第37話 スギ花粉
スギという樹木は、「生きている化石」と呼ばれるそうで 屋久島には樹齢七千年という縄文杉があるのはチョー有名だ。
だが、こんな伝説の樹木も、三月に入って暖かな日が増え、花粉を大量に飛ばし始めると、わが家族にとっては、鼻水が出る、目がかゆいとたいへんなことになって、話題にもしたくないと嫌われているのだ。
おまけに、車に粉のようにこびりついて、スタンドの洗車機が順番待ちという困った現象もおきているからなおさらだ。
そうは言っても、スギにとっては、生きるか死ぬかの問題で、花粉がなくては種ができず、種がなければ、スギは増えていけないので、生き残りをかけて、必死に飛ばしまくっているわけだ。
スギの花粉は、スギのお花のおしべにある葯(やく)という袋の中で作られ、なにせ、一ミリの三百分の一くらいの大きさの粒だから、それはそれは軽いから、スイスイ、風で運ばれて、スギのめ花にあるめしべにくっついて、種ができる仕組みになっているが、こんなことは小学校の理科で学ぶことかな。
「どうして植物にはお花とめ花があるんですか?」とか「どうして人間は、男の子と女の子がいるんですか?」という質問は、ラジオの子ども電話相談室なんかでやってそうだけどね。
まあ、答える大人の方も、まさか、染色体を持ち出すわけにもいかず、ごくかんたんな医学上の内容で男性、女性を説明したり、役割分担として説明したりするくらいでしょうか。
そこへもってきて、存在としての男性、女性ということを説明するとなると、これは哲学的な難問(この言い方も難問だが)であり、一気に子どもの世界を飛び越え、「LGBT」「ジェンダーフリー」ということになって、大人であっても、それを理解することや意見表明の難しさにぶち当たってくる。
こうなってくると、世界には男と女しかいないなんて、単純な言い方をしたら、えらいことになる時代だ。
だから、別の言い方をすると、存在としての男性と女性の両方があってこそ(いてこそではなく)人間の世界は成り立っているとは思える。
なにしろ、スギという樹木が雌雄同株(一本の木に雄花と雌花がさく)であるように、男女といっても人間という根本が根底にあることを忘れてはならない。
ああ、難しい……
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