第13話 とある殺し屋のはなし⑤

「私にはコーヒーを、この子にはココアを頼む」

 小ぢんまりとした落ち着いた雰囲気の喫茶店に入ると、二人は向かい合ってソファ席に腰を降ろしてナガノが手早く飲み物を注文した。

 ユダはきょろきょろと店内を見回すが、カウンター席に一人お爺さんがいるだけで他には客は全くいなかった。

 店内にはテレビもラジオも置いていなかったので、独特の静けさがこの空間を支配していた。

「どうぞ」

 黒縁のメガネをかけた初老の店主と思われる少し不愛想な男が飲み物を持ってきてくれた。目の前のテーブルに白いコーヒーカップと紺色のマグカップが置かれる。

「飲みながら話そう」

 ナガノに促されて、ユダは湯気が立っている紺色のマグカップを持ってゆっくりとココアを飲む。熱々で適度な甘みのココアが冷え切った体を暖めてくれて、ユダは少し心の余裕を取り戻していた。

「それで、どうしてあんな事を」

 ユダの気持ちが落ち着いてきたのを見て取ったのか、ナガノは話を切り出す。

「それは・・・」

 ユダはこれまでの生い立ちから、孤児院で年上の少年達から暴力を受けている事、大切な人であるユヅキと仲違いして飛び出して来た事、そして生きる事に絶望して海に身投げをしようとした事まで、洗いざらい全てを話した。

