第3話ボクは見た

 すみちゃん、澄ちゃん。

あの日、一度会っただけなのに、あれからずっと、ボクの頭の中は、彼女でいっぱいだった。


 教室で、美登里みどりに何度となく、「あおくん、絶対おかしいよ」と言われ、とおるからは、あきれたような顔をされている。


 一目惚ひとめぼれって言うんだろうか。まさかボクがそんなことになるなんて、思ってもみなかったけれど、自分で気持ちをコントロールできないんだ。


 何をしていても、気がつくと、あの子のことばかりを考えている。

彼女のことなんて、澄ちゃんという名前と、十五歳ということと、病気だということ、透に聞いたことだけしか知らないのに。あれこれ想像したりして、自分でも馬鹿だなと思う。


 今度会えたら声をかけてみようと思って、毎日早起きして登校している。

もう並木の桜が満開だというのに、彼女の家の二階の窓はいつも閉まったままだ。


 具合が悪いんだろうか、何の病気なんだろうか。友達でもないボクがお見舞いに行ったりしたらダメだろうな。


 毎日ぐだぐだと考えながら過ごしていたあの日。

放課後、友達とコンビニ前でおしゃべりして、帰りが遅くなってしまった日のこと。


 夕方六時を過ぎて、あたりが薄暗くなったので、あわてて家に帰ろうとしていた。

並木の桜は満開を過ぎて、淡いピンクの花びらが、はらはらと、しきりに散っていた。


 彼女の家の庭は、低い生け垣がめぐっていて、柔らかそうな芝生におおわれていた。レンガで囲った花壇には、ボクには名前がわからないけれど、小さい花が集まったような、可愛い花が咲いていた。


 庭の真ん中には、バードバスだろうか、ボクの胸くらいの高さの水盤があって、その水の上に、並木から飛んで来たのだろう桜の花びらが数枚浮いているのが見えた。


 ボクがつい、足を止めて、庭をのぞいてしまったのは、そこに彼女の姿があったからだ。


 彼女が踊っていた。


 もしかするとネグリジェだろうか、足が隠れるほどの、ふわっと白い服を着ていて、裸足だった。

薄暗がりで表情はよく見えなかったが、彼女の白い手がひらひら動いていた。


彼女はバードバスのまわりを、ひとあし、ひとあし、スローモーションのようにまわりながら、バレエだろうか、両手をしなやかに、上げたり下げたりしていた。


 ボクは彼女が何をしているのか見当もつかなかったけれど、何か神聖な儀式でものぞき見しているような、不思議な気分だった。


 暗くなってきた空には月は上がっていなかったが、なぜかボクの頭の中には、ベートーヴェンのピアノソナタ「月光」のメロディが流れていた。


 家の中から何か声がして、彼女が呼ばれたのだろう。

彼女は踊るのをやめて、両手で乱れた長い髪を押さえながら、家の中へ消えて行った。


 ホクは何を見たのだろうか。

見てはいけない秘密を見てしまったような、なんだか、やましいような気がしていた。


 その時、突然風が吹いてきて、盛んに散っていた桜の花びらが、ふわりと舞い上がった。

彼女がいなくなった庭を覆い隠すように、ボクの目の前が桜の花びらで霞んでいた。

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