第46話 無の話

 無というのは、無いって意味である。


 無いほうがいいものとしては、悩みが無い、痛みがない、借金が無い、というのがいい。


「無上の喜び」っていうと、「これ以上の喜びは無い」って意味だが、おや、そうすると、「これ以上の喜び」ってのが無くなってしまうわけか?


 そうではない。


 つまり、「最高の喜び以外」が無になってしまって、「最高の喜び」だけが残るって意味である。


 だから、無がつくからと言って、無くなってしまうわけではないことになる。


「忙しくて休む暇も無い」といったら、「休む暇」という時間が無くなってしまったことを言う。


「忙しい時間」だけは有るので、この時間を延ばしたり、縮めたりして、引っ張ったりできる。


「無い」ということは、なんにも無くなってしまうことではなくて、別の何かは有るってことだ。


「もう生きてる希望が無い」と絶望的になったら「絶望」ということだけは有るということだから、その「絶望」を胸に懐くと、「絶望」であっても生きていることに気づくはずだ。


 高校生以下で自死を選ぶ子どもが過去最高という報道があった。


「消えたい」「死にたい」といって「生きることをやめる」「生きることが無くなること」を選ぶのだろう。


 だが、それは先ほどの論理で言うと「生きることを無しにする」ならば「死ぬということが有る」ということになって、「死ぬことは無ではなく有ということ」「死ぬことは消えるということではない」ということになる。


「死ぬことが無でない」ならば、「死んで無になることはない」から、「死ぬ意味は無くなる」ことになり、「生きる意味だけが有る」ということになる。


 つまり、「死にたい」と思ったら、「生きる意味に気づく」ということになる。


 ぜひ、何があっても生きてほしいものである。


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