第5話 特殊指定動物密輸事件-05

「くそっ! すでに消えて、どこかにひそんでやがったのかよぉ?」


オッサンの吐き捨てるようなつぶやきで、俺も銀八さんも状況が飲み込めた。

こめかみに当たる銃口の冷たさに、母の顔がこわばるのが見て取れる。


「これは……まずい事になりましたね」


今回はイケメンで終始にこやかだったガス人間8号さんが、同じくこわばった表情で、腕時計のふたに手を掛けようとして止まった。


「動くな!おかしな動きをするな!」


何も無いはずの空間から、男の声が響く。

その声に反応し、母の首が動く。その視線の先は何も無い。ただ拳銃けんじゅうだけが虚空こくうに浮いていた。

有り得ない光景に、母の緊張の糸は切れてしまったらしい。気を失ったと同時に、力を失った体は糸の切れたマリオネットの様に、後ろに倒れ込む。

その瞬間、なつめのオッサンこと1398番宇宙の時保琢磨ときやすたくまが、け出していた。


「テメェ!」

「動くな! この女がどうなっても、いいのかっ!」


気を失った母の体を支えきれず、共にヘタリ込んだのだろう透明人間が再び怒鳴どなる。オッサンは前のめりになりながら、動きを止めるしか無かった。


「彼の手錠をはずせ!」

「彼、だとぉ?」

「この、ニセ和尚おしょうさんの事のようですよ。棗武志なつめたけしさん」


銀八さんが指さす先に、袈裟けさを着たまま気を失って、すでに元の状態に戻ったインド人ハーフが居る。


「私の社員だ! 手錠を外せ!」

「自分で正体を明かしていますね。素人しろうと、は間違いないでしょう」


冷静に言うイケメンの横で、俺はこぶしを握り締めて、立ちすくんでいた。


「どうすれば……」


ニセ総理事件の時は、俺でも役に立てた。でも、今回は何もできない。足手まといにしかなれない。


「くそぅ……」


つぶやいて、走り出そうとした俺を、銀八さんが止めた。


「動かないように、貴方あなたの母上の為にもね。琢磨たくまくん」

「銀八っあん……」

「そんな情けない顔しなくても、大丈夫ですよ」


1637番宇宙の俺ことガス人間8号さんは、さわやか過ぎる笑顔で告げると共に、あの腕時計をはずし始める。

何をやっている! そんな透明人間の怒声どせいにも耳を貸さず、銀八さんは俺に時計を渡す。


「これもはずさねば、なりませんね。リミッター付きでは、多分ダメでしょうから」


そう言いつつ、右手の念珠ねんじゅのようなブレスレット、さらにネクタイをはずすと、ゆっくり俺に手渡した。


「ここからは、私に任せてください。何が起ころうと、決して動かないように」


さわやか通り過ぎて、透明な笑顔。とでも言うしかない。


「少し離れていてください。できれば棗武志なつめたけしさんの方に寄って」

「何を……」

「私を信じて。いいですね?」


その言葉に俺は、うなずいた。

満足そうに笑う銀八さんは、一度だけなつめのオッサンの方を見て、ゆっくりと我が母と見えない犯人の方へとみ出す。

言われた通り、俺もゆっくりとなつめのオッサンの方に近付いていった。


「う、動くなぁ! この女が、どうなっても……」

「その女性をってしまったら、君……命の保証は、できませんよ」


小学生の時と同じく、こわいセリフをサラッと口にして、ガス人間8号さんは歩みを決してやめない。


「来るなぁ!」


声の裏返った絶叫と共に、空中に浮いた銃口が、銀八さんの方に向く。

銃声が木霊こだました。しかし当たらない。


「君、素人しろうとですね。こんな事やめなさい、今なら引き返せますよ」

「う、五月蝿うるさいい! 来るな!」


再び銃声。今度は銀八さんの右肩をかすめる。


「おぃ!ガス……」

貴方あなたは、まだです!」


なつめのオッサンの呼びかけを制して、ガス人間8号さんは、宙に浮くオートマチック銃に向かってさらに近付いて行く。

