第2話 ♪『時神節』にはツツジが似合う

――暦を司る神さまを時神ときがみとしてあがめる人たちがいる。その使者として時を旅する者たちは暦人こよみびとやカレンダーガールと呼ばれている。その時間移動には太陽と月の光、そしてそれらを祀る場所に開く「時の扉」が使われる。いにしえより続く、限られた人たちだけが、その役目のために隠密行動で時を超える。そして彼らの原動力は、いつの時代も人の世のやさしさ――



名草付近

 渡良瀬川わたらせがわをさかのぼり、足利市内を流れる小さな支流に沿った山道をひたすら走ると、漸くお目当ての集落にたどり着く。

 おおよそ山道とはこんな感じという、両脇を新緑の植物に彩られた細い道。アスファルトの両脇にひかれた車道境の白いラインは、風雪劣化によりほぼ消えてしまったような道である。


 どこにでも駐めていいよ、とばかりに、その建物の周辺は砂利の敷かれた空き地。

「ご神事があるからって便乗してきたのに、こんな山奥なんですか?」

 ピアニストの角川栄華かどかわえいかは、無縁で見当もつかない場所に付き合わされたとドライブの途中で気付いていた。行く先は町中と聞いて、ミモレ丈ワンピースに、低めとはいえハイヒールを選んできた栄華には少々不安な土地柄と言える。大自然の沢あいの土地だからだ。


「神事までにはまだ間があるから、ちょっとぐらい寄り道をさせてよ。大体ハム太郎に呼び出されるなんてこと自体が珍しいんだから。あいつの祭司とか仰々しくてストレスになる。ましてや、いつもなら思川乙女おもいがわおとめさんの蔵元に寄ってからこっちに来るのに、今回に限って都合悪いとはどういうことだよ」


 恋人のルポライター、夏見粟斗なつみあわとは、言い訳をしながら車のドアを開けた。ハム太郎とは、八雲半太郎やくもはんたろうを茶化して彼が呼ぶときのニックネームである。梁田御厨やなだのみくりや暦人御師こよみびとおんしにして大学准教授で、彼の昔なじみの友人だ。ちなみに夏見は船橋御厨の暦人御師、栄華は飯倉御厨いいくらみくりやの次期暦人御師、この物語では、皆、いわば暦人の各御厨地域のリーダーという設定となる。


 言い訳に付き合って仕方なく、栄華も、渋々夏見粟斗の後ろに続く。

「こんにちは。ゲンゴロウさん」

 立て付けの悪い作業場のガラス引き戸をがらがらと鳴らす夏見。建物の中では、竹のしなり具合に癖をつけるための、火鉢がパチパチと音を出している。


 ゲンゴロウは、眼鏡をやや下にひっかけて、覗き込むように入口を見る。甚平姿の老人である。

「おお。粟斗じゃねえけ」

 嬉しそうな顔で、すっくと立ち上がり、土間の雪駄せったをひっかけて大急ぎで駆け寄る。

「久しぶりじゃねん。出来てんど、例の竿」と言って、竿立てに入っている釣り竿を一本取ってみせる。


「今、桐箱に入れてやっかんな」と言って、継ぎ目のところから一本ずつ抜いていく。継ぎ目抜きをしながらゲンゴロウは、「一間半いっけんはん、四本継ぎ、中調子なかちょうし、穂先堅めの渓流竿だったな」と確認を入れる。一間半は竿の長さ、四本継ぎは四つに分解できる竿、中調子は竿のしなる場所が竿の真ん中当たり、穂先とは竿の先端のことで、そこが堅めの性質を持つ竿を表す。

「うん」

 夏見の返事に「良い竹が入ってな、しなり具合もくって渓流向きだったんだわ。それを上手く継ぎ竿にしといたんだ」と言うと、

「イワナだべ?」とニヤリと加えた。

「そう。来週には山奥の尺イワナと写真を撮るつもり」


 夏見の言葉にゲンゴロウは、

「まあ、釣れてから言えな。その言葉は、はあ聞き飽きた」と辛口コメントを返す。

 夏見も、「今度は本当だから」と笑う。……と、そのとき夏見の後に、見慣れない人影を見つけて、おやっ、という顔をするゲンゴロウ。

「なに、誰なん? そちらさんは?」と覗き込む。


 彼が気付いたため、夏見の影にいた栄華は、少しだけ前に出て、まずは自己紹介である、

「婚約者の角川栄華っていいます」と品良くお辞儀の栄華。失敗かと思った田舎道中に似合わぬ今日のファッションも、初めて会うひとには印象よく映りそうだ。

 ゲンゴロウは再びおやっ、という顔をして、

「角川って、ブンちゃんの親戚け?」と訊ねる。

「ブンちゃんは文吾ぶんごさんのことね」と栄華に伝える夏見。

「大伯父が文吾です」と笑顔で栄華は答える。

 すると懐かしそうに笑いながら、「なんだ、そっけ。ブンちゃんとは良く釣りにも行ったし、時代も超えた。盟友だな」と栄華に聞かせた。よほど仲が良かったのだろう。嬉しそうである。


 何も聞いていなかった栄華は夏見の顔を見て、

「どういうこと?」と訊ねる。

「釣り好きの暦人仲間だ」と笑う。

「ああ、大伯父も釣り大好きだったものね。船宿やるくらいだし」

 夏見は笑いながら、さらに栄華に紹介する。

「北関東一の長生き暦人だ。そしてもと御師。というより、思川乙女さんのおじいさんだ」

「えっ、乙女さんのおじいさんなの?」

 その好々爺は、「はあ、乙女とは面識があるんけ?」と笑っている。

「はい。少しですけど、私のピアノのコンサートに来てくれました」と栄華。

 すると、どこかで聞き覚えがあったようで、「あんたが噂のピアニスト暦人か」と納得した顔になる。

「私、そんな有名ですか?」

「まあ、田舎なんで、珍しいんだんべ。なんでも都会にはピアニストの暦人がいるって、話んなったわ」と返す。そして「興味本位の田舎の噂話だ。気にするほどのことじゃねえんよ」と笑う。


 穏やかな彼の、その風貌と仕草を見ていると、どこかやはり乙女の雰囲気に繋がると、栄華は感じるものがあった。

「なんかおじいさんと乙女さんが並ぶところを想像したら、オオヤマツミノカミとコノハナノサクヤヒメを想像してしまいました」

「嬉しいこと言ってくれるんじゃねえん。でもあれは親子。わたしゃ祖父だ」と笑う。そして思い出したかのように、「いま麦茶でも入れっから。その土間の上がり端にでも腰かけらせな」と促す。そして年季の入った冷蔵庫から麦茶を出して、コップに注いだ。


「都会と違って、ここの沢風は心地、かんべやあ?」と盆を栄華の横に置きながら言う。

「ええ。それに新緑の黄緑色と若葉の香りが心地良いです」と山村の快適な初夏を褒める栄華。


 窓から見える景色は一面、ツツジの花だ。

「ヤマツツジですか?」と粟斗。

「詳しくは知らねえんけんど。ヤマツツジも、普通のツツジもあるし、ヤシオツツジってのもあるらしいや。足利の市の花、県の花でもあるんだわ。写真好きの町山田の秋助あきすけ君が楽しそうに、二三日前に来て、写真を撮ってったよ」と返すゲンゴロウ。

「田舎は良いなあ」と言って、上がり端でごろりと横になり、天井を見つめる粟斗。だがすぐに思い返したように、出来上がった竿を持つと観察し始めた。

 栄華は盆の上に置かれた麦茶に手を伸ばし、「おいしい」と一言。


 夏見は目を細めたり、吟味しながら、竿の穂先のしなりを確かめたり、継ぎ目の結合部を丹念に点検していた。


「今も暦人をやっていますか?」という栄華の言葉に、ゲンゴロウは優しく微笑むと、

「いいや。出来なくはねえんだろけど、今はもう引退して、竿師に徹してんだ。まあ、乙女に任せているんよ。もひとり、孫もいるんしな。そっちの件は」と言う。

 粟斗は「いつもなら、ここに来る前に栃木市の町ん中の神明さんの近所、乙女ちゃんの酒蔵に寄ってから来るんだけど、今日は断られちゃってさ。初めてだよ」と竿を眺めながら言う。