 ナガノは雰囲気は少し怖いが、直感的に信頼出来る人間であると感じていたので、全てを話しても良いと思った。

「本当に大変だったんだな」

 ユダの話しを全て聞き終えると、ナガノはしんみりと労る様な口調でつぶやく。

「ユダ・・・さっき話したセイラムに入りたいと言うのは本当か」

 ユヅキと仲違いしたのは、ユダがセイラムに入りたいと言い出したのが原因だ、と言う事は先ほど話していた。

「はい」

「だけど、組織に入れるのは大人になってから、それまで今の生活に耐えられる自信がありません・・・」

 ユダは体を縮めて最後は消え入りそうな声で話す。

「正規部隊ではなくて、私の付き人として組織に入らないか?それなら年齢は関係ない」

 ユダは、ハッとした表情で顔を上げてナガノを見る。

 その、ナガノの表情は真剣で一重の鋭い目に力強い光が宿っている。

「人間は優しいだけじゃ駄目だ。強さが無いと周りに翻弄されるだけの人生で終わる」

「どうするユダ。君がこれからどう生きたいか、今ここで決めろ」

 ナガノはテーブル中央に右手の大きな手のひらを差し出した。

 その手は、今までにどれだけの戦場や修羅場をくぐり抜けて来たのだろうか、古傷だらけのゴツゴツとした手だった。

「お願いします、付き人にさせてください」

 ユダは迷うことなく自然に、テーブルの上のナガノの大きな手に、自分の小さな手のひらを重ねていた。

 その、お世辞にも綺麗とは言えないナガノの手を見て、自分もこの人の様な強い生き方をしたいと思った。


 ナガノは、スマートフォンを取り出してどこかに電話をかける。すると、数十分程で喫茶店の前に黒塗りの立派な車が到着した。

 車を運転して来たのは20代半ばくらいの青年だった。そして、彼もまた組織の人間なのか、右胸には六芒星の紋章が付いた黒い軍服を着ていた。

「はっ」

 ユダと一緒に喫茶店から出てきたナガノを見て、軍服の青年は敬礼をして出迎える。

 青年が後部座席のドアを開けると、ナガノに促されてユダは車に乗り込む。

 この時ユダは、人生で初めて車に乗ったので緊張していた。

 自動車は大昔は大量に生産されて庶民でも所有出来たらしいが、現代では反魔法使い組織セイラムなどの軍関係者、または一部の大金持ちなど所有者は限られていた。

「車に乗るのは初めてか?なかなか面白いだろう」

「はい」

 ナガノは気を使って話しかけてくれるが、ユダは初めて車に乗った興奮からか返事も上の空で珍しそうに窓の外を眺めている。

 揺れる車内から流れていく街並みを見ていると、ユダは自分が遠い所に来てしまった様に感じられた。


  20分ほど車を走らせると、街の中心地から外れて住宅もまばらになり、セイラムの本拠地である巨大なレンガ造りの建物が見えて来た。

 広大な敷地内は周囲をぐるりと高い金網で囲われており、正面の入り口にあるゲートを通らないと中には入れない造りだった。

 入り口のゲートの手前で車は止まると、脇にある守衛室の中から黒い軍服を着た中年の男が出て来た。手には何やらハンディタイプの小型の機械を持っている。

「ユダ、一度車から降りてくれるか。面倒だが規則でね」

 ナガノに促されてユダは車から降りる。ナガノと運転手の青年も続けて車から降りてきた。

「失礼します」

 こちらに駆け寄ってきた守衛の男は、手に持っている機械のセンサー部分を運転手の青年のおでこに付けてスイッチを押す。

 ピッと音が鳴り、機械に付いているランプが緑色に点滅する。

「問題ないです」

 守衛の男はナガノの存在に気付いたのか恐縮そうに会釈する。

「ナガノさん、失礼します」

「構わないよ、ご苦労さま」

 同じ要領でナガノのおでこにも機械が当てられスイッチが押されるが、こちらもランプが緑色に点滅したので問題無いようだ。

 ユダも同様にチェックを受けて問題無かった。

「皆さま問題無いので、今ゲートを開けます」

 守衛の男は敬礼して、守衛室に戻るとやがてゲートが開けられた。

「さあ、ユダ行こうか」

「はっ、はい」

 ナガノに声をかけられてユダは慌ててまた車に乗り込む。

「急で驚いただろう」

 後部座席に乗り込むと、隣に座っているナガノが表情を崩して笑いかけてきた。

「あれは、魔法使いが紛れ込んでいないかチェックしているのだ。魔法使いは脳波に特徴があるから、あの機器で測定しているんだ」

「私はこう見えてもけっこう偉いのだがね。その私でも、この施設に入るには毎回検問を受けないといけないのだよ」

 ナガノは鋭い目を細めてやれやれと言ったふうに苦笑している。


 ユダはいつしかユヅキから聞いた話しを思いを返していた。ユヅキはたまにトウキョウから出て別の地方に行くことがあるらしいのだが、戻ってきて再度トウキョウに入る時に検問を受けなければならないと言っていた。

 検問は身分を証明するIDカードの提示の他に、身体検査を受けなければいけないらしく、きっとそれも魔法使いが紛れ込もうとしてないかの検査も含まれているのだろう。

 しかし、その検問も全域で徹底されている訳では無く、同じトウキョウでもスラム街などもある貧しい地域である西トウキョウの方は検問が手薄らしく、ろくに検査もせずに外の地方から来た人間が入れるらしかった。


 車は巨大なレンガ造りの建物を通り過ぎると、隣にあるこれまた大きなマンションの様な建物の前で止まる。

「到着だ。ここは私たちの組織の寮になる」

 ナガノはユダに向かってニッコリと微笑む。

「今日だけここに泊まってほしい。明日から私の家に来てもらうつもりだが、急だったから妻にも話しをして準備をしなければいけない」

 ユダはこの言葉を聞いて心が弾んだ、明日からこのナガノと一緒に住めるのだ。 

 まだ会って数時間程だが、この少し強面で逞しい軍人は信頼出来ると感じていた。

 

「君、案内を頼むよ」

 ナガノは車から降りると運転手の青年に命令し、それに対して青年は「ハッ」と敬礼で応えた。

「ユダ、君のいた孤児院の住所を教えてくれるかな」

「えっ、住所ですか」

 ユダは渡された紙とペンを受け取り、孤児院の住所を書いてナガノに渡す。

「いきなり君が居なくなったら驚くだろうから、孤児院の人にはこれから私が話しに行く」

 そう言い残して、心配そうな顔をしているユダの頭をわしゃわしゃと撫でると、ナガノは踵を返し軽く手を上げて立ち去った。

 

「心配ない。あの人に任せておけば大丈夫だよ」

 取り残されて心細そうな表情のユダを見かねたのか、青年は素朴そうな笑顔で笑いかけて励ましてくれた。

 一緒にマンションの建物の中に入ると、広いロビーがあり清潔そうなベージュのソファーのガラスの机がいくつか並び、しっかりと手入れされた観葉植物がその空間を彩っていた。

 青年は最初に一階にある食堂に案内してくれた。これまたレストランの様な小洒落た食堂だった。

「ここは食堂ね。洋食、和食、中華料理、何でも頼めるよ」

 今はまだ夕食には早過ぎる時間のため、人もまばらでいくつかの席に黒い制服を来た男が座っていた。

「君、お腹は空いているかい?」

「いえっ、お腹は空いてない・・・です」

 青年は気を使って優しく話しかけてくれるが、ユダはまだ警戒心が解けないのかおどおどしながら話す。

「そっか、お腹が空いたらここに来て。支払いはこのカードを使って」

 青年はそんなユダの様子を意に介さず、ニッコリと笑うとカードキーを手渡してくれる。


 その後は、「部屋に案内するよ」と言われて、大きなエレベーターに二人は乗り込んだ。

 エレベーターは8階で泊まり、降りると廊下は少し薄暗く、床にはふっくらとした赤い絨毯が敷かれていた。

 そのまま、右手側の廊下を歩き、突き当りの部屋の前で前を歩いている青年がピタリと止まった。

「ここが君が泊まる部屋だよ。今日は色々あっただろうからゆっくりと休んで」

 青年は壁に『810』とシルバーのプレートが掛けられた部屋の扉を開け放つと、手のひらでユダに入るように促す。

 ユダが室内入ったのを見届けると、青年はニッコリと笑って手を軽くふる。

「それじゃ、俺はこれで。またその内会う機会もあると思うから」

「ありがとうございました」

 ユダは、案内してくれた青年にペコリと頭をさげてお礼をする。

 青年の姿が、廊下の角を曲って完全に見えなくなるとユダは部屋の扉を閉じた。


 案内された一室に入ると、小綺麗だが無機質で無個性なワンルームの部屋だった。

 ユダは窓の近くにあるシングルベットに仰向けに倒れ込み、天井を見上げる。

(今日は人生の中で最も慌ただしい一日だった。死のうと思って港をさまよっていたら、セイラムに誘われて・・・)

(お姉ちゃんは今ごろどうしているだろうか・・・)

 取り留めもなく思考が流れていく内に、ユダはうとうとし始め、いつしか深い眠りについていた。


 こうして、ユダは思いもよらない形で反魔法使い組織セイラムの一員になったのだった。

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