第19話 自己開示

 謎の美人メイド襲来事件からしばらく。すんでのところで命を長らえた俺に、東雲がこの前の非礼を詫びたいと言ってきた。


 おどおどしながら上級生のクラスに来る様に、クラスの連中はまるで親心を持ったかのように温かい眼差しを向けていた。


 ただまあ、相手が俺だって知った瞬間のあいつらの顔と言ったらもうね。次は東雲に手を出すのか? みたいな懐疑心を感じたよね。俺は氷瀬一筋だっつーの。


 氷瀬はなぜかワクワクしたように俺たちを見ていた。嫌われてはなさそうだけど、何を考えているか全くわからない。


 そして中庭。お詫びにお昼ご飯をご馳走させてほしいとのこと。


 東雲は雛森にも声をかけたそうだが、やつは断ったらしい。


 だから今中庭には俺と東雲だけ。正確には俺の視界に入らないところで秋月さんが見張っているんだろう。


 秋月亜希さん。東雲の専属メイド。普段は影となり東雲の護衛をしているらしい。それは学校公認ってことでいいんだよな?


「野中さん、いただきましょうか」


「そうだな」


 中庭のテーブルにはいかにも高級そうな弁当箱に、いかにも高級そうな料理が詰め込まれている。エビとかさ、これすごい大きくて高そうなやつなんだけど。写真でよく見るやつなんだけど。


 まず食材の輝きが違う。すべてが光り輝いてる弁当とかアニメでしか見たことないんだけど。え? 現実? 普通に話しているけど、東雲は一般人のそれとは違うことをまじまじと見せつけられている気分。


 いつも食ってる昼ご飯何日分だろうな。下手したらこの一食で半年分くらいのコストかかってそう。


「あの……食べないんですか?」


 弁当が見るからに高級過ぎて戸惑う俺を、心配そうに見つめる東雲。


 普段なら自販機の飲み物とか即決して迷わない俺でも、さすがに迷う。


「い、いただきます……」


 別世界の食べ物。持っている箸が震える。これが武者震い……!


 せっかくなら一番目立つものを攻める。俺は弁当の中で特に異彩を放っていたエビを掴んで口に運ぶ。


「……こ、これは!」


 口に入れた瞬間、そこに広がったのは母なる海。潮の流れに沿って揺れる海藻。自由にゆったりと泳ぐ魚。まるで自分が海の中にいると錯覚するような絶妙な塩加減。俺が今まで食べてきたエビは本当にエビだったのか、俺の概念が根底から揺るがされる。これが、本当のエビ?


 うまい。うますぎる。もう一般の味じゃ満足できない体にされちゃう。一口目でこの満足感なのやばくない?


「もしかしてお口に合いませんでしたか? あまりいい食材を用意できなかったと料理長が言っていました」


「あまりいい食材じゃない? これが?」


 控えめに言って今まで食ってきた食べ物の中で一番うまいけど? おふくろの味が消し飛んだんだけど? ごめんな母さん。今までは母さんの料理が一番だよとか言ってきたけど、もう言えないかもしれない。


 料理長って……家にお抱えの料理人いるのかよ。しかも料理長直々に毎日弁当作るの? 俺は東雲家のスケールのでかさにおののく。


「東雲って、マジで住んでる世界が違ったんだな」


 そう言いながら、食べ物を摘まむ手を止められなかった。もうたぶん食えないであろう弁当。先ほどまで迷っていた俺は馬鹿だ。これは堪能しないといけないやつだ。


 それにしても、まさか弁当で東雲と俺たちのステージの違いを思い知らされるとは誰が想像しただろうか。


「そんなことないですよ。私は、生まれたのがたまたま東雲家だっただけです。私はただの神楽ですよ」


「そんなこと言ったら俺だってたまたま野中家に生まれただけだ。運も実力のうちって言うように、お前が何て言おうとお前は東雲家の人間だよ」


「それでも、私は一般人が良かったです……」


 消え入りそうな声で東雲は言った。


 ここで俺が取れる選択肢は2つある。深く訊くか、訊かないか。


 まあいつもだったらそうか、で片付けるところだが、今回はそうもいかない。


 ここいらで試しに一歩踏み込んでみるか。


「どうして?」


 俺は理由を訊いた。


「私が、自由な世界にあこがれているからです」


「今はできてないってことか?」


「はい。東雲家ってしがらみが多いんです。それが嫌でお姉ちゃんは出て行ってしまいましたけど」


「姉がいたのか?」


「はい。去年までこの学校にいたんです。とても自由で、私の憧れの人です」


「じゃあお前もそれに倣って自由に生きればいいじゃんか。人の自由は誰にだって侵害されるものじゃないだろ?」


 俺なんてまさに自由の化身だぜ?


 友達に縛られることなく、ただ自分のやりたいように生きる。授業をサボりたくなれば屋上に行ってサボるし、好きな子ができたら一直線で攻めて失敗したりした。


「……ダメですよ」


 東雲は薄く笑った。


「私は東雲家の人間ですから。人の上に立つものとして、様々な教育を受けなくてはなりません。たとえやりたくないことでも」


「……」


 金持ちには、一般人とは違う世界がある。それはなんとなくわかる。


 だけど、俺からすれば今の東雲は抗うことを諦めているように見える。東雲家の人間だから、そう言って自分を言い聞かせているような、そんな風に見えてしまう。


「でも学校の中だけは私は自由でいられます。ライトノベルだって学校でなら読むことができます。それだけで、私は満足なんですよ」


 諦めたように笑う東雲に、俺はなんて言葉をかけようか考えていた。


 自己開示。自分の内面を相手に話すこと。深い情報を相手に打ち明ける程心の距離は近いと言える。


 東雲は今自分の内面を俺に話している。なるほど。昼ご飯を一緒に食べるようになればそこそこの仲と言っていいんだな。


「ひとつ訊いていいか?」


 俺は自分の考えを東雲に言う前に、先に自分の疑問を解決することにした。


「なんでしょうか?」


「お前、なんでも断らない女子って言われてるけど、それはどうしてだ?」


「この学校の中でなら、私は自由だからです。誰かにお願いされて、私の意志でその手助けをして、誰かが笑顔になる。それが嬉しいんです」


 それは、本当の自由ではないと彼女は気づいていない。いや、もしかしたら。


 今の東雲は籠の中の鳥が籠の中で放し飼いにされていることを自由と勘違いしている。水槽で泳ぐ魚が自由だと言えるか? 言えないだろ? 今の東雲はただ自分が自由だと思い込んでいるだけ。外では自由がないから、この小さい檻の中での出来事を自由だと思っているだけだ。


 東雲は本当の自由を知らない。本当に自由な奴は、諦めたような笑みなんて浮かべないんだよ。


「……東雲家の人間だって、ここ以外でも自由を求めていいんじゃねぇのか?」


「……え?」


 自己開示にはもうひとつ要素がある。


 それは自己開示の返報性と言われるもの。自己開示をしてくれた相手に対して自分も自己開示をしようとすること。


 せっかく東雲は自分の心の内を話してくれたんだ。お返しに少しだけ、俺の心の内を話してやろうじゃないか。

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