第29話 悟りを求めた男

 それはそれは、人里はなれた山奥で、この世界に嫌気がさして、悟りを得ようと修行をする男がいた。


 男は、滝に打たれながら、頭上に落下する激しい流水の重みでいささかトランス状態になっていた。


 次の瞬間だ、はっと目の前に、金色に輝く世界があらわれ、何とも言えないよろこびに包まれた。


「これこそが自分が求めていた悟りの世界だ!」


 男は、有頂天になって、現実世界に戻ったが、悟りの世界を見た感動はいつまでも消えることはなかった。


 男は、この悟りのおかげで、「明鏡止水」、いろいろなものが見えたり、聞こえたりするようになった。


 ある日、となりの家の前を通ったときだ、家の中が透視するように見えると、いつもやさしい、その家の奥さんが旦那に向かって「あんた!何よ!この給料は!これじゃ、やっていけないわよ!」と怒鳴っているのが見え、肝がちぢんだ。


 またある日、食堂に入って国産のウナギと銘打ったうな重を頼み、「早く食べたいなー!」とふたを開けたとたんに、ウナギが「ニイハオ!ぼく中国産でーす!」と声をかけてきた。


 さらにまた人の心の中も読み取れるようになった。


「お前はなかなか優秀な社員だ!会社のためにがんばってくれ!」


 そう言ってくれた上司の腹の中から声が聞こえる。


「会社の業績が悪くなったら真っ先に首を切るならこいつだな!」


 そして、ついには未来が見えるようになった。


「やばい、掲示板に受験番号が無くて、泣いている娘が見えるぞ!ああ、なんと、娘の受験は不合格だったのか!」


 男は、いろいろな未来が見えて、夜も眠れなくなると、とつぜん、光り輝く人物が現れて男に言った。


「私に何でも聞きなされ!おまえの死ぬ日もわかってるぞ!ひとつ、参考に教えてやろうかのう?」


「もう……もう、悟りなんか、いりません!お願いします……お願いします!ふつうの、ふつうの人間にもどしてください!」


 男は、公衆の面前で、顔をひきつらせて叫んだということだ。

 

 凡人が考えると、尊い悟りもこんなことになってしまうのか……

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