別れの時

 ミュウの母親は、これまでに幾度も大森林フォレストを訪れた事はあるらしい。

 この周辺の森では入手出来ない食材や薬草などの確保が主な目的だという。


 十日ほど前にも、彼女は大森林フォレストの深層を訪れた。食材の入手、すなわち獲物を狩るために。

 そこであの鳥の魔獣に遭遇した。


 鶏の様な外貌だが、身体は普通のそれの何倍も大きい。さらに尻から尾の様に生えているのは獰猛そうな大蛇。


 バジリスクの特徴をすべて兼ね備えていた。

 強敵ではあるが、ミュウの母親からすればずっと格下の存在。難なく狩れる。


 ただ互いの攻撃が届く距離まで接近した時、彼女は違和感を覚えた。通常の個体よりもやや大きく、姿形も少し異なる気もする。


 徐ろに相手の方から襲いかかってきた。

 ミュウの母親は、爪で返り討ちにしようと腕を振るうも、容易に躱されてしまう。

 彼女はそこでようやく気づいた。


 自分が相手にしているのは、バジリスクなどではない。それとよく似た別の魔獣……。


 脚部に鋭い痛みを感じた。

 大蛇が、脛の辺りに噛み付いていた。

 慌てて振り払った。


 バジリスクは毒持ちだが、ミュウの母親ならば耐えられる程度の強さだ。が、通常の毒による症状は一切現れなかった。


 ただの毒ではない。

 それに気づいて血の気が引いた。

 石毒だ。

 つまり、あの鳥はコカトリス。

 この森には棲息していないはずなのに……。


 ミュウの母親でも、さすがに石化への耐性はない。為す術もなかったが、彼女はとにかく自らの棲み家を目指した。

 無論、そこへ戻っても石化を阻止したり治癒する薬かある訳ではない。

 けれど、彼女は〈竜の穴〉へと急いだ。

 ……娘がそこで待っている。


 洞窟へたどり着いた頃には、既に手や足に石化が始まっていた。全身が石化してしまうまで、もうあまり時間はなかった。

 ミュウの母親は、ひたすら穴の底を目指した。


 彼女があの場で石化していた理由がわかった。

 竜は、横穴の一つを塞ぐ様に鎮座する様に石化していた。その横穴には、ミュウがいた。

 彼女は娘を護ろうとしたのだ。


「ひとつ、お聞きしてもいいでしょうか?」


 僕にはどうしても尋ねたい事があった。


「何でしょう?」

「どうして、ミュ……いや、フィオラに言葉を教えなかったんですか?」 


 ミュウの母親は、こうして流暢に僕ら人間の言葉を操っている。

 けど、最初に僕がここでミュウと出会った時、彼女はこちらの言葉を全く理解していなかった。

 つまり、母親から人の言葉を一切教わってこなかった事になる。それは不自然に思えた。


 僕の問い掛けを受けて、ミュウの母親は物憂げな表情を見せる。


「フィオラには竜として生きて欲しかったんです」

「え?」

「人間とはなるべく関わらずに」


 なぜ……と、問おうとして僕は口を噤んた。

 関わらせたくないという事は、彼女が僕ら人間をネガティブな存在と捉ええいるからだろう。


「すいません。思い切り関わらせちゃいました」


 ミュウの母親は、微笑を浮かべ首を振る。


「あなたが謝る必要なんてありません。……それより、教えてもらえませんか?」

「はい?」

「あなたとフィオラが、ここを出てからどんな風に過ごしたのか」


 長くなりそうなので、僕は二人に腰を下ろすよう促す。

 僕も地面に座り、話し始めた。


 この十日間について。

 できる限り細部まで丁寧に。

 ミュウとの出会い。蝙蝠の魔獣との遭遇。一緒に肉を食べた事。二人での脱出。

 町での生活。

 大森林フォレストでの戦い。

 一緒に風呂へ行った事は……黙っておこう。


 ミュウの母親は、真剣な顔で時に笑みも浮かべて聞いてくれていた。が、複雑そうな表情を浮かべる瞬間もあり、それが何を意味しているのか少し気に掛かった。


「エイルさん、あなたはには心の底から感謝します」

「いや、そんな」

「フィオラの面倒をみていただき、ありがとうございます」


 ミュウの母親は、僕に深く頭を下げた。


「僕の方こそミュ……フィオラには感謝しているんです」


 本心だった。この十日間、僕は何度もミュウに助けられた。


「ありがとな」


 ミュウは、何処か寂しげな顔で僕を見ている。


「よかったな、ミュ……じゃなくてフィオラ」

「んにゅ?」

「これからは、ずっとお母さんと暮らせるぞ」

「……」


 なぜかミュウの表情は、寂しげなままだ。


「じゃあ、僕はそろそろ行きます」


 腰を浮かす僕に、ミュウの母親が言う。


「町まで送ります」

「いえ、ここで平気です」


 せっかくの母娘の再開の時間を、邪魔しては悪い気がした。

 夜間に森を移動するのは危険だから、適当な場所で一晩明かして、明日の朝一にダウノアを目指せばいい。


「じゃあ、元気でな」


 僕はミュウに手を振る。

 母親にも一礼し、踵を返した。

 不意に強い力で右の手首を掴まれ、僕はぐいっと引き戻された。


 振り向くと、僕の腕を掴んでいたのはミュウだった。まっすぐな目でこちらを見つめていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る