第16話 次のイベント

「さあさあ伊織先輩! 恋愛心理学の時間ですよ!」


「あぁ……」


「なんですかその気の抜けた返事は!? やる気あるんですか!?」


「ないかも……」


「なんでですか!? いいんですか? 氷瀬先輩を攻略するんじゃないんですか!?」


「いやなんかもうそれ使わなくてもいける気がしてきたんだわ」


 放課後の屋上に集合する俺たち。雛森が作戦を考えたと言うので久々の集合。


 だけど、俺の心はこの広い大空に溶けて消えてしまったようだ。今の俺は魂の抜けた器。


 氷瀬との仲が進展している予感にテンションの上がる俺の心。そんな彼はこの小さい器では満足できなかったらしい。一回り大きくなって帰って来いよ。雲の切れ間から覗く青空に敬礼!


「いやなんで空に敬礼してるんですか?」


「はぁ……理解力の乏しいお前にも教えてやろう。俺と氷瀬の仲ってやつをよ」


「え……なんかすごいムカつく顔してる」


 俺は雛森にこの前の図書委員で話した内容を伝えた。


「もうこれは恋愛心理学を使うまでもなくゴールは近いだろ」


 あの感じなら告白したら行けるんじゃね? 氷瀬の心のペナルティエリアに侵入してるでしょこれは。


 もう触るだけでゴールできるよな。宇宙開発するつもりなんかないからさ。


「そうやって浮かれて告白して失敗してきた人がこの世に何人いるんでしょうね? 伊織先輩ってもしかして女の子に優しくされたらすぐに好きになっちゃう男子ですか?」


「いやいや、俺と氷瀬はそんなんじゃないだろ」


「はぁ……」


 雛森は心底呆れた様なため息を吐いてから、蔑む瞳を俺に向けた。


「いいですか伊織先輩、よくいい感じな雰囲気なのに告白したら振られる現象を耳にしませんか?」


「俺友達少ないからその辺わかんね」


「友達は私も少ないですよ! 一般論の話をしているんです!」


「はいはい。それがどうかしたのか?」


「あのですね、人間の男女では友情と恋愛感情のラインが違うんですよ。とある心理学者は、女性は、異性に関する対する友情と恋愛感情を男性よりも区別して考える傾向があると指摘しています」


 雛森はお手製の恋愛心理学ノートを開いて読み上げる。勤勉なやつだ。


「氷瀬先輩の好意は本当に恋愛感情だって言えるんですか? ちょっと仲良くされているからって浮かれてるんじゃないですか? 私にはそう見えますよ」


「それは……」


「まあそれでも挑むのであれば止めませんけどね。先輩の意思決定を止める筋合いは私にはありませんから」


「お前よくそんなこと言えるな? 恋のキューピッドを押し売りしてるやつが言えるセリフじゃないだろそれ」


「それとこれは話が別ですよ。恋のキューピッドに関しては先輩の意思決定なんて必要ないので」


「お前は誰の恋のキューピッドなのか、胸に手を当ててから1回考えてみろよ」


 恋のキューピッドってボンビーみたいに強制的に装着されるもんじゃないからな。


 本来は助けてほしい人がいて、助けたい人がいて、そのマッチングがあって初めて生まれる関係性だからな。


 その辺わかってる? わかってなさそうだな。


「まあべつに先輩がこの関係を解消したいならそれでもいいですけどね」


「ほぉ……じゃあ――」


「その代わり、体育倉庫であったことを噂ではなくしてあげますよ!」


「……脅すのか?」


「伊織先輩のためです。ポジティブに勇み足で進むのを否定しませんが、ここは同じ女子の意見を聞き入れて踏みとどまってください。もう少し相手の内側を知ってからの方が確実性は高いです」


