第12話 とある殺し屋のはなし④

 翌月、12月のちょうどクリスマスイブの日だった。トウキョウでは珍しく前日から大雪が降り注いでおり、地面には足の脛のあたりまで雪が降り積もっていた。

 そして、今日はユダの11歳の誕生日でもあった。

 朝からユダは一人で孤児院の自室に閉じこもると、窓から雪が流れるように降り注ぐ外の光景を眺めていた。

 ユヅキがそろそろ孤児院を訪ねてくるのでは、と言う期待もあって外を眺めていた。


 リーン

 お昼頃になると孤児院の玄関のベルが鳴る音が聞こえた。

 外を眺めるのにも飽きたユダは部屋で寝転びながら、「魔女狩りソルジャー」の本を広げて読んでいた。

 バタバタと部屋の外から足音が聞こえると、その足音はユダの部屋の前で止まる。

 コンコンと、扉がノックされる。

 ユダは起き上がり部屋の扉を開けると、そこにはグレーのロングコートに黄色いマフラーを巻いた出で立ちのユヅキがいた。

 その、ショートカットのくるくるとした黒髪と長いまつ毛がわずかに濡れていた。この大雪の中来たので、頭に積もった雪が溶けて濡れたのだろう。

「お姉ちゃん・・・」

 いきなり登場したユヅキを目の前にして、心の準備が出来ていないユダは言葉が出てこない。

 ユヅキはその気品のある美しくは変わらないが、少しやつれたようで顔色も少し青白い。

 部屋の中にはいってくると、ユヅキはマフラーを取ってユダの目線の高さに合わせて膝立ちになる。そして、ぎゅっとそのままユダを抱きしめた。

 ユヅキの女性らしい体の柔らかさと温かさを感じて、ユダは心の底から幸福感が込み上げて来るのを感じた。

 しばらく抱きついていたユヅキが体を離すと、そのままユダの両肩を掴み真剣な表情で見つめてくる。

 そして、おもむろに口を開く。

「今日はあまり時間がなくて・・・実はあなたにお別れを言いに来たの」

 ゆっくりと一言ずつ区切るようにユヅキは話す。

「私、結婚する事になって遠くに行かなければならないの。なのでもうここには来れないと思う」

 衝撃の事実を告げられてユダの頭の中は真っ白になった。

(もう、お姉ちゃんに会えないなんて。そんな事が・・・)

