第9話 浮世離れ

 しばらくした日の放課後。雛森からの呼び出し。


 あいつは日直の仕事があるとかで少し遅れるらしい。


 だから俺は適当に飲み物でも買ってから向かおうとしたんだけど。


「……あう。ど、どうすれば……」


 校舎の自販機。その前でなぜかフリーズしている女の子がいた。


 雛森と同じくらい小柄な少女は、長い黒髪をこしらえ、へっぴり越しで自販機と向かい合っていた。


 自販機ってそんな怖がるもんでもないだろ。


 だけど彼女は自販機とにらめっこして動かない。


「なあ、どうしたんだよ? 買わないのか?」


 しばらく遠くから眺めていても動きがないので、仕方なしに話しかけた。


 すると彼女はビクッと小さく飛び跳ねてから恐る恐る振り返り、その瞳には光る雫がたまっていた。


 え? 俺そんな圧強かった? ごめんて。氷瀬に挨拶してから教室を出ようとしたのに十波が邪魔してきたから、ほんのちょっとだけ内なる怒りが表に漏れちゃったかな?


 おい十波。お前のせいでいたいけな少女が泣きそうになってんだろ。


「す、すみません! じゃ、邪魔でしたか!?」


「いやべつに。俺も飲み物買おうと思ってたけど、お前が中々買わないからどうしたのかと思っただけ」


「す、すみません……」


「謝んなくていいよ。機械が故障でもしてんのか?」


 自販機の前でフリーズするのは機械の故障しか考えられない。と思って自販機を見たけど、普通に販売中だった。


「故障してないな。え? じゃあお前どうして自販機の前で困ってんの?」


「その……自動販売機の使い方がわからなくて……」


 少女は泣きそうな顔で俯いてしまった。


「……ん?」


 なんか今すごいこと言わなかったこの子?


「自動販売機の使い方がわからない?」


 俺が確認するように言えば、少女は俯いたまま小さく首を縦に振った。


 お……おう。言葉に詰まる。まさか高校生にもなって自動販売機の使い方がわからない人に遭遇するとは思わなかったわ。


「いや、普通にここにお金入れて好きな飲み物押せばいいんじゃないの?」


 俺はお金の投入口を指さして説明するも、少女は困ったような顔をするだけだった。


 日本語は通じてるから日本人だよな? ならこれ以上の説明は無理なんだけど。


「その……全然お金に反応してくれないんです……」


「なるほど。じゃあお金吸い込む機械が壊れてんのか? いれようとしたのは小銭? お札?」


「これです」


 少女が財布から取り出したのは一枚のお札だった。


 だけど、それは俺たちがよく見るお札ではなく、この日本の通貨で一番大きいお札だった。


「1万円!? え、お前馬鹿なの!? 自販機は千円だろ!?」


「す、すみません! これより下のお金は持ってないんです!」


「これが一番最大級のお金だよ!? これより下のお金の方が種類多いけど!?」


 こいつ……やべぇやつだ。何かがおかしいと俺の本能が警鐘を鳴らす。


 1万円しか持ってないってどういうこと? てか財布めっちゃ煌びやかなんだけど。もう絶対お金持ちのお嬢様じゃんこの子。


 この学校には色んな人がいると恭平から聞いていたが、本当に凄いのいたわ。びっくりだよ。自販機に万札とか浮世離れしすぎだろ。そりゃ自販機も恐れ大過ぎて飲み込めないわ。おつりが用意できないもんな。


「す、すみません! 初めてなので使ってみたかったんです!」


「お前ぶっ飛んでんな――⁉︎」


 なんだ、後ろからすごく恐ろしい気配が!? と思って後ろを見たけど何もいなかった。


 ……今の殺気は? でも、やっぱり人は後ろからの気配には敏感に反応できる。


「まあいいや。万札じゃ自販機使えないから今回は諦めろ。次は千円札にするんだな」


「そ、そうなんですね……」


 少女は寂しそうにしゅんとしていた。


 見ず知らずに奴に飲み物奢るほど俺は人間ができてないからな。許してくれ。


 若干の気まずさを残しつつ、飲み物を購入。今日は優しさに満ち溢れている麦茶にしよう。最近世間が冷たい分、麦茶くらいには優しくしてもらいたい。


 俺が麦茶のボタンを押せば、自販機が軽快な音を鳴らして抽選を始める。


 当たり付き自販機。当たりが出ればもう一本。ちなみに俺は当たったのを見たことがない。


 これ本当に抽選してんの? とか思いながら数字を見つめれば、自販機には同じ数字が4つ綺麗に並んだ。


「え……当たった」


 初めて見た。自販機のボタンがお金を入れた時のように光り、もう一本好きなものを選べる状態になる。


 チラリと後ろを確認すれば、少女は興味深そうに自販機を見ていた。


 雛森用に持って行くのもやぶさかではないが、あいつにあげるくらいなら、後ろで羨ましそうにしているお嬢様にあげた方が気分がいいよな。


 なんとなく気まずかったし。


「なんか無料でもう一本くれるみたいだから、好きなの選んでいいぞ」


「え⁉︎ い、いいんですか!?」


 少女の目が途端に輝いた。


「ま、特別な」


 そう言うと、少女は輝いた目で自販機の飲み物を眺めていた。さながら、おもちゃ屋のガラスケースを見つめる小さい子供のよう。


「ど、どれにしましょうか……!」


 自販機ごときでそんなに楽しそうにできるのは凄い。本当に初めて買うんだなってのがわかる。


 尻から尻尾とかブンブン振るのが見えそうなくらい興奮しているの伝わってくる。


「よし、決めました!」


 取り出したのはレモンの炭酸飲料だった。


 少女は大事そうにそれを抱えている。それ、君が持ってるお札なら70本以上買えるんじゃないかな?


「よかったな。じゃあ俺行くから」


「あの、ありがとうございました!」


「いいよ。ただ運がよかっただけだし」


 深く頭を下げる少女に別れを告げ、俺は屋上へと向かった。

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