大江戸怪物合戦 ~禽獣人譜~

七倉イルカ

第1話 序・会津の怪獣騒動


 静岡には、徳川家康が築城した駿府城があった。

 天守閣は南に駿河湾を望み、視線を北東に向ければ雄大な富士がそびえる。


 この駿府城には、肉人が現れたという有名な話がある。


 徳川家康が、帝より将軍を任じられたのが1603年。

 その6年後。1609年のある朝のこと、駿府城の庭に、奇怪なモノが現れたのだ。

 

 人の形をした肉の塊である。

 身の丈は、子供ていど。

 その肉人とでも言うべきモノは、何を伝えたかったのか、指の無い手で、しきりに天を示す仕草をくりかえした。


 警護の者たちが集まったが、肉人は、見かけに反して素早く、なかなか捕らえることが出来ない。


 当時、家康は、将軍職を息子の秀忠に譲り、江戸を離れて駿府城に戻っていた。


 報せを受けた家康だが、肉人に興味を持たなかった。

 「無理に捕らえずとも良い。見えぬところへ追い払え」

 そう命じ、肉人は、家来たちによって城外へと追い立てられ、山の方へと姿を消した。


 のちに薬学に詳しい者が、この話を聞いた。

 「なんと惜しいことだ。

 その肉の人間は、中国の書物『白澤図』に記されている、『封』というものに間違いない。

 封の肉は仙薬であり、食べれば、武勇にすぐれる力を得ることができるのだ」

 この者は、そう言って嘆いたという。

 

