領主館に潜入(ダイブ)


 僕は目の前に倒れている〈僕〉を抱き上げる。

 セリシアさんとは異なり、容易に持ち上げられた。体格が全然違うせいだろう。


「ミュウ、お前も来い」

「にゅ」


 さすがに、こんな場所にミュウだけ残して行く訳にはいくまい。


 〈僕〉をお姫様抱っこした状態で、館の敷地内へ足を踏み入れる。

 建物にも裏口を見つけたが、予想通りしっかり施錠されている。


 エプロンのポケットを探ると鍵束が入っていた。一つずつ試してみたら五つ目で開いた。


 僕は領主館へと侵入する。


 さすがに、広いな。

 迷子になりそうなくらいだ。

 ミュウはエプロンの裾をぎゅっと掴んで、ついてきていた。


 廊下を進んでいると、角で出合い頭に人と衝突しそうになる。

 メイド服姿のハタチくらいの女性だ。

 こちらを見て目を丸くする。


「メイド長ッ」


 え、この人そんな立場だったの?


「そ、その子たちは?」


 メイドは、僕とミュウを交互に見て問う。

 どうしよう?

 立場を利用しない手はないよな。


「い、今すぐ領主様の所へ、連れて行かなきゃならないのよ」


 メイドは眉を顰めた。が、何かを察した様にハッとした表情になる。僕の耳元に顔を寄せ、小声で問い掛けてきた。


「訳ありのお子様ですか?」


 僕は取り敢えず、何度も頷いておいた。領主の人間性が少し垣間見えた気がする。


 メイドの進む方へ僕も廊下を進んだ。

 通路を直進しようとした所で、呼び止められる。


「執務室、上ですけど」


 メイドは階段を指差して言う。


「だ、だよね」


 僕は階段を駆け上がる。

 メイドは、階上へは来ずその場に留まった。


 上とだけ言われても、部屋数が多すぎる。

 執務室は何処?

 さっきのメイドに尋ねたい所だけど、さすがに不自然すぎて怪しまれるだろう。


「何度も言わすな。ビタ一文出さんッ!」


 三階まで来た時、男の怒声が聞こえてきた。

 声の発生元らしき部屋のドアを僅かに開け、室内を覗き見る。


 執務机に腰を下ろす、でっぷりと太った初老男が目に入った。

 一度、町内を視察する姿を見た事がある。

 ダウノアの領主、ブルートである。


「全部、そっちで責任を取れッ!」


 怒声を浴びているのは痩身の女性だ。長い金髪、少し尖った両耳。後ろ姿でも特徴的なその姿形。

 我が冒険者ギルドのマスター、シェイル・バラードだ。


 ビタ一文出さない?

 せいぜい、捻出額で折り合いがつかない程度だと思っていたけど……。

 確かにギルド所属の冒険者の軽率な行為が原因ではある。けど、町の危機とも呼べる事態だと理解しているのだろうか?


 表情こそ確認できないけど、シェイルの心境は察するにあまりある。


「領民の命を守るのが、貴方の役目ではないのですか?」


 ブルートは鼻で嗤うように言い返す。


「森に住む貧乏人の命など知るかッ」

「く……」

「帰れッ!」


 僕は堪らず、ドアを開けた。


「何だ?」


 ブルートは、思い切り眉を顰め僕を見やる。

 勢いのまま室内へ飛び込んできてしまった。


 ど、どうしよ。

 客観的に見て、かなり異様な状況だ。


 突然、執務室に見知らぬ少年を抱いて駆け込んで来たメイド長。傍らには、同じく見知らぬ少女。


「誰だ、その子らは?」


 ブルートは剣呑さを露に聞いてくる。

 どうする。

 何て答えれば良い?


「お、お忘れですか?」


 咄嗟に出たのは、そんな台詞だった。

 先程のメイドとのやり取りが、念頭にあったからかもしれない。


「は?」

「この子たちを、お忘れですかッ?」


 領主は幾度か瞬きする。

 きっと今、ブルートは頭の中で、過去の悪事や不貞の数々を猛烈な勢いで巡らせているに違いない。思い切り目を泳がせている。心当たりがあり過ぎるのかもしれない。


 ブルートはこちらへ歩み寄り、僕の腕の中の〈僕〉を覗き込んだ。

 今だ、と思い僕は呟く。


「ダイブアウト」


 うわッ!