「俺は何回告白してもいいんだけどな」


「それでもいいですけど、何回も告白したら相手だって慣れて淡白に対応されちゃうかもですよ?」


「……それは一理あるな」


 人間は慣れる生き物だ。東雲神楽っていう非日常な登校をしている女子が居ても、今は誰も気にすらしていない。


 それと一緒で何回も告白したら、もはや挨拶みたいになっちまうってことか。盲点だった。たしかにそうだな。


 まあそれなら、こいつの言葉を聞き入れるのもやぶさかではないか。


「わかった。お前の言うことも理解できたし、俺もそう思った。お前の意見に従うよ」


「はい! 私もいけると思った時は止めませんから、まずは地道に仲良くなりましょう!」


「それで、次はどんな作戦を考えてきたんだ?」


「そうですね。次は『自己開示』に挑戦してみましょう」


「自己開示? 聞いたことがあるようなないような」


「では説明しましょう」


 雛森はノートをペラペラとめくって、話を始めた。


 曰く、自分の経験や内面を相手に打ち明けること、つまり自己を開示をすれば互いに好感を持ちやすくなる。という心理作用らしい。


「自分や相手の深い情報に関わるほど、お互いに親近感がわくんですよ。伊織先輩は氷瀬先輩の深い情報ってなにか知ってるんですか? たとえば二人だけの秘密とか?」


「いや、全然」


 そう言われると、俺は氷瀬の深い情報を何も知らなかった。


 それはそうだし、氷瀬も俺の深い情報を知っているかと言えばそうではない。


「ほら、だからまだまだなんですよ。特別な関係になるにはお互いなんでも話せる状態は必須です。これは心理学的にも証明されています!」


「なるほど。でもいきなり自己開示されてもされる方は困るよな」


 いきなり、俺の深い話を聞いてくれ! とか言われても、普通は「?」となる。


 例えば、俺が十波に急に自己開示している姿を想像すれば、それが無意味なことはすぐにわかる。


 きっと返ってくる言葉は、「で? 死ねば?」である。無情。


「伊織先輩の言う通り、仲の良さにも当然段階があります。出会ったばかり、知り合い、友達、みたいな距離感の違いですね」


「これ結構むずくね?」


 距離感なんてもんは個々人が勝手に決めている節がある。


 俺が友達だと思っていても、相手はそう思ってなかったり。往々にしてあり得る展開だ。気まずくなるやつね。俺は友達ほぼいないからそんな感情生まれないけどさ。ただまあ、なんとなくこいつら距離感違いそうだなってやつは見てきたから。


「はい。ですからいきなり氷瀬先輩に実践しろとは言いません」


「どういうこと?」


「吊り橋効果実験の下見。結局トキメキは生まれませんでしたが、私はひとつ学習しました」


「それは?」


「実験ですよ。その説が本当に有効な手段となるか、ちゃんと実証実験をするんです! そうしたら確実性があがります!」


「あ、うん……」


 言いたいことはわかる。すべての理論や法則が生まれるまでにはそれはもう大層な実験が繰り返されたことだろう。


 だから実験の重要性は俺にもわかる。


 だけど、俺の歯切れが悪いのは、これが恋愛心理学の実験だからだ。


 物理や化学の実験なら、金属や薬品を使って行うだろう。だが、こと心理学においては金属や薬品は出てこない。心理学の主役は人間なんだ。じゃあそれで実験って言ったら。


「ということでお呼びしましょう! どうぞ!」


 雛森は全身を使って屋上のドアを注目させるように手を向けた。


 その声の後、扉を開けて出てきたの小さな女の子。自信がなさそうにオドオドしながらゆったりとした足取りで向かってきた。


 雛森の掛け声で出て来たってことは、ずっとそこでスタンバイしてたんだ。お疲れ様。あとで雛森夕陽被害者の会でも作ろうか?


 でも、実験っていったらやはりそうなるか。


 そして、その女の子を俺はよく知っている。いや、たぶん全校生徒が知っているかもしれない女の子だった。


「というわけで、今回協力してくれる東雲神楽ちゃんです!」


 ババーン! と手のひらをクルクルしながら雛森は彼女を紹介した。


「その……東雲神楽です。よろしくお願いします!」


 東雲は丁寧に頭を下げる。こいつ、自分がなにさせられるか理解して来てるんだよな?


 あと雛森、薄々気づいてたけどお前結構クズだよな。

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