 次に顔を合わせた時は真っ先に以前の事を謝ろうと思っていたが、あまりのショックに頭から消し飛んでしまっていた。

「ごめんね、ユダ」

 ユヅキはまたユダの体に抱きついて、その細い肩に顔をうずめる。ユヅキの体はわずかに震えているのが感じられた。

「強く生きて。お願いだから、もうセイラムに入るなんて言わないで」

「あなたらしい生き方を探して」

 いつも凛とした雰囲気のユヅキの声は震えていた、泣いているのかユダは右肩に湿っぽい感触を感じた。  

「あなたらしい行き方って・・・」

 ユダはボソリとつぶやく。

 そして、この少年には珍しく強い口調で叫ぶ。

「何だよ生まれた時から全て持っていて、何もかも恵まれていて・・・そんなあんたに僕の事がわかるもんか」

 自分の肩に顔を伏せて泣いているユヅキの体を反射的に突き飛ばしてしまう。

 ユダはハッと顔を上げると、突き飛ばされて地面に手を付いているユヅキの表情を見て驚く。

 今までに見たことのない悲しげな表情を浮かべていたのだ。少年は、自分が取り返しの付かない事をしてしまったのだ、と言う後悔の念がじんわりと心を締め付けて来た。

「私だって・・・恵まれているわけじゃない」

 今にも泣き出しそうな、絞り出すような声でユヅキは話し出す。

「唯一許された自由がこの孤児院にボランティアに行く事だった。それ以外は一切自由のない生活で、自分の結婚相手さえ・・・」

 そこまで言いかけて、さすがにこれ以上は、と思ったのか黙り込んでしまう。


 ユダはこれ以上この場にいるのに耐えられず、部屋から飛び出しそのまま建物の外に出て目的地もなく走る。

 並木道の膝下まで積もった雪を踏むたびにキュッ、キュッと小気味よい音が鳴る。

 外は相変わらずの大雪で、コートも着ずに部屋着のまま外に飛び出したのでユダの体はすぐに冷え切ってしまい、吐く息も真っ白であった。

 どれくらい走ったのだろうか。

 ユダはいつしか街の外れの港に来ていた。灯台が遠くにあるだけで、港内には船が一つも止まっておらずがらんとしていた。

 走り疲れすっかりと息も上がっていたので、とぼとぼと歩きながら防波堤の端まで来た。大雪が降っている事もあってか周囲には人っ子一人見当たらない。

 ユダは防波堤の端からしゃがんで海を覗き込むとすぐ目の前には、どんよりとした灰色の海が広がっていた。

(この先、お姉ちゃんがいない生活は考えられない、あの人がいたから希望を感じられたのだ。終わりの無い周囲からの暴力にも耐えられたのだ)

「もういいや、終わりにしよう」

 ユダは冷え切った小刻みに震えている体で、絞り出すように声をだす。その声は自分から出ているのではなく、どこか遠くで別の人間が話しているように聞こえた。

 そして、灰色の海に飛び込もうと体を前のめりに倒す。

 この大雪だ、海の中はとんでもなく冷たいだろうなと一瞬考える。それでも、この絶望的で暗い世界から逃れたい一心で、体を前に倒し海に飛び込む。


 もう少しで、灰色の海に沈もうとするその瞬間、グイッと強い力で上着の首根っこを掴まれ後ろに引き倒される。

 ユダはそのままの勢いで仰向けに倒されて、灰色の空と休みなく振り続ける真っ白な雪が目に入った。大量に降り注ぐ雪が、どんどんと目や口の中に入ってくる。

「少年よ、こんな大雪の中を何をしている」

 仰向けのまま空を見ていると、渋い表情をした男が立っていた。その低い声は、日常的に人に指示を出す事に慣れている人間特有の、有無を言わさない強い響きが感じられた。

「いえっ、そんな」

 ユダは地面に寝そべっている体を起こして、目の前の男をあらためて見る。

 大柄でその分厚いコートの上からでも屈強な体格をしているのが見て取れる。目元は眼光が鋭く一重で、全体的に引き締まった顔立ちで禁欲さを感じさせた。

 年齢はおそらく30代半ばくらいだろうか。青年とも中年とも言えないちょうど中間くらいの年代だろう。

「とりあえずこれを着なさい」

 男は着ていたカーキ色のコートを脱ぐとユダに掛けてくれた。

「ありがとうございます、あっ」

 ユダはコートを脱いだ男の姿を見て思わず声をあげる。

 上下共に黒の軍服を着ており、その上着の右胸の辺りには、反魔法使い組織セイラムの紋章である金色で縁取られた六芒星が輝いていた。

「セイラムの人ですか」

「うむ、そうだが」

 海に身投げしようと思っていた所をたまたま救ってくれたのが、憧れのセイラムの人間だった。ユダは、この偶然に運命めいたものを感じていた。

「私には君くらいの年齢の息子がいたのだが・・・とある事故で亡くなってしまった」

 男は過去に思いを馳せるように、目の前の灰色の海を見つめながら話す。

「その、息子と同じ年齢くらいの君が自ら死のうとしているのを見逃すわけにはいかない。喫茶店で温かいものでも飲みながら理由を聞かせてくれないか」

 男は今まで一切厳しい表情を崩さなかったが、この瞬間だけニコリと心が暖まるような笑顔を見せた。

「うん」

 ユダは気恥ずかしそうに小声で返事をする。

「私はナガノと言う、君の名前は」

 ナガノと名乗った男は手を差し出してくる。

「僕はユダと言います」

 ユダはおずおずとナガノの手を握って握手する。ナガノの手も同じくらい冷えていたが、そのガッシリとした大きな固い掌に包まれてていると不思議と心が落ち着いてきた。

「今日は寒いしな、早いとこ暖まりに行こうか」

 握手している手を離すと、ナガノは踵を返し手で行こうと合図をする。

 前を歩くナガノから数歩離れてユダは後ろを付いて行く。街の中心部に向かって路面電車の線路沿いに歩いている内に、大雪は止み、曇っていた空からは太陽が顔を覗かせていた。

 雲の隙間から差し込む幾筋かの太陽の光が、前を歩くナガノの大きな背中を照らし出す。後ろからその光景を見ていた少年は、いつしか男に憧憬の念を抱いている事に気づいた。

 そのまま、街の中心部にある喫茶店に到着するまで二人は無言で歩き続けた。

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