グラム、その二

 丘の上に、煉瓦造りの豪奢な屋敷が建っている。この地の領主メルヴィル伯爵の邸宅である。


 グラムを手に入れてから五日目。

 ルースとマリンは馬車を乗り継ぎ、丸三日かけてスリムドの町までやって来た。

 竜の穴の近隣にある町や村を避けたのは、グレンたちと鉢合わせる危険性を憂慮したからだ。


 あえてスリムドを選んだのは、グラムを高く買い取ってくれそうな人物に心当たりがあったためである。


 屋敷の門前にいる衛兵に来訪の旨を伝えると、ルースとマリンはすぐに館内へ招き入れられ、応接室へと通された。

 伯爵邸にしては、華美さの乏しい応接室である。絵画や壺の一つも見当たらない。代わりに、壁には剣や槍、斧などの武器が飾られている。

 この館の主は、王国内でも有数の武器収集家として知られる人物だった。


 程なく、ドアが開き二人の男性が入って来た。

 一人は痩身で、漆黒のガウンに身を包んでいる。メルヴィル伯爵だろう。まだ若く三十代後半だという。

 もうひとりは極端に背が低く、身長は伯爵の半分もない。老齢でずんぐりとした体型。頭頂部はきれいに禿げ上がっているが、顎髭は胸元を覆うほど長く伸ばしている。おそらくドワーフだ。


 まずは挨拶と簡素な自己紹介をした。

 ドワーフの老人は、ドゥーリというらしい。

 閑話休題、メルヴィルはさっそく切り出した。


「では、見せてもらえますか?」


 ルースは持参した布の包みを解き、鞘に収まったグラムを卓上に置く。


 ドゥーリは、身を乗り出すようにしてグラムを凝視する。


「ふむ、ホンモノぞい」


 ほんの数秒見ただけでそう断定する。

 メルヴィルの顔に、喜色満面の笑みが浮かぶ。どうやらドゥーリは、優れた【鑑定眼】の持ち主らしい。伯爵が全幅の信頼を寄せる程の。


 ドゥーリは、「ふうむ」と眉根を寄せて、ルースたちを見やる。


「何か?」

「おぬしらが竜を倒せたとは思えんぞい」

「詮索するなと言ったはずだ」


 ルースたちは、グラムを売却するに当たりひとつの条件を出していた。入手方法については、一切問わないというものだ。


 人間を竜の生贄にした事、さらにパーティーで入手した希少レアアイテムの持ち逃げ。どちらも、冒険者にとっては禁忌タブーである。前者は人としてもだが。


「ご安心を。入手方法にはまったく興味がありませんので」


 メルヴィルが穏やかな口ぶりで言う。


「わしは知りたいぞい」

「もう用は済んだんだ。外してくれ」


 メルヴィルに命じられ、ドゥーリはぶつくさ言いながら退室した。


「では、金額の交渉に入りましょうか」


 そちらに関しては、マリンの方が得意なので彼女に任せた。

 武器収集家からすれば、グラムはまさしく垂涎の品だろう。いくら大金を積んででも、手に入れたいはずだ。

 マリンは、それを承知の上で金額を釣り上げていくつもりだが、伯爵とて素人ではない。熱を帯びた交渉の末、ようやく話がまとまりかけた時だ。


『東を目指せ』

「え?」


 ルースは思わず、驚きを孕んだ声を発する。マリンとメルヴィルが同時に彼を見た。


「どうかしたの?」

「今、何かおっしゃいました?」


 ルースは、メルヴィルに問い掛ける。聞こえたのは、明らかに男性の声だった。


「いいや」


 メルヴィルは首を振る。確かに、彼の声とは違った気がする。


「すいません。何でもありません」


 伯爵は、不思議そうな眼差しをルースに向けつつも、再び交渉の続きを始める。

 ルースは首を捻る。空耳か?

 そういえば、以前にも同じような声を聴いたような……。


『海を渡れ』


 今度は間違いない。ハッキリと聴こえたぞ。低く嗄れた、男の声だ。


 メルヴィルとマリンは、まったく気に留めるそぶりもなく話し続けている。

 自分にだけ聴こえたのか?

 その声は、ルースの頭の中へ直接届けられたような気がする。

 一体、何なんだ?

 ルースは、卓上のグラムに目を落とす。

 まさか……。


「それで、構わないわよね?」


 突然、マリンにそう言われ、ルースはハッと我に返る。


「すまない。何だ?」

「ちょっと、聞いてなかったのぉ?」


 どうやら、交渉は妥結したらしい。


「では、今すぐお支払いしますよ」


 椅子から腰を浮かすメルヴィルを、ルースは咄嗟に引き留める。


「まってくれ」

「え?」

「やはり、やめておく」

「はい?」


 メルヴィルは、思い切り眉を顰める。


「この剣は、売れない」


 ルースは、焦燥した素振りでグラムを掴むと、立ち上がった。


「と、突然何を?」

「すまない」

「待ってくれ、いくら出せばいいんだ?」

「とにかく、こいつは売れないんだッ」


 そう言い放ち、ルースは部屋を後にした。


「どうしたのよ、急に」


 廊下に出た所で、マリンに詰め寄られる。

 ルースには、自らの行動の理由をうまく説明する事ができなかった。

 ただ、今この剣を手放せば、きっと激しく後悔する気がしたのだ。


「賢明な判断ぞい」


 声のした方を見ると、そこにいたのはドゥーリだった。ルースたちが出てくるのを待ち構えていたらしい。

 ドゥーリは、グラムを指差す。


「それは、人が持って良いモノじゃないぞい」

「どういう意味だ?」

「『声』を聴いたぞえ?」

「ッ!」

「声?」


 マリンは、思い切り眉を顰める。

 ルースの方は動揺が露だった。


「だ、だとしら何だ?」

「けして、『声』に従ってはならぬぞい」

「もし従ったら、どうなる?」

「破滅が待っているぞい」

「無視すればいいのか?」

「『声』を無視した者には、死が待っているぞい」

「な……」

「何よそれ、どっちにしろダメじゃない」

「ぞい」

「ど、どうすりゃいいんだッ?」


 ルースは、苛立ちと切実さをこめて問う。


「竜に返すべきぞい」

「竜……、あの洞窟に戻せというのか?」

「ぞい」

「ば、バカをいうな」

「そうよ、せっかく苦労して手に入れたのに」


 ドゥーリはため息をつき、肩をすくめる。


「ならば、もうひとつ。けして鞘から抜いてはならぬぞい」

「な、なぜだ?」

「その剣で切られた者は、必ず命を落とすぞい」

「必ず……だと?」

「どんなかすり傷でも、命取りになるぞい」


 ルースは、今すぐこの剣を放り出したい気分になった。


「けして、抜いてはならんぞい」


 ドゥーリは念押しするように告げると、踵を返して歩き去った。


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