第45話 アオモリへ③

 三人は緊張した面持ちで、ロードが口を開くのを今かと待ち構えていた。

「首相への返事の文書をしたためました」

 ロードは白い封筒を、ヒイラギに向かって差し出す。

「こちらからの使者として、このシノノメを付けるので、これをあなた達に首相に届けていただきたいです」

 ロードは、隣にいる小柄な30代くらいの女性を手で指す。シノノメと呼ばれた女性は黒い髪を後ろで結い、色白の清楚な見た目で、巫女を思わせる装束を着ていた。

「あの、一体どのような返事を・・・」

 ヒイラギは差し出された文書を受け取りながら、心配そうな表情でロードを見つめる。

「安心して、こちらも和平は望む所よ」

 ロードは、少女に向かってニコリと微笑む。

「首相と面会して、前向きに話を進めます」

「本当に・・・良かった」

 ヒイラギは、安堵感が一気に押し寄せてきて、その場で膝から崩れ落ちてしまいそうだった。

 後ろに立っているリッカとユダも、お互いに顔を見合わせて、喜びを噛み締めている。

 ここで、さらにロードから有り難い申し出があった。

「あなた達、もう時間も遅いので今日はここに泊まっていきなさいな」


 ヒイラギ達は、また先ほど待機していた和室に案内された。

 部屋に入るとテーブルの上には、和食が準備されていた。玄米ご飯、焼き魚、豚汁、漬物、旬の果物が並べられて、旅続きの三人にとってはかなり豪華に思える食事だった。 

 食事を終えると、今度は風呂を勧められ、檜で作られた広い浴室で順番に汗を流した。

 そして部屋に戻ってくると、いつの間にか布団が敷かれて、寝る準備が整えられていた。

「こんなにもてなしてくれるなんて、本当に来て良かったー」

 貸してもらった浴衣姿でリッカは布団に倒れ込み、大の字に両手、両足を広げている。

「あははー、だらしないですよリッカさん」

 その姿を見てヒイラギも、隣の布団に倒れ込んで無邪気に笑っている。ロードから期待していた返事を貰え、重責から解放されたからか、少女自身もとてもリラックスしている様に見えた。

「君たち、だらけすぎだろ」

 ユダは苦笑して、離れた所で一人立っている。当たり前の様に、女性陣二人の布団と並べられ、自分の布団が敷かれているのに内心戸惑っていた。

 すると、何やらトントンと襖をノックする音が聞こえた。 

「はーい」

 ヒイラギは布団から立ち上がり襖を開けると、そこには手にランプを持った、ロードがいた。周囲に侍女などはおらず、一人で凛とした佇まいで廊下に立っていた。

「夜遅くにごめんね。ヒイラギちゃん少し良いかしら」

「はっ、はい。大丈夫です」

 ヒイラギは、突然のロードの訪問に内心慌てながら返事をする。

「あなたと話したいのだけど、少し良いかしら」

「ええ、大丈夫です」

 少女が部屋の中を振り返ると、何事かとリッカとユダがこちらを伺っていた。

「少し外に出てきます」と、部屋の中の二人に断り、ヒイラギはロードの後について廊下に出る。

 渡り廊下に差し掛かると、初夏にしては冷たい夜風が吹き抜けるのを肌に感じて、ヒイラギは身震いする。

 浴衣の合わせを直しながら、ふと空を見上げると綺麗な星がいくつも瞬いていた。

 空に近い、聖山の頂上から見ているせいか、星がいつもよりくっきりと強く光を放っている様に見えた。

「星が良く見えるでしょ」

 夜空に見とれているヒイラギに、前を歩いていたロードは振り返り声を掛ける。

 ロードは昼間に謁見した際は、厳かな態度で緊張感を感じたが、今は愛する孫娘に語りかける優しさと慈愛に満ちた祖母のようだった。

「本当に綺麗ですね」

 そう答えるヒイラギは、まだ夜空の星に見とれている。

 住んでいたコミニティで孤独な生活をしていた少女にとって、夜空に瞬く星を眺めることは大きな癒やしだった。星を見ている間は、常に胸の中に渦巻いている孤独さを一時でも忘れる事が出来たのだ。

「あなたにとって、この場所はどう写っている?」

 すると、唐突にロードは意図を計りかねる質問を少女にして来た。

 ヒイラギは首をひねって少しだけ考えると、ぽつりと答えを口にする。

「静かすぎて・・・少し寂しいですね」

「そうね、たまに自分が時間の流れから取り残されているような錯覚を感じるわ」

 ヒそう言いながら苦笑する様に微笑む貴婦人の心の中を、ヒイラギは垣間見た気がした。

 この眼の前にいる貴婦人にも、ヒイラギの様に自由で何物にも縛られない少女時代があったはずである。しかし、今の魔女達を束ねるロードという立場では、色々なしがらみも数多くある事だろう。

