第47話 たまに邪馬台国

 日本史における最大のミステリー、邪馬台国について、最近、あまり騒がれることがなくて残念である。


 かつては、佐賀県の吉野ケ里遺跡フィーバーというのがあって、やれ楼観(物見やぐら)だ、環濠だ、柵だ、だから邪馬台国につながるなどと、熱狂的な言われ方をしたおかげで、つい自分も見に行ってしまったくちである。


 私としては、ガチガチの邪馬台国九州説人間である。


 しかし、最近は近畿説での発見が多いので分が悪くなっているのはたしかだが、それでも、九州説は捨てられないんだな。


 というのは、邪馬台国の女王だった卑弥呼は、中国にあった魏の皇帝から親魏倭王という名前を与えられているので、中国との関係がすごく濃い。


 だけど、近畿地方(大和地方)だったら、朝鮮の文化とのつながりの方が深いから、まさか卑弥呼が、中国よりもそんなに朝鮮と関係したとは思えないんだな。


 九州には、装飾古墳をはじめ中国との交流の跡が数多く残っていることを考えると、近畿地方に中国系統の邪馬台国があるわけはないんじゃないかなと。


 また、魏志倭人伝に記された邪馬台国までの経路や日数の問題でも、魏の使いが、北九州から邪馬台国まで、水行十日陸行一ヶ月とあるから九州内ではそんなにかからないとすれば近畿地方だというわけである。


 しかし、これも、朝鮮半島をあれだけ船で移動したのに、瀬戸内海を船で通らず、陸上を一か月も移動するというのは、ちょっと納得できないな。


 だが、逆に、九州内なら陸路で行くしかないってことであれば、邪馬台国は南九州ということになるね。


 つまり、そう考えると、天照大神の神話もあり、日向(ヒュウガ・ヒムカ)と言われた宮崎県こそが、邪馬台国の所在地ではなかったのかなと。


 まあ、いずれにせよ、これだけ我々に、古代への興味や関心をいだかせるものは中々ないんじゃないかと思うと、邪馬台国の話は、ときどき、盛り上げてほしいなと思うひとりである。


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