第30話 二人の星③

「遅かったじゃない」

 宿屋に戻るとすでにリッカが買い出しを終えて戻ってきており、青年を待ち構えていた。

「おかえりなさい」

 ヒイラギも、どこかスッキリと吹っ切れた様な表情をして出迎えてくれた。

「せっかくだし、色々街を見て回っていたら遅くなってしまった」

「そう、何か面白いものでもあった?」

 リッカは、先ほど買ってきたと思われる衣服を広げて見ている。

「いや、案外ノーマルと変わらない生活をしている事に驚いたよ」

「そりゃ、そうよ。同じ人間なんだもの」

「それよりあんた、私が貸したお金でそれを買ってきたの」

 リッカは、青年の腰のベルトに刺さっている刀剣と銃を指差す。

「ああ、また戦いになるかもしれないだろう」

「もう魔女の領土に入ってるんだから、このままアオモリに着くまで戦いなんて無いって」

 やれやれと言った様子でリッカは首をふる。

「あの」と、ここで窓際のベッドに座っているヒイラギが遠慮がちに口を開く。

「ハクさんは、戦闘の心得があるんでしたよね」

「まあ、多少はあるけど」

 少女の唐突な問いかけに、青年は少し戸惑いがちに答える。

 さらに、少女は意外な事を口にし始めた。

「私を鍛えていただけないでしょうか」

「えっ、君を」

 そのあまりに予想外の言葉に、青年は思わず聞き返してしまう。

 荒事からは最も縁遠いイメージの、このどこかおっとりとした少女の口から、こんな言葉が出たのだ、驚くのも無理はない。

「強くならないといけないんです」

 ヒイラギは、その澄んだ瞳で真っ直ぐと青年を見つめる。

 その言葉には有無を言わさない、意思の強さと決意が込められていた。

(やはり似ている)

 その少女の姿は、青年に今は亡き想い人であるユヅキを思い起こさせた。

 幼少期の青年の恩人でありながら、その後共生派の地下組織に入り、志し半ばで逝ってしまった、聡明さと意思の強さを持ち合わせた女性だった。

「分かったよ、毎日朝と晩に稽古をしよう」

 青年は、自分の口から自然とそんな言葉が出てきた事に驚いた。

 アオモリまで行きロードに会うまでの付き合いだ、この少女にそこまで深入りする理由も無いはずであった。

 ベッドに座っている少女の目の前まで行くと、自分用に購入したダガーを紙袋から取り出して手渡す。

「さっそく今日の晩御飯の後にやろうか」

「これを私に?」

 ヒイラギは手の中に置かれた、柄と鞘に細かい銀細工が施されたダガーを見つめている。

「自分用に買ったやつだけど、これなら君にも扱いやすいだろう。あげるよ」


 その後、夕飯を済ませるとヒイラギと青年の二人は街の外の平原に来ていた。

 辺りに街灯などはもちろん無く、微かな月明りと宿屋から借りてきたランプの光だけが、ぼんやりと辺りを照らし出していた。

 リッカは、今ごろ宿屋の部屋で一人休んでいる事だろう。

 青年は、いつものスーツ姿ではなく、リッカが買ってきてくれた黒いTシャツとハーフパンツの動きやすい格好をしていた。

 ヒイラギも赤いブルゾンに下は黒いスパッツの出で立ちで、動きやすい様にくせっ毛の茶髪をゴムで縛って後ろでまとめていた。

「それではやろうか」

 心地よい風の吹く夜の平原で、青年はおもむろに口を開く。

「ところで、君は武道の経験はあるのかい?」

「いえ、ほとんど無いです。今まで魔法の訓練しかしてこなかったので」

 ヒイラギは横に首を振る。

(これは、ものになるまで長くかかりそうだな)

 心の中でそんな事を思いながらも、青年はセイラムで仕込まれた格闘術を、丁寧にヒイラギに教え始めた。

 力で劣る相手に対してどういう風に間合いを取って立ち回るか、蹴りや突きで最大限に威力を発揮するにはどういった体の使い方をするのかなど、二人で実際に体を動かしながら実践的な反復練習を繰り返す。

「なかなか筋が良いじゃないか」

 ヒイラギは最初こそ動きがぎこちなかったが、元々の運動神経は良く、体力もあるので、二時間後には動きがなかなかサマになってきていた。

 青年にとってこれはかなり意外だった。 この少女は魔法使いとしては天才かもしれないが、こう言った体を使う格闘術などは苦手そうなイメージがあったからだ。

「ありがとうございます」

 褒められたヒイラギは、タオルで汗を拭きながら晴れやかな笑顔を見せる。

 日中の陰鬱とした表情は何処へやら、この少女も何とか前に進もうと足掻いているように見えた。

 その少女の前向きな姿を見て、青年もどこか心の中でホッとしていた。

「今日はここまでにしよう」

 二時間もほぼぶっ続けで動いていたのだ、初日からいささか飛ばし過ぎたくらいだ。


 辺りには二人の他に誰も人はいなく、虫の歌うような鳴き声だけが響き渡っていた。

 ここで青年は、以前から少女に対して気になっていた事を話し始めた。

「ヒイラギさん、どうして君はこんなに危険を犯してまで平和を実現したいの?」

 数歩だけ離れた距離にいる二人の視線が交錯した。

「亡くなったお母さんの夢だったからです。生き残った私がそれを叶えないと」 

 ヒイラギは、ゆっくりと瞬きしてから答えた。

 その答え方は、一切迷いがなく率直で、紛れもなく少女にとって本心から出てきたもので、そして何度も自分自身に言い聞かせてきた言葉なのだろう。

「そうか・・・君は亡くなったお母さんの呪縛に囚われているんじゃないのかな」

 青年は、少し息を吸うと意を決した様に話し始めた。

「君自身の願望や意思がそこに無いじゃないか。何者でもない君自身の人生なのに」

 前々から、この少女に感じていた、わずかな違和感を口に出して言ってしまった。

 青年にとっても、これを口にするのはとても勇気がいる行動だった。

 すると、ヒイラギは驚いた様に息を呑み表情が険しくなった。

「何でそんなことを・・・あなたに何が分かるの」

 この少女にしては珍しく、声を荒らげて鋭い視線で青年を睨みつける。

 そして、ヒイラギはくるりと後ろを振り向くと街に向かって走り出した。

 その少女の後ろ姿を、呆然とした姿で見送りながら、青年は心の中でこんな事を考えていた。

(さすがにまずかったか・・・)

(彼女にあんな事を言ったが、そういう自分も父親代わりに育ててくれた人物に命じられて自ら死にに行こうとしている。人の事は言えたものじゃない)

 青年はしばらく平原に立ち尽くして、ただ星の瞬く夜空を眺めていた。

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