第32話 二人の星⑤
コン、コン
翌朝、青年はドアのノックの音で目が覚めた。
「なんだよ・・・」
眠い目をこすりながらドアを開けると、そこにはヒイラギが立っていた。澄んだ茶色い瞳でじっとこちらを見つめている。
「ゴメンなさい。もしかして寝てましたか?」
「毎日、朝と晩に稽古をしてくれるって言ってたので」
ヒイラギは、まるで昨晩のあの出来事は忘れているかの様に平然とした様子だった。
「ああっ、おはよう」
「大丈夫だ。稽古をやろうか」
むしろ青年の方が動揺してしまっていた。
二人は、昨晩も稽古をした街の近くにある平原に来ていた。
初夏とはいえ早朝なのでまだ涼しく、時たま吹く風が周囲の草木を優しく揺らしていた。
ヒイラギは稽古が始まるのを今かと待ち構えていた。しかし、青年はうつむいたまま、一向に稽古を始める様子を見せないので首を傾げる。
「昨日の事はすまなかった。君に対して無神経な事を言ってしまって」
すると、青年は突如、昨晩の件について謝罪の言葉を口にする。
「反省してるよ」
そして、深々と目の前の少女に対して頭を下げる。
「そんな、別に良いですよ」
ヒイラギは、面と向かって頭を下げられてなぜか照れたような表情をしている。
「最初は腹が立ったけど、昨日ベッドの中でじっくり考えて気付いたんです」
「図星でした。言われた瞬間にそれを悟って、そんな自分が恥ずかしくなって誤魔化すために怒ってしまいました」
「わたしの方こそごめんなさい」
「いや、そんな」
今度はヒイラギが頭を下げたので、青年の方が慌ててしまう。
「なぜ和平を実現したいのか」
「わたし、この旅の中で自分を納得させれられる様な答えを見つけたいと思います」
風が吹いて、ヒイラギの茶色い髪がふんわりとなびいた。少女のその瞳は、自分の運命を受け入れた上で、前に進もうとしている強さを感じさせた。
(本当に強いな、この娘は)
青年は、目の前の少女をどこか眩しいものでも見る想いで眺めいた。自分だけ置いてきぼりをくらっているようで、胸の奥がチクリと傷んだ。
そのあと、みっちり1時間ほど、昨日教えた動きの復習と武器の扱いを教えながら時間が過ぎていった。
「おかえりなさい」
ヒイラギと青年が宿屋に戻ると、リッカが笑顔で出迎えてくれた。二人が仲直りした様子なのを見て安心したようだ。
3人で一階のレストランで朝食を食べて、道中の食事に簡単なお弁当を作ってもらい、旅支度を整えるとコミニティを出発した。
街を出てすぐ近くの平原で、リッカは背負っているグレーのリュックの中から地図を取り出して広げた。
「今日中にこのコミュニティまでたどり着きたいわね」
ヒイラギと青年は、後ろから地図を覗き込む。
「けっこう遠いですね」
リッカが言っているのは、今いるフクシマと隣の地域であるミヤギとの、ちょうど境い目あたりにあるコミュニティだった。
リッカは、地図上で目的地までのルートを指でなぞって確かめている。
「とりあえず、しばらく街道に沿って歩き続ければ着くはず」
街道と言っても、トウキョウ付近みたいに、アスファルトで舗装されているわけではない。ただそこだけ、草木がはえておらず、土がむき出しになっており、それが何度も踏み固められて道になっているだけだ。
「今日は暑くなりそうだ。涼しいうちに出来るだけ進もう」
青年は、快晴の青空を見上げている。
太陽はまだ昇りきっておらず、歩くのにはちょうど良い気温であった。
青年はいつも通り、黒いスーツの上下を着ていた。今位の気温なら良いが、日中はさすがに暑く感じる事だろう。
三人は目的地に向けて歩き出す。
街から少し離れると、あたり一面水田が広がり、のどかな田園風景が見えて来た。
まだ青々しい稲穂が風に吹かれて揺れている。
「へぇ、綺麗だなぁ」
都会育ちである青年は、その光景に思わず見とれてしまった。
「トウキョウ育ちのお坊ちゃまには珍しいでしょう」
前を歩いていたリッカが、後ろを振り向くと茶化す様に声をかける。
「私もこんな大きい田んぼは初めて見ました」
ヒイラギも、もの珍しそうにキョロキョロと辺りを見回している。
すると、ある水田のあぜ道に、麦わら帽子を被った中年の女性が一人で立っているのに青年は気づいた。
その女性の足元には、ポットに入った苗が大量に並べられていた。
どうやら、これから目の前のまっさらな水田に田植えを行おうとしているらしい。
さすがにこの広大な土地に一人で、しかも人力で植え付けるのはかなり骨が折れるだろうな、と思いながら青年はその様子を眺めていた。
麦わら帽子の女性は、地べたのポットをじっと見つめて何やら集中している。
すると、大量の苗が一斉にポットから抜けて宙に浮くと、そのままひとりでに水田の上に移動して行った。
「うおっ」
目の前で繰り広げられた光景に、思わず青年は驚きの声をあげた。
そして、ふわふわと宙に浮いた苗は等間隔に広がり、やがて自然落下に身を任せて、ちゃぷんと小気味よい着水音と共に、綺麗に水田に植え付けられていく。
