第22話 ミニのプライド
人間の子どもっていうのは厄介だ。
雨、風を防ぐ屋根の下に住まわせ、食事を与え、衣服を着させ、オムツを変え、こうしたことを誰かがやらなければ大変なことになる。
なにしろ、子どもにとっては、自分じゃどうすることもできないわけだから。
は虫類の赤ちゃんなんかだと、卵から生まれたあとは、放っておいても生きていけるらしいが、鳥のヒナだって、はじめは親がせっせとエサを運んできてあげないと飢えて死んでしまう。
言わば、人間の場合は、ことさら、親が面倒を見る時間が長いだけと言いかえたほうがしっくりするかもしれない。
それゆえ、子どもたちは、自覚などないだろうが、死なないために、大さわぎで親に欲求をぶつけ、親にすがり、親に甘えることで、ほしいものを手に入れて生き延びているのだ。
つまり、当然のことながら、「やあ、親のみなさん、いつもお世話になってすいません」などと、毛筋ほども負い目を感じるということはないはずだ。
だが、子どもは成長する。
やがて、自立心、独立心のようなものが心の中に形成されるようになると、親が手を差しのべることについて、ことのほか、抵抗を感じるようになるのだ。
「自分でやるから黙ってて!」
簡単に人の世話にはなりたくないという、ミニのプライドのようなものが生まれる。
だが、いばって言うわりには、けっこう自分ではできずに、親に従わないと無理なことが、山のようにあって、いたって、歯がゆくてしかたがないのだ。
そうなるとよくやるのが、「理由なき反抗」というやつだ。
要るのに要らないと言い、やればいいのにやらないといい、良いことなのに悪いという。
こうした現象は、子どもが、自立、独立に向かって歩み出した証拠であり、かえって、喜ばしい出来事であるにもかかわらず、こうした子どもの変貌に対応するには、まぎれもなく、親には、忍耐的な人間的な度量が必要だから厄介である。
「子どものくせに親の言うことが聞けないのか!」
これを言ったらおしまいだ。
上手に本人のプライドを傷つけないように対処するというのは神業に等しい。
今日も、どこかで、親子のバトルがくり広げられているのにちがいないのだ。
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