3・天邪鬼とペシミスト(前編)
翌朝、カーテンレールから鋭く響いた摩擦音が耳を、同時に差し込む強烈な朝陽が瞼を突き抜け、心地よい眠りは終わりに告げる。
「……眩しい」
「知ってる。昨日の仕返し」
目覚めて一番に感じたのは、右手首と舌の根の痺れ。昼過ぎには激しい筋肉痛へと変わるだろう。愚行の代償は大きい。
「起きるんじゃなかったの?」
私が右手を眺めて昨夜の余韻に浸っていると、海莉はそのまま腕枕にして再び布団を被った。
「別に。今日休みだし。すやすや眠ってるこーちゃんにムカついただけ」
「さいですか」
休みなのは私も同じなので、睡眠時間が予期せず短くなったことについても特に思うことはない。
海莉が過ごしたいように過ごせればそれでいい。
「怒ってる?」
「まぁまぁ」
「ごめんね、へたっぴで」
「そういう問題じゃない」
「じゃあ良かった?」
「…………すんごく」
「それは良かった。明日からもっと私も頑張っちゃお」
「ダメ。あんなの毎日されたらおかしくなっちゃう」
「私されてるんだけど?」
「こーちゃんはいいじゃん。今更だし」
「なんだとー」
お互いに未だ蕩けた脳みそで、中身のない会話を紡ぐ。言葉だけが重なり合い、いつになっても意味は生まれない。表情筋が緩むほどに、心地いい。
ふわふわしたやり取りが寝息に変わる直前、海莉は唇を尖らせて言った。
「……いじわる」
顔は私の胸元に
「みんないるのに。無理やり声出さそうとしたでしょ」
「あーほら、ダメだって言われるとやりたくなっちゃうだよ。なんだっけ、カリギュラ効果?」
あの瞬間、自分でもうんざりするほど面倒臭い心理に陥っていたことを私も思い出して、自分の偏屈さにほとほと呆れる。
海莉の家族は、素敵な人達だって、私だってわかっているのに。
なぜ好意や善意をそのまま受け取ることができないんだろう。
「たんなる天邪鬼でしょ、こーちゃんは」
海莉は、たった一言でバッサリ切り捨てた。
「だね」
天邪鬼。そのワードがいやに身に沁みて、瞼を下ろす。
二度寝する気はない。ただ、込み上がる思い出に身を任せたかった。
あの日。
×
親元から逃げるように上京し、入学したFラン大学。気紛れで所属した演劇部で、同期の女子は海莉だけ。あとの四人は男子達。自然と二人で一緒にいる時間は増えていったが、私は常に、一線を引くように意識していた。
だって、好きになってしまう。
ひと目見て、好きの種が植え付けられたことを直感した。一緒に長い時間を過ごせば、それは芽生えるだろう。それがどんな色な形の花になるかわからない。悪感情だけを生み出す醜い植物になる可能性だってあった。
中学生の時、初めて恋をしたのは担任の先生だった。その時は憧れと混在しているとしてそっと胸の奥底にしまい込むことに成功したが、高校生になってから友人の友人に一目惚れして、ハッキリと、私の好きな人は同じ性別なのだと自覚した。
彼女たちは私の知らない週末であっという間に彼氏を作ってしまう。好きになっても、好きになりそうでも、異端者たる私は傍観者で、私以外の誰かに恋をして美しくなる彼女たちにできることなんて、現実世界では何もなかった。だから思う存分、妄想世界で好き勝手していた。
そうやって日に日に広がっていく現実と妄想の乖離は、妄想世界での渇望の埋め合わせを過激にしていく代わりに、現実世界での立ち回りを上手くしていく。
だから、海莉ともたんなる同期のまま、知り合い以上友達以下のまま関係を続けていけると思っていた。
「……しちゃったね」
照れるように海莉がそう言う直前、試すようなキスをしてきたのは彼女の方からだった。
きっかけは、初めて家に招待されて二人で協力して進むゲームを六時間くらい遊んだあと、突如海莉が発起した提案だった。
「そういえば今日はポッキー&プリッツの日だね」
「一月十一日だから一足りなくない?」
「あーほら、二〇二一年じゃん、隣の一借りよう」
「不格好だなぁ」
わけがわからないながらも心臓は張り裂けそうなくらい拍動していた。
遊ばれているのか、試されているのか、それとも何も考えていないのか、わからない。
わからないけれど、拒めるわけがない。
「じゃじゃーん」
部屋から出たあとすぐに戻ってきた海莉は、リビングから回収してきたらしいイチゴ味の小枝の袋を開けた。
「短くない?」
「短くたっていいじゃん。年越しそばじゃないんだから」
「なにそれ」
返す言葉に悩んでいると、さっさと端を咥えた海莉が「ん」と言って反対側を私に向けた。
どうして目を瞑っているんだろう。
どうしてこんなことになっているんだろう。
ああ、もうダメだ。せっかく一所懸命、好きにならないように努力していたのに、もう無理だ。
というか家に誘われた時点で浮かれきっていた。海莉の部屋に入った瞬間、これは史上の幸せとして人生に刻まれるなと感慨に耽っていた。
それが今、どうして。
「「……」」
あまりにも遊びがないポッキーゲームは、あっという間に決着がついた。私達は荒い鼻息を恥ずかしがりながらも、その唇を離せないまま、どちらからともなく手を繋いだ。
それからは部活や、ゲームや、遊びや、いろんなことを口実にして、いろんな人にいろんな嘘をついて、二人きりになる時間を求めて、何度も手を繋ぎ、唇を合わせた。
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