第2話

 「君は神様に召されることになった」


 それを聞いて後ろに立っていた課長、他の課の課長はざわついた。

 神様に召される? ミカは部長が何を言っているのかよくわからなかった。


「君は今朝7時53分駅のホームで、神様を助け、病院へ付き添った。神様が君のことをたいへん気に入り、天界にいざないたいとおっしゃっている。召される時刻は明日の昼12時だ。先ほど内閣総理大臣を通じて省庁から連絡があり、至急君に準備をしてほしいとのお達しがでた」


 部長は、わなわなと震えていた。

 そして課長達も「信じられない」「神様に召されるなんて凄すぎる」「この子は神に選ばれたのだ」と交互に口にした。


「ま、待ってください。確かに私は今日お年寄りの方を助けました。でも、その方が神様っていうことなのですか?」


「そうだ。あの方がこの世界を見守っている唯一無二の神様だ。その方が君を天に召されるとおっしゃっているのだ。誇りに思いなさい」


「天に召されるとどうなるのですか?」


「私たちも天界のことはわからない。しかし、この世では経験することのできない、史上最高の幸福を手にすることができると言われている。君はこの世を捨てて、天に旅立つのだ」


「そ、そんな…でも私そんな心の準備は」


 ミカがたじろいでいると、ミカを能無し呼ばわりしていた課長がミカに歩みよった。


「笹木君、君はこの地球上で最も幸福になる権利を手にいれたということなんだ。宝くじに当たって億万長者になることの比ではないほどの最大の幸福なんだ。それを断る権利は君には無いんだよ。だって、君は神様に召されたのだから」


 ミカは愕然として、「はい」と答えた。ミカはこの世に神様がいることすらも知らなかった。でもいつも誰かに祈っていた。この苦しい生活から助け出して欲しいと無言のSOSを送っていた。本当に神様がいるというのか。そして、あの平凡そうな老人が神様だというのか。


「笹木君、君は今の仕事をできるだけ、後輩に今日中に引き継いでくれ。午後2時から総理や知事を招待し、世界中の首相と中継を繋いで盛大にセレモニーが大会議場で行われる。マスコミも大勢訪れるだろう。心して臨むように」


 部長室を出ると、執務室内の職員が何が起こったのかとミカを一斉に見つめた。ミカはその視線に恐怖を感じた。そして、その瞬間社内放送が流れた。


 ピンポンパンポーン

「本日、お客様相談課の笹木ミカ様が神に召されることが決定致しました。セレモニーは第一大会議場で14時からです。皆さん、仕事を中断してセレモニーに出席してください」

 ミカと同い年くらいの若い女の子の声だった。


 それを聞いた社内の人々はいっきにざわついた。さっきまでミカを罵倒していたお局が、まるで尊いものをみるかのような柔和な顔つきでミカに歩み寄ってきた。


「笹木さん、凄いじゃないの! 私の部下が神様に選ばれるなんて誇りだわ。やったわね!」


 固まっているミカの手を無理やり握ると、お局の鋭く冷たいネイルがミカの汗ばんだ手に刺さった。ミカは「はい」とまた小さく返事をしてぎこちなく微笑んだ。


 これから私どうすればいいんだろう。

 神様に召されるって、死んじゃうことなんだよね?

 どうして私なんだろう。

 なんだか面倒くさいな…


 ミカはぼうっとしながら、後輩に引き継ぎをし、大会議場に向かった。

 大会議場にはすでに人が集まり、オーケストラが奏でる荘厳な曲がスピーカーから大音量で流れていた。たくさんのモニターが配置され、テレビで見たことのある世界の首相が映されていた。そして、内閣総理大臣と知事が壇上に座り、その周りをSPが覆いつくしていた。


「さあ、笹木さんこちらへ」


 案内役の女性が怯えるミカを壇上へ誘導した。ミカは「はい」と小さく返事をし、震える足で階段を上ると、ミカにスポットライトが照らされ、視界がぼやけた。


 ミカが壇上に上がると、たくさんの人々がミカを見つめていた。ある人は喜び、ある人は涙し、ある人は選ばれたミカに嫉妬の眼差しを送っていた。

 壇上で棒立ちになっていると、総理大臣が大きな賞状みたいな紙を持って微笑みながらミカに歩み寄った。


「笹木ミカさん、あなたは明日12時に神様に召されることになりました。あなたの行いは神様に評価され、あなたは全人類を代表して天界へいざなわれることとなりました。これは我が国にとって誠に栄誉なことです。おめでとうございます」