 眼前にいきなりブルートの顔面。

 血走った目で、こちらを凝視している。

 すかさず、僕は両手でブルートの頬に触れる。


「な……」

「ダイブッ」


 メイド長は、忙しなく室内を見回している。

 なぜ、自分はここにいるの。腕の中のこの少年は誰?

 いくつもの疑問が頭の中で渦巻き、パニック状態のはず。


「そこへ彼を寝かせて」


 隅の椅子を指し、僕はメイド長に命じる。


「え、……え?」

「いいから、早く」


 領主から命じられたメイド長は、唯々諾々〈僕〉を長椅子に寝かせる。深々と一礼して、部屋を後にした。


 シェイルは、呆気にとられた顔で立ち尽くしている。僕は執務机に腰を下ろし、シェイルに着席を促した。

 戸惑いを露にしつつも、彼女は従う。


 領主の身体でとはいえ、ギルマスと対面するとさすがに緊張する。 

 声が震えるのを抑え、僕は問い掛ける。


「で……」

「はい?」

「いくら必要なんですか?」


 あまりに予想外な問い掛けだったのだろう。シェイルはしばし固まっていた。


 用意した誓約書に、僕はシェイルに言われるがまま金額を書き込む。さらに魔導印を捺す。


 まぎれもなく、ブルートの指による捺印。

 王国法に基づく正式な誓約書だ。もはや領主でも破棄する事はできない。それが出来るのは国王陛下くらいだ。


 シェイルは誓約書を手に、大急ぎで冒険者ギルドへ戻って行った。


 僕は配下の者に、馬車を手配するよう命じた。それで、〈僕〉とミュウを町まで送り届けるよう申しつける。

 あとは程よい所でダイブアウトするだけ。


 けど、せっかく領主の立場を手に入れたんだ。

 何か他に出来る事はないだろうか?


「あの」


 馬車を見送った僕は、すぐ側に控える最側近らしき白髪の男に声を掛ける。


「なんでございましょう?」

「め、命じたい事がある」



 僕は馬車の客車で目覚めた。

 傍らには、ミュウが寄り添っていた。

 既に町に到着していたようだが、御者は僕が起きるまで待っていてくれたらしい。


 僕はミュウを連れて馬車を下り、冒険者ギルドへと急ぐ。

 そっと入口の扉を開けると、館内は静まり返っていた。


 依頼掲示板クエストボードの前に、シェイルが佇んでいる。

 数十人の冒険者たちが、固唾を呑んで彼女を注視している。どうやら、タイミング良く戻って来られたみたいだ。


「よって、ギルドマスターの名の下、レイドの発令を宣言する」


 シェイルは力強く言い放つ。


「目的はただ一つ。大森林フォレスト浅層からの、狂猿マッドエイプの撃滅。以上ッ!」


 館内に歓声が響き渡る。

 うおー、いえい、やったるう。掛け声は様々で揃ってはいない。

 腕組みして黙り込んでいる者や、仲間たちで既に話し合いを始める人たちもいる。

 一体感があるのかないのか、よくわからない光景だ。


 僕は、その雰囲気にただ圧倒されてしまう。


 勿論、僕なんかが参加するにはあまりに危険なレイドである。

 でも……、僕だってこの町の冒険者ギルドの一員だ。


「ミュウ、僕もレイドに参加するよ」


 そう言っても、よく理解出来ないだろうけど。


「とても危険なんだ。今回ばかりは、お前は宿で留守番していてくれ」


 ミュウは激しく首を横に振る。


「いっしょ」

「ミュウ……」

「いっしょ!」


 僕の腕をミュウはグッと掴む。


「そういや、約束したんだったな」


 もう置いてけぼりにはしないって。


「わかったよ。僕とお前は一緒だ」

「んうッ」


 僕はミュウと二人で、そっと建物を後にした。

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