「なに、そんなんけ。何も聞いていないなあ」と、どこかよそよそしくゲンゴロウが返す。

 その時どこからともなく和笛やまとぶえの美しい音色が聞こえてきた。


時巫女ときみこが近くにいるね」と粟斗。

 ゲンゴロウも頷くと、

「何かを知らせに来たんだな」と言った。慣れたもので、ゲンゴロウも、夏見も、静かに何かを待つような様子だ。

長慶子ちょうげいしの時巫女がこの辺りを仕切っているって、以前、八雲やくもに聞いたよ」と夏見。


「仕切っていると言うより住んでいるが正しいん。特に今日は神事の日だからなんか伝えたいんだんべ」


 ゲンゴロウは目を細める。

 開け放っている窓から、沢風とともに、一枚の和紙がひらひらと室内に舞い込んできた。「船橋殿へ」という文字が大きく見て取れた。そしてさらに紙面には二つの大きな絵地図と小さな花のイラストが記されていた。


 一つは宝のありかのような地図と、もう一つは町中の地図である。ゲンゴロウはその和紙を拾うと凝視する。

「船橋殿とあるので粟斗、おまえにだな」と紙を差し出す。

「右側の地図は間違いなく織姫大神宮おりひめだいじんぐうだ。市街地にある大きな神社だ」とゲンゴロウは教えてくれた。


「船橋殿ってあるので、神事や祭典の呼び名だな。やはり今日の神事と何か関係があるか」と粟斗。

 栄華は覗き込むように、

「どういうこと?」と訊ねる。


「暦人御師の会合は何年かに一回あるんだけど、そのときはおおよそ御厨名で招待されるんだ。以前は十年以上前だったんだけど、飯倉の芝ノ大神宮で行われた。文吾さんが祭主を行い、祭司の役も買って出ていた。そのお手伝いをした経験がある」

「御師だけなの?」

「そう、関東一円の御師が集まるので、二十人ほどだったと思う。その場で、時神から新しいアイテムやアミュレットが下賜される。あるいは新しいタイムゲートが紹介されることもある」

「へえ。リーダーへの伝達事項の周知会合、ってところね」

「うん。現代風に言えば、まあ、そんなところかな」


 そう言って、もう一度和紙の地図に目をやる。

「五本の沢の合流点。スズランの草原。とがった岩山の頂きか」

 子どもの落書きのような地図である。遠近法も何もあったものでない。デフォルメと言えば、聞こえも良いが、そこまで完成された図柄でもないのだ。

 夏見の言葉に、栄華は、

「覚えのある場所なの?」と訊ねると、

「いいや。こんな場所は現実に存在しない」と即答する。

「よく見て。その下に小さな図案が描いてある」

 夏見が指摘した五本沢の地図の下にツツジの花らしき絵が描かれている。

「図鑑のような絵だね。シベ五本。地場産のミツバツツジだ。足利は自生地がある。三重県鈴鹿みえけんすずかと並ぶ自生地だ」

 ゲンゴロウは、

「ああ、ここからはちっとんべえあるが、群馬との県境あたりに、確かに自生地があったわ」と夏見の意見に頷いた。

「了解だ。じゃあゲンゴロウさん。ちょっとその辺まで散歩に行ってくるよ」と夏見。

「まあ車なら三十分もあれば付く距離だ。気をつけて行きやせ」

「ああ。竿代、一万五千円で本当に良いの?」

 ゲンゴロウは、「もちろんだ。おまえさんとの仲だ。約束通り半値でいいよ」と頷く。

「サンキュー。栄華ちゃん、行くよ」

 礼とともに戸口に向かう粟斗。ついて行く栄華は、一度立ち止まって、ゲンゴロウに一礼をしてから工房を出た。


 表で車のエンジン音がして、その音が遠ざかると、物陰に潜んでいた時巫女が姿を現した。

「いいんかい? この先のみずほとの出会いを直接教えてやんなくて」と笑うゲンゴロウ。

「彼女はプライドが高い。私たちが講釈などすれば不快に思う筈。それがピアノ演奏に悪く出ては困ります。あくまで自然に自分で優しさを出す方向に導くか、夏見達の言葉をヒントに気付かせることを心がけているつもり。そして、そう多霧たぎりの時巫女から言付けられている」


 左手に持った笛をぎゅっと握りしめながら、長慶子の時巫女は含み笑いをした。



松田ダム付近

 三井みずほは、行く手を阻む山道の木の枝で頭を軽く打った。

「いてえな!」

 彼女はまわりを見回すと、緑に囲まれた山間部の沢の中だった。今まで横浜は保土ケほどがやの町中にいた彼女が瞬時に山中に飛ばされた。


「託宣? ……にしては時間の動く気配を感じなかったけど」

 彼女はいきなり時間を飛ぶ気配なしに、ここに運ばれたのだ。託宣のたびに飛ばされているので、テレポーテーションにはさほど驚くことはないのだが、どこに飛んだのかは常に気になるようだ。

「託宣ではないのか。あたいの読み違いだったかな?」


 川下のほうから笛の音が聞こえる。和笛わてき篠笛しのぶえの一種だ。

 ワイルドに沢の中に入ると、彼女はざばざばとお構いなしに、谷筋を水の流れとともに笛の音のする方向に歩いて下る。水かさは膝丈もない浅瀬の沢だ。

 その先には美貌、長髪に、その髪を束ねた浴衣着の女性が、見上げるような淵辺にある大きな岩に腰掛けて吹いているのが見えた。

「時巫女?」

 みずほはすぐさま彼女の正体を見抜いた。彼女のまわりだけ時間の揺れを感じる。

 彼女は笛をやめ、静かに口元から離した。


「さすがね。榛谷御厨はんがやみくりやの御師、三井みずほ。私の正体を見抜いたのね」

「あたいをこんなところに飛ばしたのはあんたかい?」

 水に濡れたスカートの裾を絞りながらみずほは訊ねる。

「ええ。でも時神さまの命でもあるわ」という。

「託宣内容は?」

 急かすように問いかけるみずほ。

「知らないわ。あなたを人の輪に、という話だけね。私が知っているのは」

 みずほのぞんざいな、ものの訊ね方を不快に思った時巫女の表情は曇る。


 突き放された時巫女の返事に怪訝そうな顔に変わるみずほ。

「ちっ」となじるように時巫女に舌打ちをした。

「あなた結構な跳ねっ返りね」

 珍しく時巫女は不快さを言葉にのせる。

「大きなお世話よ。あたいがあんたに迷惑かけたわけではない」

 時巫女はふっと笑うと再び笛を吹き始める。やがてその体は透けて半透明になり、完全に消えてしまった。

「逃げられたか」と一言。みずほは、そのままじゃばじゃばと流れから上がり、小さな砂利溜の河原で腰を下ろした。


「君も暦人なんだね」と不意に後から声をかけられるみずほ。振り返れば年の頃は同じくらいの男性が座っていた。

 彼女は物怖じもなく、機嫌の悪さをそのままに答える。

「だからなに?」

 悪態をついたみずほの言葉を気にもせず、「僕も暦人なんだ」と言う。

「不二夏夫。以後お見知りおきを」

 興味なさそうにみずほは、

「ナンパなら他に行ってやりな。あたいは忙しいんだ」と軽くあしらう。


「暦人同士が同じ場所に飛ばされたという事実が、もう託宣だと言うことに気付かないの? モグリの暦人なの?」

 夏夫の的を射た意見に、口をへの字にして、みずほは、

「口減らない子どもだねえ」と一蹴する。

「見たところ、僕とあまり年も変わらない気もするけど、お姉さんぶりたいんだね」

 この手のタイプは、夏夫のような無邪気で、物怖じしない性格にいらいらするようだ。


「じゃあ、あんたはこの託宣、もう解読したって言うのかい?」

「いや、これからだけど」

 平然と返す夏夫に、

「あんた正真正銘のバカだろう。ちゃんちゃらおかしいわ」と再び暴言を放つ。


 ヤレヤレという顔の夏夫は、

「ここは足利の山奥。松田川の上流だと思う。時間は飛んでないよ、現代だ」と、時と場所を彼女に知らせる。

「確かなのか?」

「うん。さっき時巫女が教えてくれた」

「何でおまえにだけ教えるんだよ」と不満そうなみずほ。

「口の利き方や態度だと思う。君のその態度じゃ、おそらく時巫女はいつまでたっても教えてくれない。だからナビゲーターとして僕にペアを組ませるために、ここに一緒に飛ばしたんだと思う」

