第35話
『刺繍が趣味なんて、あいつ女子かよ』
それは昔、偶然聞いてしまった陰口。
親友を信じ、趣味を打ち明けたのに、彼は嘲笑っていた。
今でも、あの顔と声が忘れられない。
親友からすれば、軽い陰口のつもりだったんだろう。
ぼくも、軽く流せばよかったんだろう。
だけど、それができなかった。
それだけ刺繍は、ぼくにとって大切なものだったんだ。
刺繍は、亡くなった祖母から教わったものだ。
最初こそ難しかったけど、ぼくはあっという間にその虜となった。
そんなぼくを、おばあちゃんはとても嬉しそうに見ていたっけ。
祖母が亡くなった後も、ぼくは刺繍を続けた。
刺繍が趣味だったのもあるけど、ぼくはおばあちゃんを忘れたくなかったんだ。
だから刺繍は、ぼくとおばあちゃんを繋ぐ絆みたいなものだった。
それを蔑ろにされ、ぼくは酷くショックを受けた。
以来ぼくは引き籠もってしまい、そして……。
そこでぼくは、頭を振った。
過去を振り切るように。
こんな事ができるのも、お姉さんのお陰だ。
(だって、お姉さんは……そんな事、言わなかった)
ぼくの事を嘲笑わず、勇気をくれた。
それがどんなに凄い事か、お姉さんは気付いているのだろうか。
玲奈さんだって、お姉さんと一緒にいたなら、分かっている筈だ。
ぼくよりももっと、お姉さんの良さを知っているに違いない。
(それなのに、なんで……)
ぼくは堪らなく悔しくて、俯こうとする。
しかし、視界の隅に映ったお姉さんの姿に、慌てて顔をあげた。
お姉さんの姿は、店の外にあった。
店内から飛び出した彼女は、手すりをすり抜け、下に飛び降りようとしていたのだ。
ぼくらは死人だ。死ぬ事は決してない。
だけど、お姉さんは死してなお、死にたいと願ってしまったのだ。それほどまでに、あの事実は彼女を追いつめた。
ぼくは慌てて駆け寄ろうとするけど、この距離じゃ間に合わない。
「お姉さん……!!」
それでも、ぼくは必死に手を伸ばした。
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