えてましたごめんなさいができるだけでも立派な人間だと思う。いや俺は何様って感じだけどさ。


「いいんですか、俺に感謝して? 俺結構彼女に酷いこと言いましたよ?」


 諦めている本人の神経を逆なでするようなことを言った。家のことなんかきにしないでお前のやりたいようにやれってさ。


 東雲は超大企業のご令嬢。俺が自由に生きるそれとはわけが違うのなんてわかってる。だけど、それを承知の上で俺は自由に生きればいいと言った。自由に生きたいと思う意志に、家は関係ない。まずは本人の意志。大事なのはそこだから。


 秋月さんは東雲の専属メイドだが、それでも雇い主は東雲の親御さんだろう。だから、結局は家の利益を優先しないといけない。俺の言ったことは東雲家にとっては不利益なことだろう。超ざっくり言えば、家なんか知ったことかよ、ってことだからな。


「問題ありません。私は野中様と同意見ですので」


「へぇ……」


 意外な言葉に、意図せず声が漏れた。


「私は、メイドとしては落ちこぼれでした。あるのは腕っぷしだけ。本来のメイド業務の適正はあまりありませんでした」


 ああうん……それはなんかわかるわ。


「メイドとして不適合の烙印を押され、とうとう東雲家のメイドに相応しくないと言われて、追い出されそうになった私を救ってくれたのはお嬢様でした。こんな私を、今も専属メイドとしてずっとお側に置いてくださいます」


 秋月さんは過去を懐かしむように穏やかな表情で語った。この人、こんな表情もできるのか。


 いや、ファーストインプレッションが酷すぎただけで、こっちが本来の秋月さんなのかもしれない。


 今の口ぶりから察するに、この人が東雲ラブなのは間違いない。そりゃ大好きなお嬢様に軽口を叩く男がいたら殺したくなるわな。わかるわかる。


 つまり俺にとっての氷瀬ってことでしょ? 気持ちはよくわかるよ。なあ十波?


「私は東雲家のメイドですが、忠誠を誓っているのはお嬢様だけです。もしお嬢様が家に反抗するときが来れば、戦う覚悟はできております」


 決意の籠った瞳。


「なんでその話を俺に?」


「今のお嬢様はずっと自分を抑圧して生きています。東雲家のため。その心に縛られています」


「それがどう今の話に繋がるんですか?」


「そう言われるとうまく説明できませんね」


 秋月さんは小さく口元を緩めた。


「ですが、野中様ならお嬢様の手を引いてくれると思ったんです」


「俺は諦めてるやつの手を引っ張ってやれるほど優しくないですよ?」


「手厳しいですね。諦めなければ手は差し伸べるんですよね?」


「さあ、それはどうでしょうね? ただ、自分の言葉には責任を持ちますよ」


 風が中庭を撫でて、秋月さんは前髪をおさえる。


「野中様が言う通り、人は変わる生き物です。今日と言う日がお嬢様にとって転機になるような、そんな気がします」


 その言葉は、数日後に本当になってしまうことを、俺はまだ何も知らない。


 そして思う。もし時が戻るなら、俺はここに戻ってきたいと。数日後の俺は切に願うのだった。

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