第2話 襲来の昼休み

 教室。2年生のクラス。朝から妙に視線を感じる。なんというか、男子からは哀れみのような何かが籠められている気がした。女子は……まあいいや。


 なんでこうなったのかは言うまでもない。朝の一件がクラス中に知れ渡ったんだろう。


 いやほんとはこんなはずじゃなかったんだよ。今頃は氷瀬とキャッキャウフフな学園生活を送っている予定だったんだよ。


 野中君、私たちこれからどうしましょうか? みたいな予定だったんだよ!


 遠く離れたところに座る氷瀬に視線を向ける。一番後ろの俺の席からも、氷瀬の姿はよく目立つ。はぁ……麗しい。


「……!」


 目が合った。氷瀬は俺に小さくはにかんでから前を向いた。


 目が……合った? 俺と目が合うには氷瀬は自分の意志で後ろを向かなければならない。それが意味するところ、つまり氷瀬は意識して俺を見ようとしたということ。それしかない。だって前の席の人は用事がなければ後ろを振り返ることなどしない。


 おいおい。どうやらまだ氷瀬を俺を見放したわけではなさそうじゃないか。


 氷瀬のボディーガードを自称している女子、十波となみにもの凄い睨まれたけど、そんなの気にならないくらいテンションが上がった。


「俺にもまだチャンスはある……!」


「よっ! 不戦敗男!」


 神に感謝の正拳突きをかまそうとしたところで、聞き馴染みのある声に振り向いた。


「恭平……なんだその不名誉な称号は?」


「お前が今呼ばれているあだ名」


「俺そんな風に呼ばれてるの?」


「氷の乙女へ挑む前に敗北した初めての男と話題になってるぞ。あとは彼女持ちなのに告白しようとしたゴミカスって言ってるやつもいた」


 飄々と、とんでもないことを言ってくるこいつは後藤恭平ごとうきょうへい。1年生からの付き合い。


 それにしても情報が早すぎる。朝から大立ち回りするとこうなるのか。


「ん? 彼女持ちなのに告白しようとしたゴミカス? それは誰だよ?」


 氷瀬へ挑む前に敗北した男。それは間違いなく俺のことだろう。でも、もう1個は違う。俺は生まれてからこれまで彼女とかできたことないし。初めての彼女は氷瀬っていう心に決めた女神がいるから。それ以外の女子には興味ないから。


「いや、それもお前のこと」


「はあ!?」


 大声でクラスの視線を集めた。氷瀬は……あ、全然こっち見てくれてないわ。悲しみ。


 変わりになんか十波が舌出して俺を馬鹿にしてるのだけ見えた。ぶっ飛ばすぞ。この世は男女平等だからな。


 十波は氷瀬に近づく男を毛嫌いしている。俺なんて今日まで道端の石ころみたいな扱いだったのに、氷瀬にちょっかいを出した途端これだからな。わかりやすい奴だ。


 私だけの可愛い氷瀬なんだ。とでも言いたいのか? それは俺が言いたいセリフだった。


「え、どういうこと?」


 わざとらしく咳払いをひとつ入れてから聞き直す。


「ほら、氷瀬に告白しようとしたとき可愛い女の子に抱きつかれてただろ? あれ、一部ではお前の彼女ってことになってるぞ?」


「え……嘘だろ?」


「嘘じゃない。俺の情報に偽り無しだ」


 かけてもいない眼鏡を持ち上げる仕草。エア眼鏡がキラリと輝いた気がした。俺の目も悪くなったみたいだな。でも氷瀬の美しさを見るときは常に視力2.0の鮮明さを持ち合わせている。恋は心眼だから。


「それはギャルゲーの親友ポジション的な意見か?」


「その通り。ギャルゲーの親友ポジを目指す俺にとって情報は何よりも大事なんだよ」


「そっすか……」


 よくわからない感性だった。ギャルゲーの親友ポジってことはこいつはずっと主人公にはなれないんだよな。南無。


 ただ厄介なのは、ギャルゲーの親友ポジを自称するだけあって本当に情報通なところなんだよ。


 恭平が言っている。それはつまり本当にその情報が回っているということ。


 これは本当にやばい。今日初めて会った女が俺の彼女扱いされるとか最悪の事態だ。


 あいつ妙に慣れ慣れしかったけど実は死神だろあれ。俺の学園生活を詰ませに来てるだろ。もう2年生編開始早々、いきなり3手詰めくらいまで追い詰められてるんだが? プロ棋士もビックリの寄せの速さ。


「氷瀬はこの情報を知っているのか?」


 大事なのは氷瀬がこれを耳に入れているかどうかだ。入れていたらほぼ投了。


 誤解を解こうにも十波が邪魔して教室では碌に話しかけられないだろう。


 だからこそ朝を狙って告白しようとしたんだ。まあ、結果はご覧のあり様だけどさ。


「俺情報ではもう耳に入ってるだろうな」


「…………」


「お前の評価は地の底だ。親友」


 さよなら。俺のバラ色の学園生活……いや待てよ。


「地の底……それはつまりあとは上がり目しかないってことだよな?」


 評価がどん底。つまり言い換えればこれ以上落ちることはない。


 考えようによっちゃこれからは評価が上がるだけなんだから勝算しかないのでは?


