第8話 逃亡テロリスト傷害事件-外伝04

 オリンピック記念塔の上から見られている事など知るよしも無く、美大生は軍人 くずれに挑戦状を叩き付けた。


「来な、ぶっ潰してやるよ」


 そう言った彼女の目から、一切の感情が消える。

 元軍人の勘で、ピンモヒと仇名あだなされたショッキングピンクのモヒカン頭の長身は、相手の変化を見逃さず、一歩踏み出す事ができなかった。

 ただのテロリストではない。だから、ここまで生き残ってきたと言う自負もある。しかし自分よりも年下であろう女を相手に、そう我慢し続けられるものではない。うなり声に怒りがにじむ。


「どうした? ぶっ殺すのでは無かったのか?」


 全く感情を込める事無く、リクルートスーツ姿の美大生が言う。

 そんな彼女のセリフと、相手のかもし出す無機質な空気に、ピンモヒこと1962番宇宙の軍人 くず富末とみすえは、今まで感じた事の無い恐怖を味わっていた。


「ひとつ教えてやろう。お前が手にしている日本刀はな」


 まゆひとつ動かさず、自称美大生の光井栄美みついえいみは淡々と語り始める。


「ただ振り回しても武器として意味が無い。ここは合戦の場では無いのだから。先ほど、ただの高校生に叩き落とされたようにな」

「うるぜい! この……」

「怒りに任せて、また振り回すのみか? せめてマトモに構えてみせろ。こんな風にな」


 そう言いつつ、彼女は日本刀の正しい構え方をエアで見せつける。


「黙りやがりぇ!」


 悔しさをにじませながら、ピンモヒは同じように刀を握り直した。


「そうだ。そして、ここをねらえ。首筋を一刀両断できれば、この頭が宙に舞うぞ」


 恐ろしい事を何の感情の変化も無く告げて、栄美えいみは自分の頸部けいぶを指し示す。


「ここだ。どうした? まだ動けんのか?」


 感情が込められていない分、揶揄やゆされていると思わざるを得ない富末とみすえが、うなりを上げて白鞘しらざやの長ドスを振りかぶった。


「くだぶぁれぇ!」


 聞き取りにくい絶叫を上げて、ピンモヒが彼女の白く美しい頸部けいぶ凶刃きょうじんを振り下ろす。

 全く避ける事無く、自称美大生は薄笑うすえみを浮かべながら、自らの首を差し出すような仕草を見せた。

 そこに振り下ろされた長ドスの刃が、斜め上から頸動脈けいどうみゃくを切り裂く。はずだった。


「う、うごがねぇ」


 動かない。全力で振り下ろされた白刃はくじんは、栄美えいみの首の皮一枚で止まっている。そこから刃が進む事は無かった。

 よく見ると、一筋の切り傷は付いている。まさに皮一枚、だが一筋の血潮さえ流れ出してはいない。


「ここまで、か? 終了だな」


 全く感情をともなわない声が、切断されるはずだったのどを動かす。

 軽く頭を振る彼女の動きが振動をともない、刃を伝わって富末とみすえの腕に届いた。


「そ、それば……」


 ピンモヒは目を見張る。

 腕にも伝わる振動で動いた刃の下、一筋の傷口の下には赤い筋肉は無かった。西の空の残照を受けて茜に光るそれは、紛れもないうろこだった。


「でめぇ、ごの世界の者じゃぁ……」


 富末とみすえうめきをさえぎるように、自称美大生の左右の手の甲が自らの首に張り付くような長ドスの刀身をはさむ。

 軍人 くずれが力一杯押し付けてくる刀を強引に引きがし、ねじるように刃を下に向けて、はさんだ手の甲をゆっくりと内側に寄せながら、彼女はつぶいた。


「終了だ」


 リクルートスーツの女性は靴を脱ぎ捨てた足を地面に踏み下ろす。地響きさえ聞こえるほどの衝撃と同時に、裂帛れっぱくの気合が彼女のくちびるから生まれた。


はぁっ!」


 高い金属音を響かせて、硬質な白銀のきらめききがスケートパークに飛び散る。富末は刀を握ったまま、その手を頭上にかかげるが如くね上げてしまうほどの衝撃を受けた。


「ば、ばがな……」


 しびれの残った腕を目の前に下ろしてきて、思わず声がれる。

 粉々に砕け散った白鞘しらざやの刀の、わずかに残った刃を呆然ぼうぜんと見下ろすピンモヒの耳を、再び感情の無い声が打ちえた。


「投降しろ。黙秘権だけは保証してやる」

「うるずぇえぇ!」

「うるさい、か? お前がな」


 使えなくなった武器を投げ捨て雄叫びをあげながら拳を振りかざす男に、彼女は再び足を地面に踏み下ろす。

 地響きと共に打ち出されたてのひらが、ピンモヒの腹筋に触れた。


「ぐぇっ……」


 醜悪な嗚咽おえつを上げて、軍人 くずれはひざから崩れ落ちる。腹を押さえて、富末とみすえは肩で荒い呼吸を繰り返した。


