1-3

「私に足長おじさんを期待されても困るね。私は投資家であって、慈善事業をやっているのではないんだ」

 教会に通ってくる女性が、小さな子供がいるせいで仕事につくのがむずかしく、家賃が払えなくなりそうで困っているから少し上乗せしてもらえないだろうかとクリスが頼むと、吸血鬼野郎はこう言い捨てた。直前に飲んだ“キリストの血”も、やつの血管を温めるには至らなかったみたいだ。

「人間に望みをかけるのは間違いだよ。人間ひとは神と違って取るために生きているのであって、与えるために生きているのではないのだからね」

 やつはいつもときっちり同じ金額を小切手に書き込みながら言った。使っている万年筆がキースを刺したやつじゃないかと思ってギクっとしたけど、どうやら違うようだ。

「あんたは誰かに与えるどころか、他人から奪って生きてきたんだろうが」

「私を泥棒呼ばわりして手袋を受け取りたいのか、小僧?」

 ニックは氷のような眼と声で言い、狼みたいに牙をむいた。

「たとえタダでもあんたからもらいたいものなんかねえよ」

 大体、これから暑くなるっていうのに手袋になんの用があるっていうんだとぶつぶつ言ったら、クリスが「そういう意味じゃないよ」とため息まじりに吐き出した。

「ふたりとも大人げがなさすぎだ――特にノーランさん、あなたは……」

「年齢で差別をしないのが、最近の新世界におけるほとんど唯一といっていいくらいの良い風習だと思っていたのだがね」

 この見栄っぱりのクソジジイは、人狼キースの爪でやられたときに、妙に古くさいしゃべりかたに似合いの本来もとの外見に戻ったと思ったら、そのあとこっそり誰かの血を飲んで、またクリスよりちょっと年上くらいにしかみえない外面そとづらを偽装している。そのことをザンゲするつもりはないとみえる。

「ですが長い目で見れば、子供たちの健全な育成に資金援助をするのは、社会に対する投資ですよ」

 ニックは本革のカバーがかかった小切手帳からわずかに目線を上げてクリスを見た。

 俺にキースみたいな“才能”があったら、こいつの小切手帳をひったくって、口座がカラになるまで引き出してやるんだが。俺に見せつけるためにやってるとしか思えねえ。本人名義かどうか知らねえけど、ガンショップじゃたしかあんたクレジットカード使ってたよな?

「私はじゅうぶんすぎるほど売上税を払っているし、間接的に経済に貢献して税収の増加に寄与しているのだから、これ以上手広くやるつもりはない」

 えー、なんだよ、永遠に時間が止まっているこいつがわざとらしく高級腕時計をしてる理由ってそれ? スマートウォッチだと心拍数が感知できなくて毎度毎度通報されるのがウザいからじゃなくて?

「目の前に困ってる人がいるってのに見捨てるのかよ」

 クソ、やっぱこいつの杭を抜いてやるんじゃなかったぜ。

「税金をどう分配するか決めるのは州政府の仕事であって私の仕事ではない。誰かを救いたければ魚を与えるより網を与えて魚のりかたを教えるべきだ」

「この……!」

 俺が腰をうかせかけたところへ、

「ディーン、やめなさい。……ノーランさんの言っていることにも一理あるんだ。すべての人を救うことはできないのだから――人間には」

理解わかってもらえて嬉しいよ、マクファーソン神父」血も涙もねえコールド・ブラッド野郎はにっこりした。

 こいつマジで人間じゃねえな。こうなると、人間だったことがあるのかどうかもあやしいもんだ。

「しかしまあ、方法がないわけでもないよ」

 やつはカチリと音を立てて、黒光りするペンにキャップをすると、スーツの胸ポケットにしまった。

「たしかその女性はシングルマザーで、幼い子供がいると言っていたね?」

「ええ。七歳と四歳の男の子と、半年ほど前に生まれた女の子が……」

 可愛い盛りだな、とやつは言って、

「その男の子たちが――どちらか片方でもいいが――美しいブルネットで、家族のために自分を犠牲にする心づもりがあるのなら、その身とひきかえにめんどうをみてくれそうな男をひとり知っている」

「――ノーランさん!」クリスがまなじりを吊りあげて叫んだ。

「なんだね。断っておくが、人の道を大幅に踏み外したその男というのは私ではないよ」

「吸血鬼のくせになに言ってんだ」

「……冗談でも言っていいことと悪いことがある」

 クリスの視線は今すぐにでもニックを火炙りにしそうだった。たぶん、お祈りすれば確実にそうなるだろうな。

 けどクリスが『ヨハネによる福音書』を唱えるより早く、

「失敬、神父ファーザー。しかし、悪人にはどんな悪行も可能だと信じない限り正直者に安全はないということを言いたかっただけだよ。それとも、不謹慎な発言をもう一度ここで懺悔しようか、百ドル追加のために?」

「クリス、パン切り包丁ブレッド・ナイフでこいつの首切り落としてもいい?」俺はわくわくしながら聞いた。

 クリスはうなだれて、深々とため息をついた。

「……あなたのおっしゃりたいことはよくわかりました、ノーランさん。それならせめて私の」

「わーッ、ダメ、それはゼッタイだめ!!」

「なんで止めるんだ」吸血鬼野郎は俺を白眼しろめで見た。「大体、このあいだのだってまだ払ってもらっていない」

「うるせえこの野郎、出世払いにしとけ」

「百年待ったところで回収できそうにないな」

「申し訳ありません、ノーランさん。少しその……状況が変わったものですから」

 キースの兄貴を殺して俺が群れクランから追い出されたことで、俺への仕送りは一切ストップし、ケータイ電話の料金から校外学習の費用まで全部クリスが払わないとならなくなったのだ。いざというときのために貯金が少しはあるってクリスは言ってたけど……。

「もちろんだとも、神父。時間はたっぷりある」

 くたばりやがれこの野郎。俺は唇の動きだけでそう言った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る