第44話 アオモリへ➁
三人は長い石段を登り切り、やっとの事で聖山の頂上に辿り着いた。
山頂さ土地が平らに均されており、地面には石畳が敷かれ、その上には広大な御殿が建っていた。
その建屋には、無駄な装飾は一切無く、簡素さと清らかさを感じさせた。この御殿を見るだけで、ロードの人となりが私利私欲とは無縁で高潔な人物である事が分かった。
「ここに、ロードが・・・」
ヒイラギは故郷を出てから、実に半月ほどの旅の末に辿り着いた、終着点を目の前に感極まっているようだ。
「さあ、行きましょう」
リッカはその少女の気持ちを察してか、肩をポンと叩き、建物の玄関に向かって歩き出す。
「ん、どうしたのあんた?」
後ろでぽつんと立ち尽くしている、ユダに気付いてリッカが話しかける。
「その、ここって魔女にとって聖地みたいなもんだろう。ノーマルの僕が、いきなり入って大丈夫なのか」
ユダは、心配そうな表情をしている。
「何を心配しているの、あんたは。ロードはそんな了見の狭い人じゃないわよ」
リッカは何を言い出すのかコイツは、と言わんばかりの顔をしている。
「それに、あんたはノーマルの使者としての役割があるでしょ」
「でも、あれは嘘だって言ったろ」
ユダは、気まずそうな表情をしている。
「そういう事にしといた方が、話しがスムーズに行くでしょ。最後まで嘘を突き通しなさい」
「わかったよ」
しぶしぶと言った様子で、ユダは頷く。
ヒイラギは、入り口の呼び鈴を鳴らした。
チリンチリンと澄んだ鈴の音色が鳴ると、少し間を置いて建物の引き戸が開かれた。
そこには狩衣と言うのだろうか、昔の貴族の様な服装の男が立っていた。
男は20代半ばくらいのまだ青年と呼べる年齢と思われ、短い黒髪で目が細く鼻筋がすっと通っており、その顔立ちには上品さを感じさせた。
「こんにちは」
落ち着いた様子で、ヒイラギ達にペコリと頭を下げる。
「こんにちは」
男の目の前にいたヒイラギも、釣られて頭を下げる。
「おや、そちらの方は」
男は後ろに立っているユダを、じっと見つめている。魔力の流れが感じられないので、彼がノーマルである事に直ぐに気付いたようだ。
「要件は何でしょうか」
ノーマルが聖山を登ってロードを訪ねて来る事などまず無いので、男の表情には警戒の色が浮んでいた。
「ロードに大切な文書を渡しに来ました」
ヒイラギは気持ちを落ち着かせるべく、深呼吸して口を開く。
「この人は、いわゆるノーマル側の使者で」
少女は、背後にいるユダに目配せする。
「分かりました。直ぐにロードにお伝えしますので、お待ち下さい」
この少女が重大な要件で、ここに来たことを感じ取ったらしく、男は慌てて建屋の奥に姿を消した。
ヒイラギ達は、手持ち無沙汰そうに入り口の前でしばらく待っていたが、10分ほど経った所で、狩衣の男が戻って来た。
「ロードがお会いになるとの事なので、こちらにどうぞ」
男の案内で三人は建屋に入り、長い渡り廊下を歩く。
渡り廊下からは中庭が見えた。そこには色とりどりの花やハーブが植えられて、真ん中には優雅にお茶でも出来そうな、白い丸テーブルと椅子があった。
「へぇ、綺麗じゃない」
リッカは立ち止まり、木製の欄干から身を乗り出して広い庭を見渡している。
「んっ?えっ」
リッカが何やら屋根の上を見て、驚きの声を上げる。
何事かと思い、ヒイラギとユダも身を乗り出して上を見上げる。
「なんだ、何もいないじゃないか」
ユダはリッカの方に向き直り、ため息をつく。
「今、そこにありえないほど巨大な鳥がいたのよ!」
リッカは屋根の上を指さして叫ぶ。
「まあ、疲れてるんですかね」
ヒイラギはリッカを気遣う様子を見せる。
「ヒイラギ、あんたまでそんな事言って。本当にいたのよ」
リッカは完全にムキになった様子で話す。
「ロードを待たせているので行きましょう」
渡り廊下の先から、狩衣の男の静けさのある声が聞こえてきた。
リッカは、まだ自分が見た巨大な鳥が気になっているようで、渋々と言った様子で男について歩く。
建屋はかなり広く渡り廊下を抜けてしばらく歩くと、ようやく目的地に辿り着いたのか、狩衣の男はとある部屋の前で立ち止まった。
部屋の両扉の襖には、白い牡丹の花が描かれている。
「失礼します。お客様をお連れしました」
狩衣の男は襖の扉を開け放つと、自分は中に入らずに、ヒイラギ達に中に入るように促した。
「ご苦労様、ありがとうね」
中から、ハリのある落ち着いた女性の声が聞こえて来た。
室内に入ると、中はかなり広く真正面には立派な肘掛椅子置かれ、そこには貴婦人が座っていた。傍には、侍女と思われる三十代の小柄な女性が立っている。
「良く来てくださったわね、あなた達」
