第33話 二人の星⑥

 しばらく、歩き続けると平原からいつしか木々が生い茂る薄暗い雑木林に入った。

「今はこのあたりか」

 リッカは、地図を広げて現在地を確かめる。

 この広大な森林を抜けると、本日の目的地であるコミュニティはすぐそこである。

 最初こそちゃんとした道があったが、奥に行けば行くほど、かろうじて道と呼べるくらいの険しい獣道になっていった。

 森の中を歩く事に慣れているリッカが先導して、時おりコンパスと地図で方角を確かめつつ、数時間後にやっと三人は雑木林を抜ける事ができた。

「はーっ」

 視界が開けた解放感から、ヒイラギは大きく息を吐いて空を見上げる。

 空は昼と夕方のちょうど境目とでも言うような、青とオレンジが混ざりあった色をしていた。

「おーいっ、行くよー」

 すでに、だいぶ先まで進んでいたリッカと青年が、こちらを振り返って見ている。

「はーいっ」

 ヒイラギは手を振って返事をすると、走ってリッカと青年に合流する。

 前方には、既に目的地であるコミュニティが見えていた。

 昨晩泊まった、あの石畳が敷かれた大きな街とは違い、そこは数十棟ほどの簡素な家が集まった小ぢんまりとした集落であった。

 その集落は山の麓にあり、両側をまるで双子のような小ぶりな山に挟まれていた。

 その小さな山には、どちらも青々とした木々が生い茂っている。

「思ったより小さなコミュニティね」

 リッカは、手に持っている地図と目の前の集落を見比べている。

 地図に乗っているからにはもっと大きなコミュニティだと思っていたようだが、どうやら当てが外れたようだ。

「そうだな、さすがに宿屋は無いだろうな」

 青年も少し不安気な表情をしている。


 コミュニティの中に足を踏み入れると、そこは全く文明の匂いを感じない、昔ながらの生活をしている集落である事が分かった。

 地面は舗装などされておらず、一面に土と雑草が広がっており、簡素な山小屋風の家が立ち並んでいた。

 他には、畑と数十頭ほどの牛がいる広い牧場が敷地の大半を占めている。

「あんた達どうしたの」

 前方にいた、良く日に焼けたほっそりとした中年の女性が声を掛けてきた。

 その女性は黒髪を肩の長さで切り揃えており、着ている紺色のつなぎを上の方だけ脱いで腰で縛っていた。

「私達は、アオモリまで行く為に旅をしています。良ければ、今晩どこかに泊めていただけないでしょうか」

 リッカは旅をしている事を伝えると、手慣れた様子で今晩の宿の交渉をし始めた。

「ああ、ウチで良ければ来なよ」

 日に焼けた女性は、直ぐに快い返事を見せる。

「ありがとうございます。一応このコミュニティのリーダーにも挨拶をしておきたいのですが」

 小さなコミュニティなので、まずリーダーに挨拶をするのが筋だろうと、リッカは思ったのだ。

「ああ、私だよ。このコミュニティのリーダーをやっているホヅミよ」

 ホヅミは、日に焼けた手をリッカの方に差し出す。

「あっ、リーダーの方でしたか。私はリッカと言います、一晩お世話になります」

 リッカは、ホヅミの手を握って握手をする。ホヅミの手のひらには、農作業で出来たものだろうか硬いマメが出来ていた。

「こちらは、ヒイラギとハクと言います」

 そして、後ろにいる少女と青年を紹介する。

「こんにちは」

「どうも」

 二人は、それぞれ挨拶をしてペコリと頭をさげる。

「ええ、よろしくね」

 ホヅミは、それに応えるようにニコッと笑ってみせた。

 最初は少しぶっきらぼうでクールな印象を受けたが、その笑った時の目はイキイキとした生命力を感じさせ、温かそうな人だった。


「お邪魔します」

 ホヅミに案内されて、三人は家の中に入った。

 コミュニティのリーダーと言っても家の大きさは他と変わらず、家の中は15畳ほどの広さの一部屋だけだった。

「どうぞ、くつろいで」

 ホヅミは部屋の中央にある、円形のダイニングテーブルの椅子に腰掛けるように勧めてきた。

「ありがとうございます」

 ヒイラギは、ペコリと頭をさげて椅子に座ると部屋の中を見回す。

 このログハウスは、自分の故郷の家に雰囲気が似ていて、見ているとどこか懐かしさを感じた。

 