   ◆◇◆◇◆◇◆◇


 1671年には、このような話がある。

 肥前国(現在の佐賀、長崎県あたり)大村藩の藩主、大村純長の乗る船が、浦辺(岡山県の南東部。瀬戸内海)のあたりの海岸線を進んでいた。


 「なんぞ?」

 「あれは、なんぞや?」

 船が波をかき分けて進んでいると、船首にいる水夫たちが騒ぎ始めた。


 騒ぎに気づいた純長が、家来と共に現れると、前方の海面に、二抱えほどの黒雲が湧きあがっているのを見た。

 黒雲は海風で拡散するでもなく、ねっとりと固まったまま、ゆるりゆるりと船へ近寄ってきた。


 「これは面妖な」

 純長が驚いた顔になった。


 そうこうするうちに、黒雲は船の上に達した。

 船上から手を伸ばせば、届くか届かないかという高さである。

 ここで、さらに恐ろしいことが起こった。


 黒くもの中から「ああ、悲しや」と、しゃがれた声が聞こえたのだ。

 悲しや。

 悲しや。

 ああ、なんとも悲しや。

 その声の主なのか、黒雲の中から、やせ細った人間の足が現れた。

 枯れ枝のような足は、ピクリとも動かない。


 「足か? 人の足なのか?」

 「私が、引っ捕らえてみせましょう」

 肝の座った家来の一人が前へ出ると、「えいや」と飛びあがってその足をつかみ、力を込めて引っ張った。

 黒雲の中から船上に引きずり下ろされたのは、なんと老婆の死体であった。


 「どういうことなのだ」

 あまりに不思議であったため、純長は船を停めさせた。

 そして、近くの浜に住むものならば、何かを知っているかも知れぬと思い、事情を聞いてくるよう、足軽二人に命じた。


 足軽二人は小舟に乗って浜へと向かい、近隣の浜に住む人々に話を聞いて回った。

 話を聞いた人々は、その老婆は、材木屋の母親に違いないと答えた。

 ほんの少し前、どこからともなく現れた黒雲に包まれ、連れ去られたと言うのだ。

 強欲で、すこぶる評判の悪い老婆であったと言う。


 「……火車だな」

 戻って来た足軽から、話を聞いた純長は、納得した顔でそう言った。

 「それは、なんでございますか?」

 家来が聞くと、純長が説明をした。


 「悪行を重ねた者が死ぬと、その亡骸を連れ去っていく物の怪よ。

 その昔、権現様(家康)に仕えていた松平近正という者は、従兄弟の葬儀に現れ、遺骸を奪おうとした火車の腕を斬り飛ばしたそうだ」

 「真でございますか?」

 「真も真。火車の腕は、近正の孫娘が信濃の諏訪家に嫁ぐ際、引き出物の一つとして贈られたと聞いたわ」

 純長は、そう答えたそうである。


   ◆◇◆◇◆◇◆◇


 1782年の会津(現在の福島県西部)では、磐梯山の山中で、弓、鉄砲隊による怪獣討伐が行われた。

 このときの怪獣の姿を描き写した瓦版が残っている。


 ことの発端は、磐梯山の麓で頻発した、子供たちが行方不明になる事件であった。

 領主が調査を命じると、昨年の夏ごろから得体の知れぬ怪獣が現れ、子供をさらっては、喰らっているということが判明した。

 さらに怪獣は、磐梯山を棲みかとしていることまで突きとめられた。


 「怪獣といえども、わしの領地で好き勝手なことをさせるな」

 領主は、代官の岩坂庄兵衛に怪獣討伐を命じた。

 「承知いたしました」

 庄兵衛は足軽を集め、100人以上の弓、鉄砲隊を編成すると、磐梯山を取り囲み、そのまま山狩りを開始した。


 道案内に雇った地元の猟師が怪獣の足跡を発見し、庄兵衛の率いる兵士たちは、「やーやー」と声を張り上げて怪獣を追い立てた。

 包囲の輪が縮まると、追い詰められた怪獣が、足軽たちの前に姿を現した。


 現れた怪獣は、巨大なものではなかった。

 身の丈は四尺八寸(約1m44cm)。

 当時の人と、さほど変わりは無い。


 「人喰いの怪獣だ! 八つ裂きにせい!」

 「逃がすな! 矢を放ち、鉄砲を撃ちかけよ!」

 無数の矢が放たれ、銃声が鳴り響いた。


 ところが、この怪獣、何度も矢を射、鉄砲を撃ちかけても、まったくひるむ様子が無かった。

 「どういう生き物なのだ……」

 困り果てた庄兵衛の元に、一人の浪人が現れた。

 「私は松前三平と申します。

 しがない浪人者ですが、大砲に心得がございます」

 三平のいう大砲とは、車輪をつけた砲架に乗せるような大型のものではなく、銃身が太く短い、大筒とも呼ばれる携帯用の大砲のことである。


 「怪獣を討てるか?」

 「おまかせを」


 三平は、足軽たちに大声を出して怪獣の気を引くように告げると、自身は茂みの中に入り込み、怪獣の背後から近づいた。

 足軽たちの大声に、自分の足音を隠し、そろそろと近づく。


 伸ばした手が届くほどの距離に近づいても、なお三平は、間合いをじりじりと詰めた。

 そして、三平の気配に気付いた怪獣が振り返ろうとした瞬間、腰だめにした大砲の引き金を引いた。


 轟音が鳴り、さすがに怪獣も地べたに叩きつけられた。

 三平は大砲にて、見事に怪獣を討ち取ったのである。


 目を見開いたまま転がる怪獣は、近くで眺めると、とてつもない容貌をしていた。

 乱れた髪は、身の丈と同じぐらいに長く、口は耳まで裂けている。

鼻は鶴のクチバシのように伸び、立たせれば、その長さは膝に届くほどである。

 全身は鋭い針のような毛で全身が覆われ、容貌は巨大なヒキガエルのようにも見える。

 尾は長く、一丈七尺(約5m)。

 手足は短く、手には水かきのような膜までがあった。

 あまりのデタラメさに、人工物のような感じすらする怪獣である。



 江戸時代は、妖怪、物の怪、化け物といわれるモノが大いに湧いた時代でもあった。


 そして、会津の怪獣騒動から35年後の江戸で、壮絶な怪異が起こり始めた……。


 ※『肉人』『火車』『会津の怪獣』の絵図は、近況ノートに添付しています。

 興味のある方は、見てみてください。

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