第50話 沈黙した大奥~襲撃 伍

 それでも心臓は口から飛びでそうなほど、ドクンドクンと鳴り響いている。


 ――落ち着くのよ。ここで取り乱せば命はないわ……。危険が迫ったときの対処法を別式女はなんて言っていたかしら。


 鍛錬のとき、何度も何度も教えられた言葉を必死で思い返す。


『呼吸を一定に保ち、相手の動きをよく見て音を聞く。勝てない相手ならば退くことを第一とし、無駄な戦いを挑まない。相手から逃げるのではなく生きるための勝負に徹する』


 ならば、これは生きるための勝負。

 菜月は深く息を吐き、大きく吸った。そうしながら敵の足音に耳をそばだてた。

 十数名はくだらない足音が砂利を踏んでいる。

 応酬する声に警護の者たちは対処してくれているとわかる。

 菜月は楓たちの手を取り、震えそうになる声を堪えて言った。


「楓さま、幸さま。この寺ならば必ず隠れ場所があるはずです。きっと僧がやってきます。恐ろしいでしょうが、声を出さず指示に従いましょう。――綾さまが待っています」


 楓と幸は蒼白な顔をしていたが、懸命に頷いた。

 バン! と襖が開くと同時に僧侶がけ込んできた。


「み、皆さま! 賊が侵入した模様ですっ……! はよう! はようこちらへ!」


 僧侶は菜月たちを促す。

 必死で立ち上がり、僧侶の後について早足で駆けた。


「きゃっ……!」


 幸がつまずいて転ぶ。

 菜月は抱きかかえるようにして起き上がらせた。


「幸さま! 立って!」


 さっきより近くで男の声が響く。


「生かして捕らえよ! 三人のなかで”一番背が高い”女子だ!」


 ――一番背の高い……?


 それは菜月のことを示していた。

 では、賊の目的はわたし――?

 理由はわからない。けれど、賊は自分を狙っている。菜月たちが参拝にくるのを知った上で襲撃に及んだのだ。

 それは、大奥のなかに賊の内通者がいるということを示していた。

 これは謀反だ。朝永に反旗を翻す者がいる。

 怖い。とても怖い。

 だけど、わたしと離れた方が楓さまたちは助かる――。


「わたくしは、ここに潜みます。楓さまたちは先にお行きください」

「いけません……! そんなことはできませぬ」

「いいえ。このままでは三人とも殺されます。賊は、わたくしたちの参拝を知っていました。大奥に謀反を企む者の内通者がいるのです。楓さまたちは生き残り、このことを上様にお伝えしてください。――大丈夫です。警護の者がきっと助けてくださいます」


「どうか、お早く……!」と僧侶が急かすように楓たちの腕を引く。

「さ、お行きください」菜月はその背を押した。


 警護に残ったひとりの背に庇われながら、菜月は仏像の横にある柱の後ろに身を隠した。網代笠を深くかぶり、口元を布で隠した男ふたりがドタドタと入り口から入ってくる。


「そちらを探せ! 俺はここを探す!」


 菜月はギュッと目をつむって懸命に口を押さえた。

 警護の男が耳元で「決して出てはなりませぬぞ……」と呟き、「貴様ら何者だぁぁ!」と刀を構えて突進した。


 警護の男は相手の間合いに躊躇いなく飛び入った。ガキン! と刃がぶつかり合い、衝撃に後ろへ下がる。ガリガリと小石が挟まった草鞋の音が鈍く響く。

 相手は力で押せると知ったのか、唸り声をあげて上段から力強く刀を振り下ろした。

 警護の男は態勢を崩さないよう、最小限の動作で横へ躱す。

 菜月の耳元にビュッと空を切る風音が聞こえる。

 警護の男は軸足を踏ん張り、急所の脇腹に刃を突き出す。相手は身体を一回転させながら横へ飛び、床に着いた足をすぐさま蹴って低い位置から胴を絶とう前へ出る。 警護の男は後ろへ飛びのき、刃をかわす。

 相手は大きく、警護の男は凌ぐだけで精一杯だ。

 ヒュッと刃が顔のすぐ横を切り、空気が鋭く切り裂かれる。警護の男も体重をかけて前で出る。

 巨躯が軽やかにふわりと宙を飛んで移動した。

 そして、すぐさま体重をかけて警護の男にぶち当たった。

 強い当たりは、踏ん張ることを許さず、警護の男を床に転がした。

 背中と後頭部を強く打ちつけ手から刀が落ちる。ガランっと跳ねた刀が菜月の隠れる柱に当たった。


「きゃっ……」


 思わず声が出てしまった。

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