 不良が一般人に戻っただけで喝采されるように、マイナス評価の俺がゼロに戻ったらそれは評価爆上げになるのでは?


 そんでプラス評価になればゼロから評価を上げた奴より上げ幅が大きい分有利になるのでは!?


「おいおい……最高の展開じゃねぇか」


「お前って氷瀬が絡むとアホみたいにポジティブ思考になるよな。ちょっと尊敬するわ」


「褒めても正拳突きしか返せないぞ?」


「いらねぇよ」


「で、お前は朝のあいつを俺の彼女だと思ってんの?」


「そんなわけないだろ。デマをデマと見抜けないと情報通は名乗れないぜ? お前を見てれば氷瀬にしか目がないのは一目瞭然だから」


「だよなぁ。はぁ……どうしよ」


 これからどうやって氷瀬の評価を上げようか考えながら午前中の授業を過ごした。


 そして昼休み、またまた事件は起こった。


「えっと、野口? お前の彼女が呼んでるぞ」


 クラスの男子が俺に話しかけてきた。まだクラス替えして間もないから名前が思い出せない。ごめんなクラスメイトA。


 でもお前も俺の名前間違ってるからおあいこな。野中が正解だから。真ん中の棒が一本足りない。惜しかったな。


「……は?」


 彼女……それって氷瀬が俺を呼んでるってこと? 違った。願望が先走り過ぎた。氷瀬は十波と二人で普通に昼ご飯を食べている。いくら積めばそこに入れてくれますか?


「彼女って……俺に彼女はいない」


「いやでも、入り口で朝お前に抱きついてた女子が来てるぞ? あれお前の彼女じゃないの?」


 なに? お前もあの大惨事を見てたの? てか意外と見られてたんだな。氷瀬しか目に入ってなかったから気がつかなかった。


「それデマだから。俺は生まれてから一度も彼女ができたことはない」


 こうした小さな積み重ねを繰り返して嘘を消していこう。人の噂もなんとやらで時間が解決してくれると言うが、それじゃ遅すぎる。本当なら今すぐにでも全校放送で身の潔白を証明してやりたいくらいだけど、さすがに氷瀬にこれ以上やばい奴扱いされたくないから踏み出せない。


「いや、それ堂々と言えることなのか? まあいいや。とにかくお前ご指名の客が来てるってだけだから。それだけ言いに来た」


 そう言ってクラスメイトAは自分のグループに戻って行った。


 クラス替えをして、みんなまだどこか探り探りなご様子。こうして雑談に花が咲くわけでもない。同じ部活の人、1年の時から友達だった人、そんな感じでグループができている。


 己の立ち居振る舞いをどうするか探っているんだろう。下らないことだ。そんなことを考える暇があったら、氷瀬の美しさについて勉強する方がまだ有意義だと言うのに。


「恭平……俺に客だって」


「いってらぁ」


 さっきから空気に徹していた恭平に話しかけると早速梯子を外された。


 面倒ごとの匂いがすると奴はすぐに距離を取る。親友……俺も着いて行ってやるよ、とは絶対ならない。リスクマネージメントが完璧すぎる。さすがギャルゲーの親友ポジ。お前にイベントは起こらない。


「はぁ……」


 ため息交じりに教室の入口を見れば、そこには今朝俺の夢を打ち砕いた死神の姿があった。


「あ、伊織先輩!」


 小動物のような見た目をした彼女は、俺と目が合うとパァっと目を輝かせてブンブン手を振ってきた。犬かな?


 まじで彼女に見えるからやめてほしい。氷瀬に見られたら死ぬんだが……。


 チラッと氷瀬の方を見れば、いつの間にか入口にいる死神を見てた。ふう! さよなら現世!


 このまま来世に期待して死のうかと思ったけど、そうしたら次の世でも氷瀬と会えるかわからないので思いとどまった。


「可愛い後輩ちゃんがわざわざ会いに来てあげましたよ!」


 なんで上から目線なん? てかまじで彼女みたいだからやめろや!


 このままじゃまずい。


 俺は勢いよく席を立ち、コンビニで買った昼ご飯を持って足早へ教室の入口へ。


「ちょっと来い! あともうお前黙っとけ! これ以上誤解の種を撒くな!」


 死神の手を取って俺は自分の教室を後にする。


「い、意外と大胆ですね伊織先輩!?」


「うるせぇ! あそこにずっといられたら困るんだよ!?」


 生意気な後輩の声はどこか上ずっていたが、俺はそれどころではなかった。


 早くこいつを教室から遠ざけたかった。だって教室には氷瀬がいるから。


 去り際の教室を振り返る勇気が俺にはなかった。氷瀬がどんな顔で俺たちを見ているのか、知りたくなかった。


 とにかく、この死神にお灸を据えてやらんといけん。そんなこんなで俺は二人きりなるべく、奴の手を掴んだまま走った。


 走っている最中、死神は妙に大人しかった。

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