第18話 メイド
シンクロニシティ。偶然も、それが重なれば「運命かも」と感じるようになる現象、らしい。雛森が言っていた。ある意味これも、錯誤作用によって好きの感情を誤って認識している、と言えなくもない。自分たちの感情が学問で理論立てて説明されると、有能だと思う反面、それに頼りすぎると冷たい人間になりそうに思える。これは心理学に基づいて……なんていちいち解説されたらそいつのこと嫌いになりそうだろ? そういうことよ。
知識は知識として取り入れ、それをいかに自然に行えるかが実践の大事なところ。
そんなわけで校舎内の自販機前。見慣れた黒髪と小柄な姿。天下の東雲グループがご令嬢、東雲神楽様その人だった。
以前は自販機の前でどうしていいかわからなくてキョドっていたが、今日は真剣な表情で自販機とにらめっこしていた。
あの東雲グループのご令嬢が自販機で真面目な顔をする。やはり、どんな肩書きを持っていようが、所詮は人の子。
「よお。今日はちゃんと買えそうか?」
「あ……野中さん。こんにちは」
軽いテンションで話しかければ、東雲は返事をしてから小さく頭を下げた。その所作は幼少時から英才教育を受けてそうなほど整っている。屋上の時も思っていたが、同じ人でも教育の水準は倫理観ブレイク女のそれよりも上級だな。
「東雲も飲み物買いに来たのか?」
「はい。今度こそ自分の力で自動販売機を使おうと思ってきました!」
東雲は両手を握ってフン、と鼻を鳴らした。自販機ってそんな気合入れるもんじゃない。
「あれ、私もということは野中さんも?」
「そりゃ自販機に来たら目的は飲み物を買う目的しかないわな」
「そ、そうですよね。偶然ですね……」
「そうだな。俺たち、意外と波長が合うのかもな」
「あう……」
頬を朱く染めて目を逸らす東雲。変なこと言ったつもりはないんだけど、どうかしたのか?
まあ、ここに来たのは偶然じゃないんだけどな。
今は昼休み。東雲が財布を持って出て行ったと、ある筋からの情報を入手したのでちょっと探検してみた。
この校舎で財布を持って出かけるとしたら、購買か自販機の2択。
初めて会った日のことを考えて、自販機かなぁと思って来たらビンゴ。
自己開示。それをするのもされるのにもある程度の信頼関係が必要になる。じゃあどうすれば仲良くなれるのか。それは以前に習った『単純接触の原理』と『近接の要因』を使うのがいいだろう。そして最近習ったシンクロニシティ。
偶然を装いつつ接触し、おまけに接触する回数も増やして相手の好感度を上げる。一番効率のいい作戦だ。
ただあれだな、こうして理論を立てて東雲に接触している俺は、彼女を実験の道具扱いしてるってことになるのか。今やっているのは、全て氷瀬という本番に向けた実証実験。雛森にクズと言いつつ、それに乗っかっている俺もクズと言えなくもない。
もしこれで東雲を傷つけてしまったら、その時は雛森と東京湾に沈められるとしよう。
「その……野中さんは何を買うんですか?」
東雲が伺うような上目遣いで訊いてくる。
「そうだな。特に決めてなかったけど……」
「よければ先にどうぞ。何にするか決めきれなかったので」
「そうか? じゃあお言葉に甘えて」
自販機のメニューを眺める。この前は優しさを求めたけど、今日は何を求めるか。
お金を入れて、パッと目に入った炭酸飲料のボタンを押した。今日は当たらなかったみたい。
「ほい、どうも。お次どうぞ」
オレンジの炭酸飲料を取り出して、東雲に前を譲る。
迷っていると言っていた東雲だったが、場所を譲ればすぐにお金を入れて飲み物を買っていた。
小銭ではなく、入れていたのは千円札。万札じゃなくなっただけ大成長なのだが、それでもやはりお札を使うのか。
俺は自販機ごときにお札を入れると負けた気分になるけど、東雲的にはそれがスタンダードなのね。まあ自販機がお金を飲み込んだ時に嬉しそうな顔してたから何も言うまい。
「俺と同じものにしたのか?」
「はい。その……お嫌でしたでしょうか?」
彼女が受け取り口から取り出したのは俺と同じオレンジの炭酸飲料。
東雲は困ったように目を泳がせている。べつにそんな強く言ったつもりないんだけどなぁ。
どうにも怖がられているような気がする。こんなんで仲良くなれるのかね? それを何とかするのが今回の目的か。
「いやべつに。偶然一致しただけだろ? それ結構うまいぞ」
「ほんとですか? 楽しみです! それに、私ちゃんと自動販売機使えましたよ野中さん!」
どうだ。と言わんばかりに東雲は目を輝かせている。
今この日本に生きている人のほとんどは、あの東雲グループのご令嬢が自販機を使えたことで喜ぶとは思っていないだろう。
これは貴重な光景である。しかと刮目して目に焼き付けよ!
