グラム、その三
『東を目指せ』
やはり、その言葉はルースの頭の中へと直接伝えられてきた。
今、ルースがいるのは〈アプレイク〉という町の宿の一室である。
ここは、〈竜の穴〉からも近い。
即ち、ダウノアとも。
グレンたちに遭遇する危険は承知だが、東を目指す以上ここへ戻ってくるのは避けられなかった。
ベッドに腰掛け、ルースは卓上に置かれたグラムと対面していた。
『海を超えろ』
「お前は俺に何をさせたいんだ?」
……。
剣から返答はない。ルースはため息を漏らす。
わかった事が二つある。
『声』は、ルースにしか聴こえない。
また、剣は一方的にこちらに
部屋のドアが開いた。買い出しに出かけていたマリンが戻って来たようだ。
買い物袋をキャビネットに置くと、彼女は窓辺に移動し、外の様子を不安げな顔で窺い見た。
「どうかしたのか?」
「……ううん、何でもないわ」
剣と向き合うルースを見て、マリンは溜息をつく。
「本気で海を渡る気なの?」
「『声』を無視する訳にはいかないだろう」
「ただの空耳でしょぉ?」
ドゥーリの話を聞いた後に『声』聴こえ始めたのであれば、その可能性もありうる。ただ、『声』はそれ以前からルースには聴こえていたのだ。幻聴などではない。
無視する訳にはいかない。従ってもよくない。
破滅か、死か。
最悪な二択だとは思うが、どちらか選ぶなら……前者だろう。それに、ルースは知りたかった。『声』が導く先に一体何があるのか。自らの好奇心を抑えきれない。
「私は行かないわ」
マリンはそっけなく言い放つ。
「……そうか。ならばオレ一人で行く」
「剣は置いていってよ」
「はあ?」
「当然でしょう? それは、あんた一人のものじゃないわ」
「キミだけのものでもないだろう」
「ならば、お金払って」
「カネ?」
「そう。メルヴィルが提示した額の半分」
「そんな大金ある訳ないだろう」
「だったら、剣は置いていって」
「断ったら?」
「力づくでも、そうしてもらうわ」
「……」
マリンと
ふと、マリンの顔が強張った。その理由がルースにもすぐにわかる。
廊下から足音が聞こえたのだ。しかも、ただの足音ではない。最小限の動作で、普通なら聞き漏らすほどの微音。
素人の足さばきではない。
宿の従業員や普通の客なら、こんな歩き方をするはずがない。
足音は、この部屋の前で止まった。
マリンの身体が、緊張で強張る。
ルースも身構えた。
勢いよく、部屋のドアが開け放たれた。
そこにいたのはルースたちのよく知る顔だった。
「ようやく見つけたぞ」
「ぐ、グレンッ!」
グレンの隣には、バルドの姿もあった。
「ど、どうしてここがわかったの?」
マリンが、驚きと気まずさを露に聞く。
ルースには察しがついていた。
「占い屋を頼ったのか?」
腕利きの
とはいえ、ここまでピンポイントで特定するには、極めて有能な占い師でなければ無理だ。依頼料もバカみたいに高額なはず。
「おかげで、全財産使い果たしたぜ」
グレンが吐き捨てるように言う。
「そこまでして、私たちを見つけたかったの?」
「当たり前だろ。さあ、
「ふざけないでッ。剣は私のものよ」
「なら、力づくで取り戻すのみだ」
ロングソードを抜きながら、少し前にマリンが言った台詞を、今度はグレンが口にした。
マリンも、いつでも魔法を発動できる態勢を整える。ルースは焦る。おっ始める気かよ、こんな狭い室内で。
「ちょっと待ってくれよ」
二人の間に割って入ったのはバルドだ。
「よせよ、同じパーティーのもん同士で」
「もう、こいつらは仲間なんかじゃねぇ。許す訳にはいかねえよ」
「魔が差したってヤツなんだろ?」
バルドが、ルースとマリンを見て問う。
ルースは思わず目をそらす。
「ずっと、一緒にやってきた仲じゃないか」
マリンも、気まずそうに顔を伏せた。
グレンは一旦剣を鞘に納める。
「詫びろ」
「え?」
「わびて、グラムをオレたちに寄越せ。そうすれば、今回だけは目ぇつむってやる。もう、お前らとは一生縁を切るがな」
「……」
マリンは、瞬時に考えを巡らせる。
仮に、自分とルースで、グレンとバルド相手に
ルースの攻撃手段の乏しさを考慮すれば、事実上、マリンの魔法のみで二人を相手取らなければならない。それだけで十分不利である。
それ以上に憂慮すべきは、この状況だ。
いわば、マリンたちは奇襲を受けた形である。グレンたちは戦闘になる事も想定した上で、準備をしてきているはず。
今、気づいたが、二人が装備する鎧は普段のそれとは異なる。たぶん、魔法耐性に優れた防具を選んできたのだろう。
他にも、戦闘を優位にする武器やアイテムを用意している可能性が高い。
一方、不意打ちを食らった自分たちは何の準備もできていない。
形勢は圧倒的に不利……いや、敗色濃厚と見るべきだろう。
「わ、わかったわ」
マリンは忸怩たる思いで声を絞り出す。
「言う通りにするわ」
グレンは口の端に笑みを浮かべる。
「お前はどうする? ルース」
ルースは、悔しさに唇を噛んだ。
「まあ、選択肢はないだろうがな」
その通りではある。
グレンに
「だ、誰が……」
「ん?」
ルースは、顔を上げグレンをにらみ付ける。
「誰が貴様なんかに詫びるか。この脳筋がッ!」
「ならば、お前は終わりだ」
グレンは、鞘からロングソードを抜く。
ルースは唇を噛みしめる。
くそ、詰んだか? ただ、黙ってヤツに剣を渡すくらいならいっそ……。
『抜け』
また、例の『声』がルースの頭の中でした。
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