「あたいの何が問題だって言うのさ。生まれたときからこんなものだよ」


 開き直るみずほに、

「生まれてすぐには人は話を出来ないよ」と笑う。

「おまえはあげあし取りか? 減らず口ばっかりだな」

 そう言ってみずほは、いきなり顔を近づけると夏夫に口づけをした。

 しっとりした唇に一瞬まどろみそうになったが、我に返る夏夫。ビックリして、みずほをはじき飛ばすと、その場に座り込む。

「ははは、ナンパ師のくせにウブなやつなんだな。気に入ったあたいの男にしてやる。付いといで」


 夏夫はここに晴海がいないことが幸運だったと考えた。そしてこのキスはアクシデントだと思うことにした。

『ハルちゃんに知れたら半殺しの目に遭う』

 想像しただけでも身の毛もよだつ夏夫だった。


 その場を離れようとしたみずほに、

「ちょっと待ってよ。時巫女が座っていた岩の上に行ってみようよ。何かヒントがあるかもよ」と止める夏夫。

 すると彼女はニヤリと笑って、

「あんたごときに言われなくても、最初からそのつもりだ。あたいについておいで、って言ったろう」

 二人が岩の上に登ると案の定、一枚の和紙に描かれた地図が石を文鎮代わりにして置いてあった。

榛谷殿はんがやどのへ」と書かれている地図だった。

「榛谷殿って誰だろう?」


 夏夫の疑問にすぐに答えて、みずほが言う。


「あたいのことさ。榛谷御厨はんがやのみくりやの暦人御師、三井みずほだ」

 夏夫はビックリして、

「君、暦人御師で御厨を預かっているんだ。その若さで」と言う。

「別に御師も御厨も歳で扱うわけではない」と腕組みのみずほ。続けて「この地図、ひとつは織姫大神宮だ。もう一つがくせ者だな」と地図を広げて思案する。

「五本の沢が交わる場所に輝く湖、スズランの咲く草原、その横にとがった岩の頂を持つエベレストのような山。どこだこれ?」


 即座に織姫大神宮を見抜いてしまうみずほの暦人としての能力に夏夫は驚かされた。晴海や夏夫は、いつも山崎たちの力に頼ることが多いので、年齢のそう変わらないみずほの暦人としての知識や経験は、自分たちとは段違いであることをすぐさま悟る。


「ん。その下には絵がある。なんだ? 花か?」

 みずほはブンと首を振って、

「あたいには、とんと見当が付かない」と爪をかむ。

 夏夫は、

「花弁の形からするとミツバツツジだね。ピンクにも薄紫にも見える花だ」と言う。

「確かなんだろうな?」

「だって僕の母親の実家、三重県にはこのツツジの数少ない自生地がある。何度も見ているし、何度も写真を撮りに行っている」

「そうか」

 そういうとみずほは怪訝そうにしながら、夏夫に顔を近づけてきた。そして再度「間違いないな?」と訊いてきた。

 夏夫は、自信を持って、

「間違いない!」と言い切ると、再び口づけをしてきた。

「うぐぐ」と言って彼女を払いのけると、

「キス魔なのか?」と手の甲で口をぬぐいながら。夏夫は困った顔である。


「まさか。誰にでもするわけじゃないさ。あたいからのほんのお礼だから」


 夏夫は顔を赤らめると、

「こういうの本当に困るから……」と口ごもった。


「おい、場所移動だ。バス停、小俣に向かうぞ」

 みずほは既にツツジの自生地を知っているようで、お礼のキスのことなど、どうでも良いかのようにせっせと歩き始めた。彼女の性格がいまいち読めない夏夫であった。


 そして「不参加届けを出したのが、気に入らなかったのか。時巫女のやつ……。あたいを無理矢理『時神節』のある場所に飛ばしやがったな。あの笛吹き童子め!」とおかんむりのまま黙々と歩き始めた。仕方なく夏夫は彼女の後をやはり黙々とついて行くことにした。



両毛線りょうもうせん足利駅

「ここが足利ね。可愛い町」

 美瑠みるは初めて訪れたこの町を一目見て好きになる。

「ちなみに八雲君の話では、『時神節ときがみせつ』の時間前に予定表を届けてくれる人が駅前にいる、って言っていたんだけど」

 山崎は美瑠と改札を抜けて、駅前のロータリーに出る。バスが数台泊まっている。都会でもよく見かけるチェーンのうどん屋だけが目立っている駅前。何の変哲もない地方都市といった感じだ。

鑁阿寺ばんなじと足利学校跡もあるわ、フラワーランドにも行ってみたい!」

 観光用の案内板を眺めて話す美瑠。彼女の期待に膨らむ観光気分に山崎は、

「楽しい気分をそぐようで申し訳ないけど、今日は神事のために来ているから」と事務的な口調で釘を刺す。

「もう分かっているわよ。今度、今度来たときのお楽しみにね」と軽い言い訳を放つ美瑠。


両毛線りょうもうせんって、変な名前ね。毛が二つ?」


 不思議そうな顔の美瑠に山崎は、

「ではなくて、旧国名。記紀神話ききしんわや大和政権時代の話。下野しもつけは昔、下つ毛と書き、上野こうずけは、上つかみつけと書いたんです。もっと以前、両国は、毛野国けのくに・けぬくにといって一つの国でした。古墳時代に毛野氏けのしという有力豪族が支配していたとも、食べ物が沢山取れたので、食べ物を表す古代語「け」のある国ということで「けのくに」とも言われていたんですね。その上下の二つの「毛の国」を結んでいるから両毛線。もともとは群馬県の南部から栃木県の南部が毛野氏の国だったというのが通説ですね」