 その瞬間フラッシュがたかれ、ミカの頭上で大きなくす玉みたいなものがパーンと割れた。シンバルや太鼓が鳴り響き紙ふぶきが舞って会場は狂喜乱舞に包まれた。

 様々な人が大声で「おめでとう」「笹木さん、素晴らしい」「この国の誇りだ」「女神だ」「凄すぎる」とミカを褒め称えた。


 ミカはこれまでこんなに多くの人に誉められたことはなかった。幼少期の頃から運動も勉強も人よりもできず、友達もいなくていつもバカにされてきた人生だった。いつも人と比べて自分がどれだけ劣っているかを実感させられ、辛い思いをしてきた。

 しかし、どれだけ人に悪口を言われてもミカは「困っている人がいたら親切にしなければならない」という親の教えを忠実に守って生きてきた。それが今、報われたというのか。神様は私を見てくれていたのだというのか。


 自然と涙がこぼれた。

 今までの人生や苦労が報われた気がした。

 ミカは気がつくと多くの人に囲まれ、しくしくと泣いていた。


「皆さん、今までありがとうございました。お世話になりました」


 ミカは小さな声を振り絞って、泣きながら笑顔で大勢の人に手を振った。


 セレモニーが終わった後、ミカが執務室内に戻るとミカの机には書類もパソコンも何もなく、綺麗になっていた。時刻はまだ4時だった。


「あの…私の仕事は?」


 ミカが係長に訪ねると、係長は饅頭を頬張りながらこう答えた。


「ああ、聞いてなかった? 神様に召された人はその瞬間から特別休暇がもらえるんだよ。君に会社に来てもらうことはもうないから、先に机を綺麗にしておいたんだ」


「そうなんですね…」


「明日の12時にここに来てもらうことになるから、それまでに身内の人に挨拶をしておくといいよ。あと、見送りに一人だけ付添人を選ぶことができるからもしいたら連れていってもいいって部長が言っていたよ」


 係長に渡された地図を見て、ミカはさっきとはうってかわって焦燥感に駆られた。

 親はこれを知って何て思うんだろう。きっと私がいなくなっちゃうから悲しむだろうな…同棲中のサトシにも伝えなくちゃ。


 会社を出るとまだ4時とはいえ、冬なのですでに日が傾いていた。ミカは公園のベンチに腰をおろした。今朝会社まで走ったせいで、パンプスとかかとの間に靴擦れができていた。

天に召されるとどうなっちゃうのかな? 最上級の幸福ってなんなんだろう? 痛くないのかな? 苦しくないのかな?


 木々の間から降り注ぐ夕焼けの光が、ミカの小さな背中を照らした。ミカは田舎にいる母親の携帯に電話をした。母親はすぐに電話に出た。


「もしもし、お母さん? マスコミとか見てもう知ってるかもしれないけれど、私、明日神様に呼ばれて天に召されることになったの」


 電話口に一瞬の沈黙があった。ミカはその沈黙がとても長く感じられた。


「知ってるよ! お父さんも泣いて喜んでいるわ! うちの娘が神様に選ばれたってね! ご近所様もお宅のミカちゃんは本当に凄いって大盛り上がりよ」


 母親は興奮しているようだった。ミカはなんだか切なかった。お母さん、喜んでるんだ。私がいなくなっても悲しくないんだ? 神様に召されることってそんなに嬉しいの。

 そう思ったが、電話で口にすることはできなかった。ミカは思ったことを人に伝えるのが苦手な人間だった。自分のことよりも相手が自分をどう思っているかを重んじていた。母は、昔から私が立派な社会人になって幸せになることを望んでいた。それが私が神様に選ばれたことは母にとって最上級の幸福に値する。


「付き人、必要なんでしょう? お母さん行ってあげようか? 新幹線でいけば明日には間に合うし」


「ううん、いいよ…お母さんも仕事あるだろうし」


ミカは、肩を落とすとあとは適当に母親と会話して電話を切った。


(つづく)

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