「はは。自販機を使えるだけで喜ぶ高校生なんてお前くら――」
い、と言おうとしたところで、不意に首筋に冷たい何かが触れた。
「貴様……先ほどからお嬢様に無礼が過ぎますよ? 死にたいんですか?」
ドスの効いた低い女性の声。いつの間にか背後に人が立っている。こいつ……気配がなかったぞ!?
首には冷たい何かが当たっていて、顔を動かせない。視線だけ下に向ければ、それはキラリと光る一振りの短刀だった。
「え、待ってなにこれ!?」
俺今首筋にナイフ当てられてるんですけど!? てか後ろの人誰!? いつ出てきたの!? 俺知らないうちにかごめかごめしてた!? 後ろの正面引き当てちゃった!?
「お嬢様を舐めているんですか? 返答次第では殺しますよ?」
いや怖い怖い怖い怖い。選ぶ言葉がいちいち物騒過ぎる。一般人に刃物当てながら言っていいセリフじゃないからそれ。
「無言は肯定と捉えます」
「理解が追い付かないから言葉が出なかったんだよ! あとシンキングタイム短すぎんだろ!? さてはお前最初から殺す気だろ!?」
「なんだ、知能はしっかりあるようですね? ならば尚更生かしておけません」
「亜希! なにしてるんですか!」
「お、お嬢様!? どうしてそんな大声を!?」
東雲が今まで聞いた中で一番の大声を出すと、後ろからうろたえた声が聞こえてくる。
「あなたがその人に危害を加えようとしているからです! 早く離れなさい!」
「で、ですが……私はただお嬢様を愚弄するゴミを排除しようとしてですね」
そのうろたえた様子は体にも現れていて、俺の首筋に当てているナイフが小刻みに震えている。
まてまて。動揺するのは勝手だが間違えてスパッと行くなよ!? 俺本当に死んじゃうぞ!?
てか俺学校外の人にもゴミって言われなきゃいけないの? いや今はどうでもいいよ!?
「亜希! 二度は言いませんよ!」
それは、俺が彼女を見てきた中で一番意志の籠っていた目をしていた。他者に有無を言わせない威圧感を内に秘めた言葉。
大企業を統べる者の子供が持っていておかしくない威厳を感じた。
なんだ、そんな目もできるのか。
「……失礼しました」
冷たい感触が無くなり、体から緊張感が抜ける。
首筋を触ってみても、特に血がついているとかはなかった。生きた心地がしなかったんだが?
「野中さん! 私のメイドが失礼しました!」
がばっと地面に頭が着きそうな勢いで頭を下げる東雲。
後ろを振り返れば、秋葉原にいるようなメイドではなく、ロングスカートで落ち着いた雰囲気のあるクラシカルなメイド服を着た女性が俺を睨んで佇んでいた。
顔は若く見え、年齢もそんな離れているようには見えない。
「亜希も謝って!」
「お騒がせして申し訳ありませんでした」
顔は全然謝る表情ではないほど仏頂面のメイド。しかし所作だけは完璧にして俺に頭を下げた。
セミロングの髪をひとつ結びで下げているメイドは言った。
「私、神楽様専属メイドの
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