青年は、まるで奇跡でも目の当たりにしたかのように目を丸くしていた。
「すごいな」
自然とそんな言葉が口から出る。
今まで、血なまぐさい戦いの中でしか魔女達が使う魔法を見てこなかった青年は、この日常生活の中で何気なく使われた魔法を見て、初めてこの奇跡の力に畏敬の念を持った。
それは、自分たちノーマルみたいに、機械の力に頼らずに自然と調和して生きているように思えた。
「まあ、本来の魔法の使い方ってこんな感じだよね」
リッカも、傍らで麦わら帽子の魔女を見つめていた。
「文明の利器に頼れない私たちは自分の力に頼るしかない」
「もっと生活を便利に、もっと生活を豊かにするために頑張って魔法の修行をする」
誰に聞かせるのでもなく、そんな事を言うリッカはどこか遠い目をしていた。
その魔法を使った田植えは、その後も何度か繰り返されて、あっという間に広い水田の一面に苗が植え付けられていった。
「ほら、さっさと行くよ」
すっかりと田植えの様子に見とれている青年に、リッカは前方から声をかける。
「ああ、すまない」
青年は、まだ見ていたかったのか名残惜しそうな様子で歩き出す。
その後も、三人はひたすら街道を北に向かって歩き続けると、いつしか周囲に水田は見えなくなり、代わりに草原が辺り一面に広がっていた。
昨日泊まったコミニティを出発してから数時間歩き続けた所で、頭上の太陽の日差しが一段と強くなって来る。
「そろそろお昼にしないか」
道脇に、一休みするのにちょうど良い木陰を見つけ、青年が口を開く。
「私もお腹ペコペコです」
「そうね、良いペースで進んでるし一休みしましょうか」
ヒイラギとリッカもその提案に同意する。
リッカは、リュックをゴソゴソと漁り、紙袋を取り出した。
紙袋の中には、今朝宿屋の店主が作ってくれたサンドイッチが入っていた。
サンドイッチの具材には、カリッと塩焼きにした鯖と、レタス、トマト、オニオンなどの野菜がたっぷりとパンに挟んであった。
もしゃ、もしゃ
ヒイラギは、道端の大きな木に背中を預けて寄っかかりながら、サンドイッチを黙々と食べ始める。
木陰の中に入って、時おり吹く風を感じながらサンドイッチを頬張っていると、まるでピクニックにでも来ているようなウキウキとした気分になった。
「ここら辺は、ほんとうに人っ子一人いないな」
青年も、木陰であぐらをかいて座りながら周囲を見渡していた。
街道を歩いているとたまにコミュニティ間を行き来している行商人だろうか、馬に大量の荷物を積んだ人とすれ違うが、それ以外は人っ子一人見当たらなかった。
「私たちの中には、自分が生まれたコミュニティの周辺から出ずに、生涯を終える人も珍しくないからね」
リッカが口を開く。
「皆コミュニティ内での生活に満足しているから。外に出るのは行商人かコミュニティのリーダーくらいで、他には私たちみたいに旅をする物好きがたまにいるくらいかな」
ヒイラギも、水筒のお茶を飲みながら話に入ってくる。
「純粋な魔女のコミュニティも、そうなんですね。私が育った共存コミュニティも同じでした」
「ノーマルはどんな感じですか?」
ヒイラギは、ふと気になって青年にこんな事を聞いてみる。
「そうだな、トウキョウで生まれ育った人の中には、街の周辺から外に出たこと無いって人もたくさんいるだろうな」
「文明や技術がほとんどトウキョウに集中しているからな。わざわざ不便な他の地方に行く意味がない」
「逆に地方の人は豊かな生活を求めてトウキョウに来る者が多いな」
「それじゃあ、トウキョウにだけ人が集中するじゃない」
ここでリッカが当然の疑問を口にする。
「そうだな。君は西トウキョウのスラム街を見ただろう」
青年は、隣を歩いているヒイラギの方をちらりと見る。
「ええ、すごい町並みでした。人も家もぎゅうぎゅうに詰め込まれているようで、息苦しさを感じました」
「ああ、皆どこか荒んだ表情をしている」
青年は苦笑いを浮かべる。
昼食を食べ終えて小休止後に、三人はまた北に向かって歩き始める。
道中いくつも、大昔に見捨てられたであろう建物の残骸が見られた。どの建物も僅かな柱と壁だけ残り、ほぼ倒壊しかけている。
まだ、ノーマルと魔女が争っていない大昔は、ここら辺一帯は街だったのだろう。
「大昔は、こんな所にまで人が住んでいたんですね」
ヒイラギは、あまりにも廃墟がいたる所にあるので、思わず立ち止まって周囲を見渡す。青年も、物珍しそうに廃墟の中を覗き込んでいた。
周りには、海も森林も無く、大地も痩せ細っており、お世辞にもそこは良い土地とは言えなかった。
「そりゃ、今の100倍以上の人間がいたんだからね。こんな辺ぴな場所でも、我慢して住まないと土地が足りないでしょ」
リッカは、各地を旅していてこのような廃墟にも見慣れているせいか、気にもせずにさっさと先を歩く。
その倒壊しかけた建物は、まるで亡霊の様に妙な存在感を放ちそこに存在していた。
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