「結構、古代史に通じているような電車の名前なのねえ」と感慨深く頷く美瑠。


 ふと見るとロータリーの向こう側、一人の若い女性が美瑠と山崎のもとに歩いてくる。

「山崎さんと奥さんですか?」

 彼女の言葉に「はい」と美瑠。

 彼女は親しげに微笑むと深く一礼をした。

「お待ちしてました」

「あなたが八雲さんの知り合いの東雲桜しののめさくらさん?」

 その雅な名前とは逆にシンプルな出で立ちで、Tシャツにジーンズという姿だ。

「はい。八雲の従妹いとこになります」

 美瑠は不思議そうに、

凪彦なぎひこさんが呼ばれるのは、分かるのですが、なぜ私まで八雲さんは呼んだのでしょう? 私は御師ではないので『時神節』には無関係の筈」


「呼んだのは八雲なのですが、呼べと言ったのは長慶子ちょうげいしの時巫女です」

 美瑠は人差し指を顎に当て思惟のポーズである。『長慶子の時巫女』に皆目見当も付かない。

「だれ?」と山崎を見る。

 山崎は、

「梁田御厨におられる時巫女さんらしいです」と答える。

「凪彦さん、お知り合い?」

「いいえ。面識はありません。以前、八雲君に教わりました」


 山崎の言葉に東雲桜も軽く驚くと、

「そうなんですね。でもお知り合いのように思いました」と言う。

「どうして?」と山崎。

「さっき時巫女さんがやって来て、これを大庭殿おおばどのに、と言って地図を渡して行かれましたので」

「大庭殿?」

 普段言われたこともない暦人同士の御厨名称を久しぶりに聞いてたじろぐ。

「十年ぶりくらいに言われました。多霧たぎりの時巫女さんですら、私をその御厨の名称で呼ぶことはないですね」

 そう言いながら受け取った和紙を広げる山崎。やはり先の二組と同様に二つの絵地図が描かれている。ひとつは織姫大神宮と山崎もすぐに理解できた。


「こっちは織姫の大神宮さんですね。宇治の平等院を模した本殿が美しい。そしてお隣はどこの地図だろう。五本の沢と湖が描かれているが、とんと見当が付かない」

 山崎の質問に桜は、

「さあ、私はただ渡してくれと時巫女さんに頼まれただけなので、詳しいことは全然分からないんです」と首を振る。

「では私はこれで失礼します。確かにお渡ししましたので」と深くお辞儀をしてその場を去った。二人もお辞儀をしてからその去って行く後ろ姿を見守った。


 残された山崎と美瑠は、

「さてさて、時巫女さんから謎解きを仕掛けられると思いませんでしたよ」と楽しげである。

 山崎の表情に美瑠は、

「むしろ喜んでいるみたいですね」と微笑んでいた。


「いやいや」と手で宙を払いながらも、

「この地図の下の花の絵はミツバツツジかも知れません」

「だとしたらどうなんです?」と美瑠の言葉に、

「だとしたら思い当たる場所が二カ所ほどあります」と返す。

「どこですか」

「フラワーランド植物園と自生地です」

「さっき私が言った植物園ですね。フラワーランド駅、って隣の駅にありましたよね」

「それです」

「戻りますか?」

「いや、まずは自生地に行ってみましょう」

「分かりました」

「では、まず予約したレンタカーを取りに行きましょう」

「はい」

 二人はあらかじめ予約しておいたレンタカーを引き取りにレンタカー店へと歩き始めた。


ツツジの自生地

 鳥が鳴くなだらかな丘陵を歩いて最初にやって来たのは、みずほと夏夫だった。

「夏夫、この辺がそうだ。あたいも一度だけなんで良く覚えていないのだが、間違いはない」

 そう言った矢先に、パッソらしき小型車が彼らに近づいてきた。車内の二人は夏夫に気付いたらしく、「プッ」とクラクションをならす。自生地の手前の空き地を見つけて車を駐める。

「夏見さん、栄華さん!」

 夏夫は嬉しそうに駆け寄る。

「東京から車で来たの?」

「正しくは千葉だけどな」と夏見。

 夏見はみずほを見つけると、

「よう、珍しい顔を見たね。みずほじゃないか」と手を振った。

 みずほは横柄な態度で、

「相変わらず、チャラけたおっさんだな。夏見は」と言う。

 夏見はその言葉遣いの悪さはいつものことと分かっているようで、

「チャラけているよ。おまえは相変わらず跳ねっ返りだな」と笑う。

 みずほは「フン」と鼻で笑った後、

「夏見、あたい彼氏出来たぞ」と言う。

 夏見は鳩が豆鉄砲をくらったような顔で、

「嘘だろう。おまえさんみたいな、はす葉女ぱおんなに言い寄る男がいるもんか。そんな変なやつ見てみたい」と笑う。


 すると得意げに、

「なら見るが良い。そこにいる夏夫だ」と指さす。

「えええ」と仰天したのは栄華である。即座に栄華の顔色は青ざめ、心配そうに夏夫を見つめた。

「夏夫君、晴海ちゃんと別れちゃったの?」と急いで問いかけた。

 夏夫は慌てふためいて、

「いやいや。ないない。この人と付き合っていないし、彼氏でもない」と大きく手を振って否定をする。

「もう、おまえってもしかして照れ屋か?」と夏夫相手に、極楽蜻蛉ごくらくとんぼを地で行くみずほ。夏夫の言葉など、つゆも伝わらない様子だ。

 夏見は見透かしたように、

「みずほに一杯食わされたな」と小声で夏夫にささやく。

「だずげで……あの子なに?」

 夏夫は困り果てた顔で夏見に懇願の眼差しである。やはり内緒話で小声だ。


 夏見はいつものごとくと言うような顔で、

「ただのあんぽんたんだ」と笑う。

「どういうこと?」

「思い込みが激しくて、遠慮を知らなくて、羞恥心がなくて、ずぼらな性格」


 夏見は自分でもよくここまで悪態のような表現の単語を並べられたなと感心してしまった。

 その聞き手にして、冷や汗まみれの夏夫は、

「よく暦人御師になれたね」と苦笑した。

「お父さんが良く出来た御師でな。オレより山崎の方がよく知っているが、パーフェクトな人だった。とりわけ、孤独な人を救うのが得意だった」

「七光り」

「そんなんじゃない。彼女自身は託宣を感じるのは神業だ。また解決するのも上手いので、失敗のない暦人だ。ただ少々、社会生活というか、一般常識というか、規範行動などに問題がある、常規に逸した行動傾向がうかがえるといったところだ」

「うかがえる、ってレベルじゃないから」とぼやく夏夫。


 二人のひそひそ話に区切りが付くと、彼らには傾斜するあぜ道の向こうから歩いてくる、小さな山崎の姿が見えた。美瑠とともにこちらに向かってくる。

「おっ、大庭殿がお見えだぜ。みずほのことは山崎に訊けば良い。お隣の御厨だからな」と夏見。そして軽くウインクすると、

「夏夫がお嫁さんにするのなら、子どものカレンダーガールのほうがいいぞ。オレはそっちを押すよ。でもどうしてもと言うのなら、俺は反対しないよ」と笑った。


「人ごとだと思って!」と困った顔の夏夫だ。


 山崎たちも会話の出来る至近距離になって、

「みんなにも時巫女さんから地図が届いたようですね」と話しかけてきた。


 美瑠は、

「あら夏夫君も御師でないのに呼ばれたの? 私と一緒ね」とおどける。

 美瑠の言葉に、「呼ばれたと言うよりも、強制的に飛ばされたといった方がただしいかな?」とぼやく。今回の夏夫はぼやきっぱなしだ。


「ところで山崎、上に描かれた五本沢とスズランは解けたか?」

 夏見は山崎に尋ねる。

「残念ですが、どこだか分かりません」

 二人の会話を遠巻きに聞いていたみずほが、せせら笑う。まるで無駄な行動と決めつけて、二人の解読作業を俯瞰しているようだ。

「なんだみずほ。何がおかしい」と夏見。

「相変わらず頭固いな、夏見は。本当のじいさんになってしまうぞ」

「ってことは、おまえはもう分かっているってことか?」

 夏見の問いに「アタボーよ」と背負しょった気分で答える。そして「教えてほしいか?」と今度は逆に夏見に問う。


 みずほの言葉に、

「能書きはいいからはやく教えろよ」と軽く憤慨する夏見。

 するとみずほは、

「なんで地図って先入観でみてんだよ。おおぼけどもが、揃いも揃って」と軽く叱咤する。

「おや、みずほちゃん、久しぶりです」と話し始めたみずほに山崎が声をかける。


「よう。ひさしぶり。元気そうだな。なによりだ」

 みずほは山崎には悪態をつかない。その様子を見ていた夏見は、山崎に、

「おまえはいつも得な性格だよな」と羨ましそうに言った。

 皆目見当もつかない山崎は、

「なんのことですか?」と不思議そうだ。


「分からなければいいよ」と肩をぽんと叩いて、栄華の方に向かった。

 栄華には夏見の言葉の意味、そしてその気持ちがすぐに分かった。山崎の穏やかな性格が、多くの人たちの心中で、琴線に触れているのを、微笑ましさと羨ましさの両面で見ていたことである。


