第26話


 狂猿マッドエイプ


 大森林フォレストの、主に中層に棲息する猿の魔獣である。


 三十から、多くて百頭以上の群れで暮らす。森の生き物で、それほど大規模な群れを形成するのは稀だ。

 名称とは裏腹に、穏やかな性格で争いは好まない。こちらから攻撃をしかけない限り、けして襲っては来ない……はずである。


 が、駆け込んできた件の冒険者は、大森林フォレスト浅層の奥地を探索中に狂猿マッドエイプに遭遇し、問答無用で襲われそうになり這々の体で逃げ帰ってきたらしい。

 しかも、相手は完全に正気を失ったかような状態だったという。


 狂猿マッドエイプに夫婦関係は存在せず、雌雄とも複数の異性と性交する。

 故に、子供が生まれても父親が誰かは特定できない。かといって雄たちに父親の自覚がないかといえば逆で、群れの子供は皆、自らの子であると認識しているらしい。


 だから、もし狂猿マッドエイプの子供が殺害されれば、群れの雄たち全部が激しく怒る。まるで狂戦士バーサーカーのごとき状態となり、殺害犯と同種と見れば見境なく襲いかかる。さらに相手の縄張りまでやって来て暴れまくる。

 狂猿マッドエイプが、その名前通りの本性を発揮する瞬間である。


 けして、狂猿マッドエイプの子供には手を出してはいけない。

 大森林フォレストで狩りをする者にとっては、常識中の常識だ。


「ガキになんか、手ぇだしちゃいねえよ!」


 ミルゴが、必死の形相で他の皆に訴えた。


 彼がつい最近、相棒と共に狂猿マッドエイプを狩った事は知られていた。その毛皮をギルドに持ち込んだのだから、言い訳はできない。


 ていうか、僕はまさにその現場を目撃した。

 確かに僕が見た限りでも、彼らが仕留めた猿は子供ではないようだった。


「妊娠していた可能性は?」


 ミルゴにそう聞いたのは、例の祭服の男性だ。

 ラムレットという名の彼は、聖職者で冒険者。さらに魔獣学者としての顔も持つらしい。


 「身籠った雌を狩るのは、子供を殺すのと同義だぞ」

「そ、それは……」


 ミルゴは、隣にいる相棒の坊主頭を見やる。


「め、雌ではあった」

「けど、子持ちの猿があんな動けるはず……」


 反駁しようとするミルゴに、ラムレットは冷徹に問い返す。


「胎児の有無を確認したかを聞いてるんだ」

「……し、してねえ」


 ラムレットが深く嘆息する。


「やってくれたな、こいつら」

「雌を狩る前の状態確認は基本だろ」

「慣れねえ大物に手ぇ出すから、こういう事になるんだよ」


 冒険者らが、口々にミルゴたちへの非難の言葉を吐く。


 狂猿マッドエイプはバカではない。むしろ、賢い。ミルゴたちは、狂猿の毛皮だけ剥ぎ死骸は森に残してきた。それも大問題だという。

 猿たちはその死骸を発見し、犯人が人間族であると確信したのだろうとラムレットは言う。


 今のままでは、当面、大森林フォレストへ立ち入る事は危険だという。特に、僕のような低等級者たちは。

 

「猿の怒りって、どれくらいで収まるんだ」


 冒険者の一人が問い掛ける。 

 ラムレットは神妙な顔で答える。


「三日かもしれないし、一週間かもしれない。十日以上暴れ続けたという記録もある」


 つまり、冒険者の多くは最悪十日も大森林フォレストでの依頼クエストを遂行できなくなるかもしれない。この町で冒険者稼業をする者にとっては死活問題だ。

 それ以上に切実なのは、森で暮らす人や、農業や牧畜をしている人たちだろうけど。


 ギルド内は、重苦しい空気に包まれている。

 もはや、誰も言葉すら発しようとしない。

 ミルゴとその相棒は、隅の方で顔を真っ青にしてちいさくなっていた。


 リディアはじっと腕組みして、考え込んでいる様子だ。

 そういや、彼女は森の深層へ調査に行っていたんだよな。どんな状態だったのだろう?

 興味はあるけど、今はそれを聞けるような空気ではなかった。


 ミュウは、まったく事態を把握できていないだろう。けど、不穏な雰囲気だしは察しているのか僕の腕をぎゅっと掴んでくる。

 僕は、ミュウの頭を優しく撫でてあげた。


 入口のドアが、開け放たれた。

 館内にいた人たちが、一斉にそちらを見る。

 息を呑む者、嘆声を漏らす者もあった。

 この町の誰もが知る四人組が、そこに並んで佇んでいたからだ。

 金級ゴールドなのに、シルバーな人たちだ。

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