ロードと思われる貴婦人はゆったりとした所作で椅子から立ち上がると、ヒイラギ達の方に向かって歩いて来た。
ロードは、白髪を綺麗に頭の上で結っていて、黒を基調とした花柄のシックな着物を着ていた。
齢は70代を超えているが、背筋がピンと伸びて、その上品な雰囲気は加齢による衰えを全く感じさせなかった。
「あなたはリッカね。元気だった?」
リッカの目の前に立つと、すっと綺麗な手を差し出す。
ロードは女性としては身長が高く、リッカと並ぶとほぼ同じ位の大きさだった。
「ご無沙汰しています。まさか覚えていらっしゃるとは思いませんでした」
「もちろん。こんな、綺麗な娘を忘れないわよ」
「お父様とお母様にも、くれぐれもよろしくね」
リッカは差し出された手を握ると、自分を覚えてくれていたのが、よっぽど嬉しかったのかはにかんでいる。
「あら、あなたは・・・」
ロードは、隣に立っていたヒイラギを灰色の瞳でじっと見つめる。
「私は・・・ヒイラギと言います」
ヒイラギは大昔にロードに会った事があるはずだが、まだ幼い時分だっただけに記憶が曖昧だった。
「もしかして、カガリの娘さん?」
ロードの口から母親の名前が出てきて、ヒイラギは驚く。
「ええ、そうですが」
「やっぱりそうなの。本当に魔力があの子にそっくりだわ」
ロードは、しげしげと少女の全身を眺める。
「あなたも小さな頃に会ってるわよね」
ロードは、向けられた者の心が温まる様な笑顔で、ニッコリとヒイラギに笑いかける。
「カガリの事は聞いているわ。本当に残念だったわね」
まるで、亡くなったのが自分の責任でも有るかのように鎮痛な面持ちに表情が変わる。
しばらく、その場が静寂に包まれた後に、ロードは後ろに立っているユダをじっと見つめた。
「あなたがノーマルからの使者ね」
「はい、そうです」
ユダは、短く返答する。嘘をついている罪悪感からか、表情が心なしか固い。
「良く遠い所から来てくれましたね」
形式的な挨拶ではあるものの、ひとまず歓迎の態度を示され、三人はほっとしていた。
「あなた達、何やら私に文書を届けに来たとの事だけど」
ロードは、単刀直入に本題を切り出す。
「これです」
ヒイラギは肌見離さずに持ち歩いていた文書を、ブルゾンのポケットから取り出してロードに差し出す。
「これは、首相からロードに宛てられた文書になります」
文書を受け取ったロードの表情は、にこやかだったものの、その奥に微かな緊張の色が見てとれた。
「文書を確認させてもらうから、あなた達は他の部屋で待っていてもらえるかしら」
その後は侍女の小柄な女性に案内されて、ヒイラギ達は広めの和室に通された。
客室らしく中央にある、テーブルの上にはお茶とお菓子が用意されていた。
「こちらの部屋で、お待ちください」
案内してくれた侍女は、丁寧にペコリとお辞儀をして立ち去る。
残された三人は手持ち無沙汰そうに、用意されたお菓子を食べながらくつろいだ。
「後は、ロードの判断を待つだけですね」
ヒイラギは、あんこのぎっしり詰まった饅頭を頬張りながら話す。
「そうね。あぁ、私達の旅もこれで終わりか」
伸びをしながら話す、リッカの表情はどこか寂しげだ。
「あんた達はこれからどうするの?」
リッカは、ヒイラギとユダの表情を見渡す。
「私は一度、故郷のコミュニティに報告に戻ろうと思います」
「僕はトウキョウに戻るよ」
「大丈夫なの?あんたセイラムを裏切ったんでしょ」
「うん、戻ったらどんな目に会うか分からない・・・だけど、あの人と決着を付けないと」
「あの人?」
「総長のナガノだ」
「ああ、セイラムの親玉ね」
「実は・・・その総長が僕の義理の父親になるんだ」
「ええっ」
ヒイラギとリッカは目を見開いて、ほぼ同時に驚きの声をあげる。
「親父に反抗なんてやるじゃない。見直したわ」
リッカは励ますように、ユダの背中をバンバンと強く叩く。
「あの人は、魔女を心の底から憎んでいる。
どんな手を使ってでも、この和平を阻止して来るはずだ」
「あの人が障害になるようなら、僕がこの手で必ず倒してみせる」
そんな事を話すユダに、気負っている様子はなく、どこかその表情は晴れやかだった。
「もう、とっくに覚悟は出来ているから」
いつしか時刻は夕方になり、外の景色は茜色に染まっていた。
すると、トントンと襖をノックする音が聞こえて来た。
近くにいたヒイラギは、「はい」と声を掛けて襖を開ける。
そこには、先ほど部屋に案内してくれた侍女が立っていた。
「お待たせいたしました。ロードがお呼びですので、ご足労いただけますでしょうか」
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