 三組の暦人たちが小俣のツツジ自生地に着いたのを確かめるように、ふたたび笛の音が聞こえてきた。更なる状況の変化のため、みずほの地図解釈はしばらくお預けとなってしまう。


「お、お出ましだ」と夏見。

 笛の音は少々遠い。

「近づいてみましょう。私たちを呼んでいる気がする」と山崎。

 その言葉に残りの五人も笛の音のする方へと小道を歩く。三十メートルほど下った先に『神具工房 はとり』という木造の古い大店造おおたなづくりり建物が見えてきた。


「こことあの地図は何の関係があるのでしょう?」

 美瑠は不思議そうに建物を見上げる。

「地図って、あの五本の河の?」の栄華。


 その会話に割って入ったのがみずほだ。

「どこのうすらボケだい。おばさんたち! さっきも言ったけどあれは地図じゃない」

「おば……」

 おばさんと言われて軽いショックの美瑠と栄華。だがみずほの年齢からしたらそう見えても仕方ないと諦めた。

「おばさんたちに聞くけど、あれのどこが地図にみえるのさ。あんぽんたん」

二度目の台詞に、

「結構口悪いのね」と美瑠。苦笑している。

「言葉遣いは綺麗な方が人から好かれるわ」と栄華。美瑠に続く。


「どういうことだい?」と山崎だけが地図の話を指摘した。

「そろいもそろって、暦人御師の名前が聞いてあきれるねえ。よく見てみなよ」とみずほは持っていた例の地図をぱっと広げた。


 そして「五本の沢に見えるこれが、何で五色の色分けされてるのかを考えるのさ。おまけに胴の部分は、両側に刀のつばのように丸い池が広がっているように見えるし、湖面は光沢で光っている。その上にスズランの花房だ。でもこのスズランは形状が勾玉に似ている。そして先端は尖った剣だろう。これを総合的に判断すると、どう見たって沢は五色の帯に、池は八咫鏡やたのかがみ、スズランの形状は八尺瓊勾玉やさかにのまがたま、そしててっぺんの岩山は天叢雲剣あめのむらくものつるぎに決まってんだろう」と言い放つ。


「三種の神器を見つけるの?」と栄華。

「おばさんバカか? 五色の帯はどこに行った」

 栄華は彼女のぞんざいな言葉遣いと、おばさんと言われたことと、見当違いの答えを言ったこと、全てにショックを受けて落ち込む。「どよーん」と項垂れる、という表現がぴったりだ。


 その傍らで思案していた夏見が納得する。

「神楽鈴だ。それも浦安の舞の時にだけ使う鉾鈴(ほこすず)だ」と夏見。

「どういうこと?」と夏夫。

「通常の神楽鈴は鈴が稲穂や花房のように撓わに付いているんだけど、鉾鈴はその形状で三種の神器を表していると言われている。つばの部分が八咫鏡、鈴が八尺瓊勾玉、剣の部分が天叢雲剣を象徴している。この絵ではそれに五色の帯が描かれていることで、この図が神楽鈴であることを示しているんだ」

「なるほど。さすが時巫女だね。楽器の使い手だ」と夏夫。

 夏夫のその言葉に、

「なにがさすがなもんか。あの笛吹き時巫女はあたいらに御用聞きさせたくて、こんな手の込んだいたずらしているのさ」とケチをつけるみずほ。

「相変わらず冴えてますね。みずほさん」と山崎。

 みずほははにかむと、

「山崎にそう言われると、まあ、あたいも捨てもんじゃないって思えるよ」とやけに素直である。相当気に入られているようだ。


「ところで山崎。その横にまとわりついているおばさんは見かけない顔だけど、誰だい」とみずほ。

 美瑠の方を見た山崎は、

「ああ、紹介しますね。私の奥さんです」と美瑠の肩に手を添える。それに合わせて軽く会釈をする美瑠。

「へえ、山崎結婚したんだ。こんなちんちくりんなおばさんより、あたいの方がずっと良かったのに」


 美瑠は渋い顔、いや怪訝な顔をしながら、

「ちんちくりん……?」とぼやく。だが引きつってはいても笑顔の美瑠である。

『ふん。別に私だって、自分が絶世美女だとは思ってないわよ!』と珍しく内心穏やかでない感情に揺れていた。明らかに不機嫌だ。

 それに気付いた夏見は皆の雲行きが怪しくなる前に、そしてみずほを黙らせるべく、

「中に入ろうぜ」と皆を促した。


神具工房 はとり

 燻し感のある店内の天井は高く、空気はひんやりとしている。日本家屋特有の清涼感が広がる。更に立派な梁が突き出した木造の骨組みが風格を演出していた。

 土間の中央には見世棚があり、ミニチュアの神輿や法被などが置かれている。奥の上がり端は帳場になっており、大福帳がかけられた格子柄のついたてが、帳場机の前に置かれていた。

「まるで時代劇だな」

 夏見の言葉に皆が納得する。

「いらっしゃいませ」の声。

 暖簾をくぐって、奥の通路から出てきたのは、女将らしき人だった。


「あの……」と美瑠。

 淡い桜色の浴衣姿の女将は、

「暦人の方々ですね。女将の羽鳥まといです」と待ち受けていた素振りである。

「ここは?」

「表向きは神具の工房です。時折暦人や時巫女のさんのアイテムなども受注制作しております。伊勢市に兄の経営する本店があります。今回の時のアイテムはもうお気づきなんですよね」と女将は答え合わせのような質問をしてきた。

「時巫女さんから鉾鈴のこと聞いていますか?」と夏見。


 女将は笑顔で、

「まあ、やはりすごい人たちね。もう分かっているんですね。はい、お聞きしています。榛谷殿とその一行がお見えになったら、この鈴を渡すようにと仰せつかっています」と答える。

 そして彼女は横の棚から、風呂敷包みに包まれた桐箱を夏見に差し出す。

「ここに暦人は頻繁に来るんですか?」と美瑠。

「どうかしら? 伊勢や、松阪、横浜に比べれば少ないと思います。今回みたいなご神事やイベントでもあれば別ですけど」と女将は飾らずに言う。

「わざわざ解読させて時間を稼ぐと言うことは、何か意味があったんでしょうか?」と山崎。そして「もっと言えば、我々になど託さずに八雲君や桜さんが持って行く方が手っ取り早いと思うんですけど」と加える。

「なんでも時巫女さんがおっしゃるには、連帯感が輪を育むということでしたので」と言い、「ただ漠然とした理屈で、私にはさっぱり何のことか。ただそうおっしゃっておりました」と山崎に伝えた。


 そのとき察しの良い夏見は、

「神事や鉾鈴の他になんか目論見がありそうな気がする」と口にする。

 栄華は「そうね」とその意見に賛同した。


 みずほは女将に、

「この鉾鈴、ちゃんと霊威を吹き込んであるのか?」と問う。

 霊威とは神威のことで、時神の力が吹き込まれていないと、時間を移動することは出来ない。さもなくば、ごく一般的な単なる巫女鈴である。

「確か、今朝がた一時間ほど、時巫女さんは、この鉾鈴が出来上がってから、この箱をお持ちになって、また戻ってこられました」と女将。

「そのときに霊威を吹き込んでいると言うことだな」とみずほは納得した。

「どういうこと?」と夏夫。横にいた山崎にみずほの言ったことの解釈を尋ねる。


「これが今回の『時神節』で下賜されるお披露目のアミュレットで、時神さんの息吹を頂かないと霊威がつかないただの道具楽器です。時空を越える道具にするには時神さまの霊威が必要なんですよ」と山崎。


