第10話 吊り橋効果実証実験①
「遅いです! どこで油売ってたんですか!」
雛森が腰に手を当ててぷりぷり怒りを露わにしている。
「油売ってたというか、自販機の使い方がわからない少女の相手してた」
「なんですかそのバレバレな嘘は? そんな高校生いるわけないじゃないですか!」
「そう思うよな」
でもいたんだよ。現実にいたんだよ。俺もいまだにちょっと信じられない。
「そうとしか思えませんよ!」
雛森は俺より先に屋上へ来ていて、扉の前でちょこんと体育座りして待ってた。
そんなに時間を使ったつもりはなかったけど、思ったより使ってたみたい。
彼女は俺がサボったんじゃないかと不安になったから怒っている。もうちょっと信用して。約束を守る倫理観は持ってるからさ。
「雛森、世の中には自分の知らない世界が大きく広がってるんだよ。俺も今日それを知った」
「え……本当にいたんですか?」
俺があまりにも真面目に言うもんだから、雛森も嘘ではないと思いはじめたらしい。
「いたんだよそれが。自販機に万札突っ込んで失敗してるやつが」
「万札!?」
「しかもそれより小さい金は持ってないって言ったんだよ」
「なんですかそのセレブは……でも、たしか今年の1年生にとんでもないお金持ちがいると聞いたことがあります」
「とんでもないお金持ちね。同学年のお前は知らないのか?」
「知らないですね。少なくともまだクラスが同じでない人のことはあまり知りません」
「それもそうか」
「まあ、その話はここまでにしましょう!」
雛森は会話の流れを区切るように一度手を叩いた。
「伊織先輩。次なる作戦を考えて来ましたよ!」
「だろうな」
屋上で話すとき、それは大体恋愛心理学作戦に絡むものだから。
「ここまでの先輩は運よく氷瀬先輩と距離感を縮められそうな環境を整えて来ました」
「氷瀬への愛の力を持ってすれば、たやすいことだ」
「ですので、ここで一発攻めてみようと思います」
「攻める?」
「はい。題して、吊り橋効果作戦です!」
その作戦は、俺でも聞き覚えのある言葉だった。
次の日。放課後、俺たちは屋外の体育倉庫に侵入した。
「体育倉庫って……またベタな……」
「いいじゃないですか! そのベタが本当に実践できるか調べに来たんですから!」
体育倉庫。サッカーボールや野球道具、ハードルや高跳び用のマットなど、様々な体育道具が収納されている部屋。見上げた先に小さな窓がいくらかあるだけで、日当たりがいいとは言えない。それにちょっと埃っぽい。
思いのほか涼しいこの部屋に、俺たちは吊り橋効果作戦の下見に来ていた。
「吊り橋効果作戦。まさかここまでコテコテの作戦だったとは」
体育倉庫に閉じ込められる。ラブコメでは定番のイベント。
大体いい感じのところで友達が助けに来て、若干気まずくなったりするあれ。
「さすがに本当の吊り橋はこの辺にはありませんからね。ここはベタもありでしょう」
「そうは言ってもな。まずここで閉じ込められる可能性がどんだけあんだよって話だろ」
「まあまあ。それを含めて事前に確かめようとしてるんじゃないですか」
雛森はなぜか入口の扉を閉めた。
内側からカギをかけられないから、閉めたところで特に意味はない。
入り口から差し込んでいた光が遮断され、明るさが一段と減った。
窓から差し込む光りがあるから、まだ中の状況を確認できる。当然電気は通ってないので、夜になれば真っ暗で何も見えなくなるだろう。
「なんで扉を閉めたんだよ?」
「言ったじゃないですか実験だって。実際に閉じ込められた体で状況を確認しないと意味がないです」
「まず前提が難しすぎる方に目を向けろって。どうやってここに氷瀬と二人で来るんだよ?」
体育祭とか、生徒会の都合とか、体育倉庫に閉じ込められるには、事前に相応のイベントが必要だ。
俺と氷瀬は図書委員。もろに文科系。体育倉庫と縁がなさすぎる。それでどうやって氷瀬を連れてくればいいんだよって話。
「そこは……まあ頑張ってください!」
「一番大事なところじゃねぇのか……?」
雛森の作戦は立案までなら納得できることが多いけど、詰めが甘いんだよな。
この前の委員会決めだって、俺の氷瀬への愛で乗り越えたけど、もし図書委員になれなければ作戦終了だったからな。
今回もまさにそれ。氷瀬、ちょっと体育倉庫行こうぜ? とか言えばいいの? そのまま警察連れてかれそうなんだけど。十波の通報でな。