「でめぇ!」

「何をやった。そう言いたいのか? 言ったはずだがな、ぶっ潰してやる。と」


 中指を立てる仕草と無表情な視線のアンバランスさに挑発され、雄叫おたけびを上げつつ軍 人崩くずれは栄美えいみに突進する。


はぁ


 先ほどよりもおだやかに聞こえる吐息といきが彼女かられ、踏み出してきた富末とみすえの胸板に、その華奢きゃしゃな手が伸びる。

 当たると言うよりも、触れると言う方が正しい一撃が、先ほどより凶悪な悲鳴を引き出した。

 自分よりも背の高い男が無様ぶざまに崩れ落ちるのを、栄美えいみは何の興味も示さずに見下ろす。 


「ぶぁが……なぁ……」

「馬鹿は、お前だ」


 男のつぶやきに自称美大生、光井栄美みついえいみは感情の一切篭いっさいこもらない感想をべる。


「お前らは素粒子生命体、自らの構成組織の間隔を広げて物体を透過とうかする。物体は、な」


 彼女の声に、皮肉の笑いが混じった事に気付き、ピンモヒの仇名あだなを付けられた軍人 くずれは顔を上げた。


「振動、衝撃。そういった伝播でんぱする波動は逃がせないんだろう? さっき、あの子に刀を叩き落とされた時、自分が弱点 さらした事に気付かなかったのか?」


 再び感情を排した声で、リクルートスーツ姿の女性は解説する。立てた親指で、後ろで気絶し倒れている高校生を指し示した。


「あの子も気付いていたさ。もう少し武術に精通していたら、地べたで気を失ってたのはお前だったろうよ」


 お前は、あの高校生より弱い。言外に示された事に怒りを爆発させ、ピンモヒこと富末とみすえは自称美大生に向かってタックルをかけた。


「遅い」


 立ち上がりかけた軍人 くずれの、ショッキングピンクのモヒカン頭に向けて、栄美えいみは手の平を振り下ろす。

 生み出された振動で声すら上げられず、白目をむいて富末とみすえは再びひざを付き、ついに意識を失った。

 前のめりに突っ伏したピンモヒには目もくれず、きびすを返して自称美大生は倒れたままの高校生に歩み寄る。


「ごめんね。ここまでやらせるつもりは無かったんだけど……君にはまだ、言えない事が多過ぎて」


 膝を折り、そっと時保琢磨ときやすたくまの頭を抱えて起こし、彼女はそうささやいた。


「思いっきりうそついてるよね、私」


 そう言いながら、青あざだらけのれた顔を、彼女は自らの胸に抱いて目を閉じる。


「さっきの君の視線、ちょっと傷ついてたんだぞ。露骨に残念そうな目をしてさ」


 自身、豊満な方だとは思っていない。いや、腰から下、足の付け根より上、だけが人よりりの有る方だと言う自覚は有る。

 いや、大腿部だいたいぶも結構、かも知れない。

 それでも全体に、ボリュームのとぼしい細身なのだと思う。華奢きゃしゃと言えば聞こえは良いが、上半身に自信は無い、特に。

 で有ればなおの事、他人の負の視線は幾分いくぶんでも気にはなる。同性は元より、男子高校生のものならば別な意味で。


「そのくせ……」


 許さん! お姉さんに謝れ!


「あんな事、真顔で言う?」


 琢磨たくまの叫びは、彼女の琴線きんせんに触れたらしい。

 再び開いた光井栄美みついえいみひとみには、様々な感情が渦巻いていた。

 先ほどの戦闘時とは裏腹に、限りなく優しい視線を注いで、自らの胸から離した高校生の顔をのぞき込む。

 こんな気持ちになったのは、久しぶりだ。そう感じながら彼女は、琢磨たくまの乱れた前髪を整えた。


「君は……」


 そこまで口にして、彼女の目からまた、感情が抜け落ちる。

 静かに高校生の頭を地面に降ろし、リクルートスーツの女性は音もなく立ち上がった。


「何か用? 今更」


 感情が抜け落ちた、ではなく、今度は感情を押し殺した声が、美形の自称美大生かられ出る。

 いつの間に彼女らの後ろに立っていたのか判らない、倒れ伏したピンモヒのかたわらに男がた。


「回収だな」


 渋い低音が彼女の耳を打つ。

 背を向けたまま問いかけられた男は、彼女の腰まで裂けたスカートを物色するでもなく、別な意味の好奇の視線を向けていた。


「そう。ならさっさと連れて帰って」

「今しばらく見ていたかったのだが」

「悪趣味」


 相手の言いたい事を理解して、光井栄美みついえいみは振り返る。その首筋の傷からのぞうろこを、最後の残照が鮮やかにきらめかせていた。

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