「あれって、楽器たったの?」と美瑠。言葉の端に小さな疑問を感じて尋ねる。

「ま、一応、楽器図鑑には載っていますね。和楽器として」と山崎。

「まあ、随分と便利な楽器ね。時間まで移動できちゃう」と美瑠は褒める。そのまま「でもなんでこんなものを私たちに運ばせるのかしら」と続けた。

「そこに時巫女の思惑を感じているよ。ここにいる我々に対する思惑と、暦人の時間越えを統括する思惑の二つが感じ取れる」と粟斗が答えた。


「暦人の時間越えを統括する思惑に関しての方は、あたいは何となく気付いていた」と夏見の話を受けてみずほが続ける。


「そもそもあたいは足利に飛んだ時点で、そうかなと感じていた。以前、多霧の時巫女が迷い人の多さに嘆くようになったのを知っている。以前の暦人は優秀だったので、迷い人になることなどほとんどなかった。ところが近年、暦人の託宣完了の成功率の下降と迷い人になる率の多さに、時巫女たちは悩んでいた。託宣の読み違いだ。それを耳にした八雲半太郎は自然と自分のいる時代に戻る「キンモクセイ・タブー」の方法を古文書から見つけ出し、復活させた。自動的に戻れれば迷い人になることはない。今度は通常の任務時の帰還方法に着目する。それが鈴の音だ。その音を聞いた時神は、鈴を振った人間をもといた時代へと戻してくれる。そんなところだろう。そして今回の祭主である八雲半太郎が考えそうなことだ。あいつは山崎並みにお人好しだからな。読み違いをしたことの無いあたいには必要ないアイテムだ」


 強気が玉に瑕だが、ほぼ的中しているみずほの予想に、影に潜んでいた八雲が姿を現した。

「ご名答! ブラボーな解釈です」

「やっと出てきたのか。このすっとこどっこい。あの笛吹き時巫女とグルだったろう」

 みずほは全てお見通しのような顔で彼を迎える。

「みずほちゃんはさすがだな。相変わらず、短時間で何でも見抜いてしまう。どうりで託宣解読の最短記録保持者になるはずです」と笑う八雲。

「みんなが遅いだけだ」

 八雲は優しくみずほを見つめると、

「暦人の役目はパーフェクト。……だけどな、みずほちゃん、夏夫君には晴海ちゃんという許嫁がいます。僕も知っている人だ。諦めておきましょう」と諭す。

「なんでだ。まだ結婚しているわけではないだろう」


「まあそうだけど……」と理にかなった考えであるため、言葉につまる。

 山崎がそこは付け加えた。

「社会通念上や心情面でと言うことですよ」

 しかしみずほはそんな退屈な常識に、耳を貸すタマではない。

「結婚しているのなら諦めるが、あたいは夏夫の彼女だから、そう決めたんだ」

 夏夫は背筋が凍る気配を感じた。


『帰ったらなんかおきそう』


 この予感は的中することになる。晴海と初歩とみずほが絡む事件が待っているのだ。


 そして夏見も平常心を保ちながらも、ことがややこしくなることが不可避と感じていた。隣で栄華も納得のいかない顔をしている。

「まあ、その件は『時神節』の後で考えましょう」と仕切り直す八雲。そして皆に「織姫大神宮に行きましょう」と促した。

「その前に一つだけいいか?」

 切り出したのは粟斗だ。

「なんだい夏見君」

 八雲の返答に、


「今回の『時神節』の参加者がおかしい。なぜ栄華の祖母、あすかのばあさんは決まり事のように、今回の代役を栄華に頼んだのか。通常だったら、こういうことは真っ先に飛んでくるばあさんだ」と始める夏見。


「そして不二夏夫と山崎美瑠は暦人ではあるが、暦人御師ではない。またゲンゴロウさんのところに行くとき、オレはいつも行き帰りに途中で寄り道して、乙女さんの蔵元茶屋に行くのがお約束だ。今回はイレギュラーに断られている。もう一つおまけに、祭主のおまえさんがなぜこの時間に神社を離れているんだ」とありったけの不可解な点を提示した。


 八雲は粟斗の疑問の束を「別に普通だろう」とまとめて一蹴する。


「あすかさんに関して僕が思うのは年齢かな。単に織姫大神宮のあの登山のような石段は、そろそろ御歳おんとしに応えるようになったと考えるけど」


 八雲の一理ある応えに、「なるほど」と一応の合致をみる夏見。

「僕が何か企んでるとでも言うのかい?」と加えた。

 腕組みしたまま微動だにしない姿勢で、無言のままの夏見に、

「考えすぎだよ。もしそこに作為的なものがあったとしても、それは僕の仕業ではない」ときっぱり否定した。

「そうか。ハム太郎は嘘をつかないからな。信じるよ」


 八雲は笑顔で夏見に親指を立てると、

「僕たちの友情の中で、そこすごく大切。信じてくれてありがとう。きっと皆にとって良いお手本になるね」と頷いた。そして加えて「でも僕はハム太郎ではなくて半太郎だ」とおきまりの訂正を入れる。


 八雲はみずほの方をちらりと見ると、「こういった、人間同士の信頼関係という勉強も大切ですよ」と諭した。

 みずほは苦虫を噛みつぶしたような顔で、「けっ」と意味のない相づちをうった。

「さあ、信じてもらえたら、場所移動です。いきますよ」

 促す半太郎に「おう」と答えた夏見だった。


 動き出す一行。実は夏夫、栄華、美瑠も夏見と同様の疑問を感じていたが、ここでは口しなかった。もし八雲の考えでないとすれば、あとはもっと大きな力が自分たちを動かしていると考えていたからだ。

「夏見君と山崎君は自分の運転で、夏夫君とみずほちゃんは私の車で移動しましょう」

 八雲の指示で皆は店を後にした。


織姫大神宮

 夕べも近い頃に滞りなく式典が終わる。清め払いや祝詞、巫女舞が済むと再び篠笛の音が境内に響く響く。神社の神楽殿かぐらでんは特別神事として貸し切り状態だ。一般の参拝者をお断りしての神聖な儀式である。


 そして式の最後に祭主の八雲が壇上で話し始める。

「時の迷い人を出さないための努力をしてきた結果を、ここにお披露目しましょう」

 桐箱の蓋を開けて、薄紫の緩衝材の敷いてある、その上に乗った鉾鈴を頭上に挙げる八雲。真新しい鮮やかな帯も美しく、金属の部分もぴかぴかに光っている。

「まだ一つしかありませんが、いずれは複数の御厨で使えるようにしていきたいと思います。時巫女さんもそう申しておりました。しばらくは一カ所常備して頂いて、使う暦人達に取りに行ってもらい、使い終わったらもとの講元宿にお戻し頂きたい」

 八雲の説明に会場は少々ざわつく。

 その関心はこの鉾鈴をどこの御厨が持つかと言うことである。東国、とりわけ関東一円の大小様々な御厨の暦人御師が一堂に会す機会など滅多にあるものでは無い。決めるのに丁度良い機会と八雲はこの場を選んだのだろう。


 本来であれば、角川の家は御師のあすかが出向いてくる式なのだが、孫の栄華が今日はその代理を務めている。横で夏見が『時神節』の式次第を説明しながら、初めての参加に対応している。

 最前列のそのまた手前に、東雲桜と八雲が陣取る。会場各人から見えやすい位置である。両名とも黒のスーツに身を包んでいる。桜はさっきの駅前とは違いフォーマルだ。


 彼女の手には二十数枚の木札が握られていた。それを皆の前に見えるようにかざした。一番下になっているのが『大庭御厨おおばのみくりや』と焼印されている。二十数枚の御厨名が書かれた木札と言うことだ。

 それを暗箱の中に入れて、箱の上からきりにももりにも見える工具で札を付くのである。そう江戸時代の宝くじ、富突とみつきの手法である。裏返しの札を箱の中で無作為に突くのである。刺さった木札が当たりとなる。