「今回も愛の力でなんとかしてください! 愛があれば大丈夫ですよ!」
「言葉が軽いんだよなぁ。気持ちがこもってない」
「む……まあこの後どうするかは、吊り橋効果作戦が有効かを調査してからでも問題ないですよ。それに、いざとなれば二人を拉致してここに閉じ込めちゃえばいいですしね!」
「えぇ……」
「冗談ですよ」
犯罪だろそれ。なんで笑顔で言ってんのか俺にはわからない。
冗談とか言ってるけど、冗談に聞こえないからたちが悪い。なんかその気になったら雛森はマジでやりそうな雰囲気を感じた。笑ってるけど目がマジだった。いや、まさかな。
「つっても、やっぱ閉じ込められる状況ってそう簡単にできないんじゃないか?」
「氷瀬先輩をここまで連れてこれたら、私がカギを閉めますから大丈夫ですよ」
「どうやって?」
「これを使ってです」
雛森は制服の胸ポケットから光る金属を取り出した。ギザギザの小さい金属。カギだ。
「それは?」
「体育倉庫のカギです。この前学校から拝借して合鍵を作ってきました!」
「……は?」
「恋のキューピッドを名乗るんです。準備は怠りませんので安心してください!」
「いやいやいやいや! 待て待て待て待て! 急にぶっ込んできたなお前⁉︎ 思いっきり犯罪じゃねぇか!? 安心とか以前の話だろ⁉︎」
合鍵を作った? 行動力の化身かよ!? おもっくそ犯罪じゃねぇか!?
恋のキューピッドとかの前に人として終わってるだろそれは!?
焦る俺とは裏腹に、当の雛森はとんでもないことをしてるくせに、「私、なにかやっちゃいました?」みたいな顔できょとんとしている。いや、何かやっちゃってるんだわ! お前マジでやべぇな!?
「犯罪? それは悪事がバレた人のことを言うんですよ。バレない犯罪は犯罪じゃありません」
「え? お前の倫理観どうなってんの!?」
「どうもなってませんよ? 私は恋のキューピッドとしての職務を全うしているだけです!」
なんでそこで満面の笑みを浮かべてんだよ!? 俺の理解が追い付いてないだけで、もしかして俺がおかしいのか!?
こいつ……もしかしなくてもやべぇ奴だ……。倫理観がバグってやがる。
今までそんな片鱗を見せなかったのに……急にぶっこんできやがったな。
「ちゃんと最後まで責務は全うしますから、伊織先輩は安心して私の作戦を実行してくださいね!」
「え……あ……はい」
もうなんて言っていいかわからなかった。こんな時、どんな顔をすればいいの? 笑えばいいと思う。笑えなかった。
違約金を払ってでも契約を破棄した方がいいような。こいつが次の罪へ手を染める前に、なんとかしないといけない。
だが、恩返しを押し売りしてくるような奴だ。俺がもういいと言ったところで止まるとは思えない。
じゃあどうする? それは早く契約を終わらせるほかない。つまり、俺が氷瀬に告白することだ。
それは当初の俺の目的。叶えたいこと。だけど、またひとつ他の理由もできてしまった。恋のキューピッドが暴走しないうちになんとかしないといけないっていう、本末転倒な理由が。
そうなると恋愛心理学作戦をしっかりと遂行しないといけないということか? 別の角度から逃げ場が無くなったんだが?
以前雛森は俺への恩返しと言っていた。
え……じゃあこの倫理観崩壊モンスターは俺が作ってしまったってこと!? なんてことしてんだよ以前の俺!?
「あ、そろそろですね。少し静かにしていてください」
記憶にない過去の過ちを後悔していると、何かに気づいたような雛森が突然俺の唇に人差し指を当てた。
耳を澄ませば、足音が近づいてくるような音。そして――
ガチャリ。カギが閉まるような音が響いた。
「……え? 何が起きた?」
「このくらいの時間になると用務員さんが体育倉庫のカギを閉めに来るんです。だからさっき扉を閉めておいたんですよ。中に私たちがいるってわかったら追い出されちゃいますからね」
「は!?」
体育倉庫の扉を開けようとしても、ピクリとも動かなかった。
本当にカギが閉められている。
「私たち……閉じ込められちゃいましたね。伊織先輩?」
恋のキューピッドによって、意図して作り出されてしまった密室空間。
中からカギは開けられず、絶対絶名な状況。
だというのに、なんでお前は楽しそうに笑うんだ?
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