 三人は、ホヅミが出してくれたお茶を飲んでくつろいでいると、部屋の奥の窓際にベットが2つ並んでいるのが目に止まった。

「誰か一緒に住んでいる方がいるんですか?」

 ヒイラギは、キッチンで何やら料理をしている、ホヅミの背中に向かって話しかける。

「ああ、主人は数年前に亡くなってしまってね。今は私一人で住んでるわ」

 ホヅミは、エプロンで手を拭きながらこちらを振り返ると、何でもない事の様に話す。

「あっ、ゴメンなさい」

「大丈夫よ。気にしないで」

 軽率な事を聞いてしまったと慌てるヒイラギに向かって、ホヅミは優しく微笑む。


「さあ、晩ごはんにしましょうか」

 ホヅミは、作っていた料理を食卓に並べ始める。

 食卓には牛肉とじゃがいものスープ、野菜サラダ、玄米のご飯と言った家庭料理が並んだ。

「こんな美味しそうなご飯まで用意してもらって、ありがとうございます」

 リッカは、目をキラキラさせて目の前のスープを見つめている。

 隣にいるヒイラギと青年も、たくさん歩いたのでお腹が空いているらしく、目の前の料理に視線が釘付けである。

「いただきます」

 ホヅミも椅子に座った所で、皆で食べ始める。

 リッカは、スプーンでスープをすくって一口食べると歓喜の声をあげる。

 スープには牛肉と野菜が入っており、それをシンプルに塩だけで味付けしていた。

「美味しい」 

「口に合ったようで良かったわ」

 その様子を見て、ホヅミが笑いながら口を開く。

「これ大好きなんです。お母さんがいつも作ってくれて・・・すごく懐かしい味がします」

「リッカさん、あなたもしかして出身はアオモリ?」

「はい、アオモリで育ちました」

「そう、私も出身はアオモリなの」

 思いがけず故郷の味に出会って、リッカはとても機嫌が良さそうだった。

 隣で談笑している中で、青年は黙々と食事をしていた。

 この久しく口にしていなかった家庭料理の味は、青年に遠い記憶を呼び起こさせていた。

 思い出していたのは、義父であるナガノの家で一緒に暮らしていた10代前半の頃だ。妻であるミエもまだその頃は元気で、良く美味しい手料理を作ってくれた。

 多少ぎこちなさはあったものの紛れもなく一つの家族として同じ屋根の下で暮らしていたあの頃を思うと、懐かしさと哀しさが同時にこみ上げてきた。

「ハクさん、このスープ本当に美味しいですね」

 ヒイラギは、無邪気な笑顔で隣にいる青年に話しかけてくる。

「ああ、そうだな」

 青年は平静を装って答える。

「そういえば、知ってる?今夜あたり流星群が見えるかもしれないよ」

 リッカとの談笑が一段落した所で、ホヅミがこんな事を口にした。

「へぇ、ロマンティックじゃない」

「私、見に行きたいです」

 リッカがこの話題に食いつき、ヒイラギも興味を示した。

 流星群といえば、10年に一度くらいしか観測出来ない珍しい現象であった。

「でも、今日もこの後訓練が・・・」

 少女は、青年の方を遠慮がちにちらりと見る。

「いいよ、今日は無しにしよう。その分、明日の朝はハードにやるぞ」

 この少女にも、たまには息抜きが必要だろうと思って、青年は快く承諾する。 

「近くにある双子山のてっぺんからなら、よく見えるだろうさ」

 ホヅミが耳寄りな情報を教えてくれた。

「さっそく、これから行きましょう」

 リッカはウキウキとした様子で話す、時刻も夜に差し掛かり、今から向かえばちょうど良い位の時間帯だった。


 30分後、三人は近くにある双子山を登っていた。

「中腹くらいまで来たかしら」

 リッカは、来た道を振り返って見下ろしている。手には、借りてきたランタンを持っており周囲を明るく照らし出している。

「この調子なら、頂上まで直ぐに行けそうですね」

 山道は思いのほか整備されていて、ここまでスイスイと登ってくる事が出来た。

 前を歩いているヒイラギとリッカは、まるでピクニックにでも来ているかの様にウキウキとした様子で談笑している。

「・・・ハクさん、どうかしました?」

 ヒイラギは、後ろで何やら険しい表情をしており、いつも以上に口数が少ない青年に声をかけた。

「ちょっと・・・コミュニティに戻って来る。先に頂上に向かってくれ」

 青年は、なぜか言いにくそうな様子で話す。

「良いですけど、どうしました?」

 ヒイラギは、心配そうに青年の目を覗き込む。

「・・・トイレに行きたいんだ」

 青年は恥ずかしそうに小声で打ち明ける。

「あんた男なんだから、そこら辺でしなさいよ」

 先頭を歩いていたリッカが、上からデリカシーの無い言葉を浴びせてくる。

「おい、セクハラだぞ。良いから先に二人で行ってくれ、後から合流するよ」

 青年は軽く手を上げると、後ろを振り返り来た道を小走りに降りていく。

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