第5話 とある魔女のはなし⑤

 「ふーっ」

 少女は一つため息をつくと、ようやく気持ちが落ち着いてきた。

 まとわりつく汗を流すべくシャワーを浴びると、白のTャツとジーンズ生地のハーフパンツに着替える。

 タオルで頭を拭きながら部屋をぶらぶらしていると、ぐーーーっ、と間の抜けたお腹の音が部屋に鳴り響く。

 「うん、腹が減ってはなんとやらだし」

 ヒイラギは、この部屋には他にカラスのジジしかいないのに、なぜか弁解がましい事を口にする。

 戸棚から昨日ミズタが持ってきてくれたフランスパンを出すと、そのままかぶりついてもぐもぐと食べ始めた。

 「カアッ」

 パンの匂いに釣られて、いつの間に目が覚めたのか、ジジは少女の肩に乗っかって来ると、それをよこせと催促するように鳴く。

 「はい、待ってね」

 パンを細かく何個かに千切って、ジジのつるっとしたクチバシの前まで持っていく。

 そのパンくずを、小刻みにクチバシを動かして素早く完食する。体は小柄だが、ジジはとても食欲旺盛なカラスであった。


 一通り食事が終わると少女は、うーんと両手を上に伸ばしてのびをする。

 「さぁ、そろそろ荷造りしないと」

 ヒイラギは部屋の隅にあった黒いバックパックを手に取ると、衣類やらプラスチック製の食器やら日用品を一通り詰め始める。

 さらに、地図、音楽プレーヤー、母親のスマートフォン、太陽光で充電出来るバッテリー、玄関に飾っていた両親の写真、など細々とした物を詰めていく。

 そして、少し悩むと本棚の前に行き、そこからお気に入りの「進め!まほマットくん」と言う、ボロボロになったマンガ本を抜き出してバックパックに入れる。

 未来から来た魔法使いロボットが、人々の無理難題とも言える願いを解決しながら旅を続ける、と言った内容の彼女の心のバイブルとも言えるマンガだった。

 そして、奥の部屋から寝袋を持ってくると荷造りは完了した。

 「ふーっ、いっちょ完了」

 年頃の16歳の少女にしては、あまりにも少ない荷物であった。昨日、ミズタからプレゼントされた赤いブルゾンを羽織ると、ジジが肩に乗ってきた。


 ガチャ

 ふと、背後で玄関のドアが開く音がした。

 「起きてるかね」

 ミズタが昨日の約束通り、見送りに来てくれたようだ。

 「もちのろんです」

 ヒイラギは右腕で力こぶをつくるようなポーズをして答える。

 「はっはっ、絶好調だな」

 ミズタは床に置いてある、パックパックと寝袋を見て少し寂しげな表情をする。

 「もう行くのか」

 「はい」

 ヒイラギは言葉少なに答えると、バッグパックを背負ってその上に寝袋を載せる。

 「さあっ、行きますよ。わたしの門出を祝ってください」

 ミズタの寂しげな心境を感じたのか、少女は努めて明るく振る舞った。


 ミズタと一緒に家を出ると、少女は後ろを振り返り、両親が亡くなってから長い歳月住んでいた、思い出深い我が家に目を向けた。

 そして、「今までありがとう」と、口の中で呟く。

 そのまま、さっと踵を返し、後ろは振り返らずに森の獣道を歩き始める。

 ヒイラギもミズタも無言で並んで歩き続けた。お互いに、話したい事は沢山あるはずなのに言葉が出なかった。


 無言のまま、いつしか森が途切れて砂浜に出てしまう。

 その広くて青い海には、大昔の残骸である倒壊した巨大なビルが横たわっていた。さらに奥には、不自然な形で斜めに電信柱が伸びている。

 「それではミズタさん、お元気で」

 ヒイラギは、にこりと笑って別れを告げる。今生の別れになるかもしれないのに、二人の間には、どこかギクシャクとした空気が流れていた。

 「うむ、元気でな」 

 ミズタも、歯切れの悪い口調で答える。

 軽く手をふるとヒイラギは歩き始めて、立ち止まって見送るミズタとどんどん距離が離れていく。

 お互いの距離が数十メートル離れた頃だろうか。

「ヒイラギーー」

 後ろから、大声で自分の名前を呼ぶ声がしたので少女は後ろを振り返る。

 「頼むっ、生きて帰ってきてくれーー」

 その声の主である、ミズタの目には涙が溢れていた。

 いつも温厚で落ち着いているミズタが、泣いているところを見たのが初めてだったので、少女は驚いた。

 それは、心の底から叫んでいるような熱がこもった言葉だった。

 「大丈夫だからーー」

 その思いに答えるように、口に手を当ててヒイラギは叫ぶ。

 そして、すぐに前方に振り返ると彼女もまた涙を流していた。ミズタには、自分が泣いている姿は見せたくなかった。


 バサッ

 ジジは少女の肩から飛び立つと、太陽に向かってぐんぐんと上空に羽ばたく。

 ヒイラギはそれを眩しそうに目を細めながら見あげ、一歩また一歩と砂浜を歩いていく。

 こうして、一人の魔女の長く険しい旅は始まった。

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