「では『時の鉾鈴』を常備する御厨の講元宿を抽選で決めたいと思います」

 桜はそう言うと箱の中に木札をおさめた。


 すると長慶子の時巫女が舞台の袖から現れ、その突き道具を大幣を使ってラジコンのように天井高く持ち上げる。まるでマジックショーだ。彼女が大幣を下にひと振りするときりはストンと一枚の木片に刺さった。


 桜はその錐を箱から取り出して、板に刺さった錐を抜く。そして板に記された文字を皆の方に向かってお披露目した。

『飯倉御厨』

 そう焼き印で記された木札を見て、夏見は栄華に、

「前に出て行け」と背中を押す。

 何が何だか分からないまま、栄華は桜のもとにたどり着いた。

「では、この『時の鉾鈴』は東京の港区、角川家の講元宿に常備して頂きます。必要とあらば、暦人御師の各人は港区の洋菓子喫茶「モントル」まで取りに行ってください。そしてまた「モントル」にご返納ください」

そう言ってから「ではどうぞ」と風呂敷に包まれた桐の箱を栄華に手渡した。栄華は抱え込むように、手にすると一礼をして席に戻る。時巫女の姿もスッと消えた。


 気付くと栄華の後の席には、いつの間にか思川乙女の姿があり、微笑んでいる。

「乙女さん」

「ごめんなさい。遅刻しちゃった。だめねえ、私」と軽く自分の頭を叩く。そして「飯倉の御厨に今度借りに行くわね。『時の鉾鈴』」と加えた。

 栄華は「はい」と笑顔で答えてから正面を向いて着席した。



乙女の講元宿

 夏見と乙女の車に分散して乗った一行は、国道五十号線を東に進み、乙女の経営する蔵元に向かった。そこで打ち上げ会をするという算段だ。「蔵の街」のコピーで観光客を集める栃木市の中心部にその店はある。


 杉玉がぶら下がる玄関先には、蔵元事務所とその一角を改良して作った店舗部分がある。その脇は奥の酒蔵に入るアスファルト舗装の通路になっている。トラックが通れるほどの大きな通路だ。


 乙女が店舗部分の鍵を開けてサッシ戸を引く。滑りの良い扉が開けられると、ほのかに甘い、日本酒の香りが漂ってきた。宴が待ち遠しくなる。うずま酒造は思川乙女の営む寒河御厨さんかわのみくりや近くにある講元宿。


 明かりをつけて、空調をまわすと乙女は、

「簡単なおつまみを作ってくるわね。あと店先にかけてある乾き物や煎餅、良かったら開けて食べてね。後で粟斗君の会社につけておくから」とジョークを飛ばす。

「貧乏リサーチ会社をつぶすつもりか? あんたのおじいさんに釣り竿代払えなくなるぞ」と笑う粟斗。

「えー、あの文筆プロダクション、おせんべいのツケの支払い程度でつぶれちゃうような会社なんだ」と意地悪な素振りの美瑠。


「なんか絵の島の時といい、美瑠ちゃん、最近オレに頻繁に毒を吐いてくれるよねえ」

 粟斗は参ったという顔である。


「あら嫌だわ。私そんな意地悪な性格じゃないわよ。ごめんなさいね」と笑って粟斗にお詫びのお酌をする。みずほの一件でどうも気持ちが尖っているようだ。

「どうぞ」

「ああ、どうも」

 各々がコップや猪口を手にして乾杯の仕草をする。丸太を割った長いすに座り、皆が飲み始める。

 店舗の半分は畳敷きになっていて、今風の正方形の琉球畳りゅうきゅうたたみが敷き詰められている。みずほは疲れたようで、奥から座布団を数枚持ってきて、そこに敷いた。

「みんな仲良いんだな。一人が多いあたいには不思議な感じだ」と苦笑するみずほ。


「悪いが疲れたので、少し横になるぞ」

 そう言って、壁際を陣取り、すぐにみずほは眠りに落ちた。寝息がすーすーと皆に聞こえるほどの快眠だった。


 本人不在のまま、皆の関心、話題がみずほになる。

「みずほは幾つになった?」と粟斗。

「確か二十二歳じゃないか」


 山崎のその返事に、「親父さんが生きていれば、きっと同じ歳くらいの子たちと大学行ったり、専門学校行ったりして、活き活きしていたんだろうな」と粟斗はしんみり語る。

「そうですね。もともと父子家庭だったし、身寄りがない。多霧の時巫女さんも心配しています」と山崎。

「あのおばさんでも心配することあるんだ」と夏見の言葉に、

「多霧さんはとてもみずほのことを可愛がっているんです」という。


 皆は横柄で、ぞんざいな言葉遣いのみずほに、ナイーブな過去があることを少しだけ二人の会話から垣間見ることが出来た。

「聞かせて」と言ったのは栄華だった。

 人一倍、優しくて心配性な彼女は、今日一日ずっと彼女の行動や言動を気にしていたのだ。

 夏見は目配せして山崎を促す。山崎はゆっくりと話し始めた。

「やり過ぎだらけでみんなは困ったなあ、って思うみずほちゃん。実はね、七、八年前までは内気で何も出来ない子だった。高校の頃からひとりぼっちになって、多霧の時巫女さんと私で交代しながら彼女の様子を見に行っていた。膝小僧を抱えて、部屋の隅でタンスの前にうずくまって泣いていることも多かった。言葉遣いも礼儀も正しい、とても出来た子でした」


 試飲コーナーのテーブルで話す、山崎が昔から知るみずほの姿だ。

「父子二人の食卓の世話をして、炊事、洗濯、掃除に買い物と主婦並みに父親を助けている健気な姿が印象的な子でした。誰もが彼女のてきぱきこなす家庭の仕事には驚かされたものです。それもイヤとも言わず、笑顔でこなす彼女の清涼感に満ちた笑顔は皆のあこがれの的だったんです」

「誰の話だ? って言われそうだな」と夏見。

「今となってはね」

 そう言ってから山崎は再び続ける。


「やがて、両親が近くにいないとか、子どもひとりで変な家という近隣の子どもたちの噂が彼女を苦しめ始めたんです。親がいなくとも、私にはたまたま祖父がいました。だから優しさや愛情を忘れずに済みました。でも彼女には多霧さんと私しかいませんでした。親戚も知人も知らんぷりでした。天涯孤独というやつです」


 山崎の話は続くが、畳の上で、当の本人、みずほは相変わらず寝ているように見える。


「彼女自身、自分が強くならないと心が壊れる寸前でした。言葉や普段の表情を変えることで、鎧を着けたように強くなったんです。だから私は彼女のぞんざいな言葉も、少々行き過ぎな行為も目をつぶっています。根底には誰よりも悲しみを分かち合うことが出来る真心を持っている子ですから。そして自分が苦労した分、困った人に対する温かな手をさしのべる心を人一倍持っている、とても優しい子なんです」


「そっか……」


 山崎の言葉に珍しく夏見が茶化すことなく応答した。夏夫や美瑠も神妙な面持ちである。


「だから彼女、山崎のことだけは優しい言葉で対応しているんだな。山崎には中学や高校の頃の素直なままで接しているんだ。本質的には良い子なんだな。ちょっとほろりとくるぜ。一生懸命生きてるんだな。可愛い顔して」

 夏見の目も赤くなり、少し目頭が熱くなっているのがわかる。


「そして高校を卒業したら、父親がやっていた喫茶店をそのまま再開して、講元宿も復活しました。私と多霧の時巫女さんの全面協力でした。彼女の夢である困った人々を助けるためです。でも本当は自分の方が助けてほしい状況に近いのに頑張ってしまうんですね、彼女は。もちろんあの性格だから、仲間も出来ないし、他の暦人たちもなかなか訪ねてきてくれない。そのため自分ひとりで託宣を解いたり、時間移動したりと、誰にも頼らずに暦人の仕事をするようになった。だからいつのまにか若いのに、何でもそつなくこなすし、仕事も早い、勘も鋭い、超一流の暦人になったと言うわけです。なりたくてと言うわけではないでしょうね。結果的にそうしないと生きていけなかった」