続けざまの銃声が、境内けいだいに響くなか、銀八さんの体に穴が開き続けた。


「だ、大丈夫?!」


俺のマヌケな問いかけに、銀八さんは左手を上げて振った。


「痛いですよ、もちろん。でも貴方あなたがたのように即死は、しませんからね」


開いた穴かられ出る煙が、同じような色に変化してきた午後遅い空に立ち昇って行く。


「オッサン、何とか……」


ならないのか!と言うはずの俺の声は、しぼんで消えていった。

とんでもなく恐ろしい形相ぎょうそうで、1398番宇宙の俺こと、コードネーム棗武志なつめたけしは、撃たれ続ける、もう一人の自分をにらみつけている。


「こ、こわっ……」


カマキリみたいなグラサンの奥に見えるひとみが、燃え上がってるみたいだ。

俺のつぶやきも耳に入らないオッサンは、ガス人間8号さんが撃たれる度に、つぶやいている。


「数えて……る?」


オッサンのくちびるが、数をきざんでいた。

また、何度目かの銃声が聞こえる。

すでに何個もの穴が体中に開いて、流石さすがの気化生命体も、苦痛に顔がゆがむ。

あの煙は、銀八さん自身なんだと俺でも気付く。今、大量出血と同じ状態で、阪本銀八ことガス人間8号さんは、宙に浮く銃口の前に立っていた。


「ここまで、です」

「う、うるさい! 来るなぁ!」


透明人間の雄叫おたけびと共に、また轟音ごうおんが。


「銀八っあん!」


至近距離での発泡で、気化生命体の下腹部に、これまでに無い大きな穴が開く。

くぐもった銀八さんの、うめき声が聞こえた。それでも、宙に浮くオートマチック銃に向かって、左手をばす。


「来るなよぉ!」


見えない犯人の絶叫と共に、更なる銃声が……鳴らなかった。今度は。

ただ、トリガーを引くカチカチと、銃弾が無くなった事を知らせる小さな音だけが、耳に付く。


「マカロフPMの、装弾数そうだんすうは、最大で、9発。今のが、最後、だったんですよ」


苦しげに、しかし皮肉っぽく、そう語る銀八さんの腹に開いた穴から、ガスが吹き出している。

それは心なしか、赤く染まっているように見えたんだ。


「後は、お任せ、します……なつめ、さん」

「おぅよ。任されたぜぇ!銀八ぃ」


俺の横に居たはずのなつめのオッサンが、透明人間の死角に回り込んでいた。


「いつの間に……」

ダッシュしていたのか判らない。それ程のスピードで、1398番宇宙の俺ことなつめのオッサンは、パニクって空中で様々さまざまな方向に向く銃の斜め後ろから迫る。


「三千世界のことわり! 物理法則の全てにおいて、我はこの地に顕現けんげんす! 気は我に答えよ」


再びの決めゼリフによって、色付きガスがうずを巻いて拳銃にまとわり付き、そこに有るはずの腕を浮かび上がらせた。

それは次第しだいい上り、透明人間の実体をあらわにして行く。


「逃がすかぁ!」


拳銃けんじゅうを放り投げ、逃げ出そうとして我が母の重みで身動き取れない犯人の頭上に、祖父の形見の代用品である杖を振り下ろし、オッサンは叫んだ。

見事な面打ちが決まり、赤い色付きガスに染まって姿を現した、1438宇宙の個人貿易商は昏倒こんとうする。


「やっと、終わりました、ね」

「まぁな。身を切る芸、しかと見せてもらったぜぃ」

「言うに、事欠いて……」


それだけつぶやいて、らぎ始めた輪郭りんかくのまま、ガス人間8号さんは気を失って、前のめりに倒れこんだ。

その頼りない体を、しっかりと受け止めてなつめのオッサンは、ぼそっとつぶやく。


「お疲れさん。無茶し過ぎだがよぉ、助かったぜぇ」


それを耳にしながら、俺は恥ずかしくも泣きそうになりながら、二人に向かってけ寄ったんだ。

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