 魔女にとっての成人の儀である祝福を受ける為にたまに訪れる人もいるが、普段は数人の従者のみと魔女達の聖地と呼ばれるこの聖山の山頂に住むのは、どれだけ寂しく不便な生活を強いられている事だろうか。

「さあ夜は冷えるし、もう行きましょう」

 

 二人は、また応接間に来ていた。

 日中の陽が射し込む温かな雰囲気とは打って変わり、今は広い室内を執務机の上にあるランプがぼんやりと周囲を照らし出し、部屋の隅には陰影が色濃く出ていた。

 

 ロードはランプを手に取り応接間の右手側の襖を開けると、そこは和室になっており、テーブルを挟んで二人は向かい合うように座った。

 二人は向かい合ったまま、少しの間無言でランプの明かりを見つめていた。

 ロードは短く息を吸うと、ようやく口を開く。

「ヒイラギちゃん、ごめんなさい」

 唐突にロードの口から出た謝罪の言葉に、ヒイラギは驚きの表情を見せる。

「えっ、いきなりどうしたんですか」

「あなたのお母さんとお父さんが亡くなってしまったのは、私の責任でもあるの」

 少女は、その言葉に大きく息を呑む。

 ロードはまるで懺悔でもするかの様に、その後の言葉を鎮痛な面持ちで続ける。

「カガリが和平を実現する為に、ノーマルの共生派とコンタクトを取っている事は知っていた」

「私は、あの娘に何度も協力して欲しいと頼まれながらも動く事が出来なかったの」

「その結果がこれよ。あなたのお母さんとお父さんは、何者かに襲撃されて亡くなってしまった」

「協力出来ないならせめて、あなた達家族を保護するか警備くらいは付けてあげるべきだった」

「ヒイラギちゃん、あなたにはいくら謝っても許してもらえないでしょうけど・・・」

「・・・」

 ヒイラギは唇を噛み締めたまま、何も言えなかった。

 その言動一つが多大な影響力を持ち多くの魔女達をさらなる災いに巻き込む可能性もあったのだ、ロードを責められないのは分かっていた。

 だけど自分にとって最も大切な存在を理不尽な暴力によって奪われたのだ。素直に納得出来ない気持ちが心の中を渦巻いていた。

「貴女が文書を持って現れた時に、止まっていた時間が再び動き出したと思った」

「カガリが撒いた種が形になって、その娘の貴女がそれを運んできて、和平まで後一歩の所まで来ている。私は今度こそ、絶対に和平までこぎつけて見せる」

 ロードの瞳には、強い決意の色がみなぎっていた。

「どうか・・・よろしくお願いします」

 ヒイラギは、辛うじてそれだけ口にすると、丁重にロードに向かって頭を下げる。

 少女はこの旅でノーマルの住むトウキョウと、そしていくつもの魔女のコミュニティを巡ってきた。

 16歳になるまで、生まれ育った共存コミュニティから出た事が無かったヒイラギにとっては、全てのものが新鮮に目に映った。

 最初は亡き母親の意志を引き継ぐ形で始まった旅であったが、今ではこの旅で出会った多くの人、仲間のリッカとユダが別け隔てなく暮らす世界を、心の底から実現したいと思っていた。


 しばらく無言が続いた後に、ロードからこんな提案があった。

「そういえば、あなた祝福を受けていないのよね。せっかくだから、これからどうかしら」 

「はい、ぜひお願いしたいです」

 ヒイラギはロードにどうやって頼もうか考えていた所に、向こうからこの話を切り出してくれたのが有り難かった。魔女とノーマルの血が半分ずつ流れている中途半端な存在である自分も、これでようやく一人前の魔女として認められる気がした。

「それじゃあ決まりね、こっちへ来て」

 ロードは和室から出ると、応接間の奥にある巨大な本棚の前に立つ。

 そして本棚から、とある赤い背表紙の本を抜き取ると、その空いたスペースに手を滑り込ませる。

 すると本棚の後ろから、「カチッ」と音がしたかと思うと、巨大な本棚は音をたてて左側にスライドしていった。

 あっという間に、本棚の後ろに隠し通路が現れた。

 ヒイラギは、後ろからその光景を呆気にとられた様子で眺めていた。

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