「寂しかったでしょうね」と美瑠。そして「私も凪彦さんに会うまでは孤独感の塊だったけど、今の話で、私のは比較にならない程些細なことね。彼女の置かれた立場は、そんなレベルではないと思ったわ」と頷く。


「だからね。この子には誰よりも幸せになったほしい。最高に優しい相手を探してあげたいんですよ。子どもの時に見せてくれた、あの屈託ない笑顔を、もう一度私に向けてほしいと思っているんです」


 山崎たちに背を向けて寝ていた、みずほの目からほろりと一粒の涙が伝う。大粒の涙だ。大きな目からぷるぷるとゆれてはツーと落ちてゆく。寝たふりをしていても涙は畳の上に、二粒三粒と落ちて行く。畳には丸い水玉模様のシミが幾重にも広がる。

 彼女の脳裏には、十代の苦い思い出が、聞こえてきた山崎の話から蘇っているからだ。


 勿論、彼女のこの涙に誰ひとり気付いてはいない。壁際に向かって寝ているからだ。ついさっきまでは、いつ起きようかと、タイミングを伺っていたみずほ。ところが、自分のしんみりした話に出端挫かれ、タイミングを失う。狸寝入りにもらい涙の時間となった。


「じゃあ、僕のことなんか彼氏にするなんて言っていちゃダメなんじゃん」と夏夫も会話に加わる。

「バカ。ほっといてやれよ。それで寂しさを紛らわせているのだから。おふざけで心の痛みを忘れているんだよ」と夏見は援護に回る。

 そこで思わず夏夫は、

「だっていきなり……」と言って、不意打ちのキスの話をしようかと思ったが、ためらった。この場でわざわざ公言する必要があるのか否かを察したためだ。


 そこで、みずほは自分の出番だと思い、起きた振りをしてのびをした。

「あーああ、よく寝た」

 赤い目を擦り、涙を悟られないように陽気な笑顔を作る。そしておもむろに、当たりをきょろきょろすると、


「なんだ辛気くさい話か?」と一瞬にして表情を曇らせてみせる。

「おまえさんの昔話を山崎がしていた」と夏見。

「山崎なら安心だ。絶対悪口言わないからな。もっと話して良いぞ」と言う。


 山崎は頭をかきながら、

「もう終わりましたので、そろそろ乙女さんの手料理を頂こうかと思っています」とお茶を濁す。

「ふーん。そうか。乙女は料理が得意なのか」と納得する。そして「そういえば、乙女のじいさん、ゲンゴロウ、って言ったっけか? 帰りがけ神社の近くの飲み屋にいたぞ。ちょうど大日さまへの入口あたりの表通りだ。東雲桜と笛吹童子のような時巫女と三人で祝杯挙げていたな。今日の準備と式が上手くいったらしいや。そんなことを話しているのが聞こえてきた」と再び目を擦りながら言うみずほ。


 そのことに一番に反応したのが夏見である。


「なに? ゲンゴロウさん、じゃあ最初からあの地図のことも、鉾鈴のこともみんな知っていて知らばくれていたのか」と言い、その言葉の後で付け加えるようにぼそっと「一杯食わされた」と呟く。


 横で栄華も渋い顔である。

「もう、田んぼの用水路に放してしまいましょう」と言う。

 全員、意味が分からず一斉に「なんで?」と栄華に問う。

「だってゲンゴロウだから」と語尾小さめに答えた。

「うわあ、小学生並みの発想」と夏夫。

「いや今時の小学生はもっと高度なこと言うよ」と夏見。

 散々な評価を下される栄華。


 そこでみずほは、

「いいじゃないか、ピアノで食べてる人なんだから。あたいだって、生活にゆとりがあればピアノぐらい習いたかったよ」という。態度とは裏腹に結構栄華を気に入っているようで、少しだけ肩を持つ。


 すると栄華は待ってましたとばかり、彼女の言葉に飛びついた。何かしてあげたかったのだが、接点がなくて困っていた。漸く自然な会話ができる場面が来た。渡りに船となる。


 優しい瞳で、

「今度うちにいらっしゃいよ。レッスンしてあげるわ。もしイヤでなければ美瑠ちゃんだってピアノ教えられるし、仲間になりましょうよ」とみずほに誘いかける。


 美瑠もその言葉に頷く。

「いいのか? あたいみたいな、ど素人が行っても。迷惑じゃないか。邪魔っ気じゃないか」と言うみずほ。

「大歓迎だわ」

 声を揃えた美瑠と栄華である。

「おい、山崎。あたいは今日の『時神節』、出てきて良かったぞ。正確には飛ばされただけであたいの意志じゃないけど。でも仲間と言ってくれるやつが二人も出来た」

 山崎は無言で頷く。


「でもまずは栄華に暦人の知識を、逆にあたいが教えた方が良いかもな」というと、いの一番に夏見が、

「頼んだぞ、跳ねっ返り」と笑う。

「みずほちゃんが輪に入ってくれましたね」と山崎は夏見に言う。

「ひとりぼっちのみずほに仲間を授けたかったのが、今回の栄華ちゃん、夏夫君、美瑠ちゃんを呼んだ目的か」


 夏見も納得した。そして二人は小声で、

「時神の粋な計らい」と声を揃えた。


 跳ねっ返りのみずほにも漸く節度を持った仲間が出来たことになる。時神はきっと時巫女と一緒に、彼女に仲間との時間の楽しさを教え、与えたのだろう。愛情や友情は、自分ひとりで学べるものでは無い。仲間がいて初めて実感できる、経験できることである。夏夫、栄華、美瑠が来た意味は、ここにあったのだと、各々がやはり確信していた。


 乙女の運ぶ大皿の芋料理とかんぴょう巻きのお寿司。一番に飛びつくみずほの顔は満面の笑みである。今日の彼女は久しぶりに、本来の年相応である無邪気な若者の顔に戻っていた。

「私、ちょっと夜風に当たってくるわ」

 乙女は皿を置き終わると感慨深い顔つきで、そっと表に出た。何か思うところがあるようだった。




うずま酒造前の例幣使街道れいへいしかいどう

 乙女の店の外で会話がこぼれてくる。それに優しく耳を傾けている者が二名。


「あいつらなら、みずほをもとの素直で明るいみずほに戻してくれるだろう。あいつらに任せておけば良い。時神さまもさぞかしご満悦だろう。今回の託宣は、鉾鈴を探すことより、探す過程での皆との協力を、みずほに学んでほしかったことだ。そしてまわりの暦人には、みずほの心を受け止める場所になってほしかった。解釈や解読など、どうでも良かったんだ」


 みずほの表情を店の傍らから覗いて喜んでいる多霧の時巫女。彼女の存在を店内の暦人達は誰も気付いていなかった。


「多霧さんも意外にお節介なんですねえ」


 浴衣姿に笛を持つ長慶子の時巫女がその横で笑う。優雅なたたずまいだ。リーダー格の多霧の時巫女とは随分雰囲気が違う。


「まあ、そう言ってくれるな。今日はなんか楽しい。私たちも飲もうじゃないか。長慶子、おまえのおごりでね」

「たかりはやめてください」


 長慶子の時巫女、線引きはしっかりする性格のようだ。 淡々と、それでいてやわらかな御断りの言葉である。


「水臭いこと言うな」

「割り勘ならお供しますよ。ただし彼らの宴が終わってからですね」


 優雅に微笑む長慶子の時巫女。


 そろそろ夜も本番、ツツジの香りが強く感じる時刻だ。新緑まぶしいこの時期に、ツツジは生命力のある若葉特有の良い香りを放つ。花言葉では「慎み」や「節度」を意味するツツジ。それは、常に暴走するみずほが、新たな仲間と一緒に手に入れたもうひとつのかけがえないものだったのかも知れない。

                              了

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