第49話 沈黙した大奥~襲撃 肆

 入江はあっけないほど簡単に許可を出した。

 どこかやつれた姿は大奥総取締役としての威厳が揺らいでいるように映った。

 朝永不在の大奥がどうなっていくのか菜月の心に一抹の不安が走る。

 それでも自身を叱咤激励する。


 ――今は、綾さまのことだけを考えるの。人は苦しみに寄り添ってもらうことができれば立ち上がることができる。自分はひとりではないと知ることができれば、綾さまもきっとそうなさるわ。楓さまと、幸さまがいらっしゃるのだもの。


 菜月も香がいてくれたからこそ生きてこられたし、大奥へ行く決意ができた。

 大丈夫。きっと大丈夫だ。

 菜月たち三人は三日後の参拝に向けて慌ただしく動き出した。

 大奥全体が動揺し、立ち止まっていたせいか、誰に咎められることも妨害されることもなかった。



 晴天の空の下、黒の漆に金の施しがある重厚な駕籠かごが三つ、江戸城から出て行く。目的地である寛永寺は、伊々田幕府の安泰と万民の平安を祈願するため、江戸城の鬼門にあたる東北の上野にある台地に建立されたもので、朝永と縁が近い祈祷寺でもある。

 今は多宝塔の建築が始まっている。

 寛永寺に到着すると表門に迎えていた僧侶たちの案内で根本中堂こんぽんちゅうどうに参拝し、続いて、祈祷が行われた。

 導師どうし護摩壇ごまだんにお護摩を焚いて、薬師如来十二大願の除病安楽の誓願により、綾の回復を祈願する。真言を唱える祈祷が続き、楓と幸が必死で手を合わせる横で菜月も目を閉じ、祈りを捧げた。


 ――どうか、綾さまが回復なされますように。そして、大奥をお守りください。


 祈祷が終わり庭付きの部屋にとおされる。楓も幸も幾ばくか安堵したようで、硬かった表情も少し薄らいでいる。

 障子は開け放たれ、吹く風は祈祷の炎で熱せられた身体を冷ましてくれた。

 その静けさを壊さないような声で楓が言った。


「菜月殿。本日はありがとうございまする」


 幸もそれに続いて、頭を下げる。


「綾さまは、きっとわたくしたちでお救いいたします。この祈りが届くよう、お支えいたします」

「はい。わたくしにできることがあれば仰ってください」


 楓はふっと口元を緩めて言った。


「なぜ、上様や御台さまが菜月殿にお心を許されたかわかった気がいたします。――上様がお変わりになった姿を見るにつけ、恐ろしいと思っていた青い瞳を美しいと思うようになりました。そして、ようやく気づいたのです。わたくしは上様を傷つけたひとりであると……」


 菜月は黙って聞いていた。


「誰かが自分を理解してくれる。その気持ちは人を変えます。ただ、大奥あそこは、ひとりでいるには寂しすぎて、どうすごせばいいのかわからなかったのです。だから、皆と同じように上様に抱く気持ちを変えることをしませんでした。ですが、それは間違いであると菜月殿はお示しになった。もう遅いかもしれませぬ。……ですが、上様が大奥に訪うことがあれば、もう二度と同じ過ちを繰り返さないとお約束いたします」

「――はい」


 初めて視線を合わせ微笑み合った。――と、その瞬間、


「何者だ!」

「曲者だ! であえ。であえー!」


 警護の者たちの大声が敷地に響き渡った。乱れる足音と刀の刃がぶつかり合う金属音が、そこかしこでする。


「曲者……!?」


 動揺する、菜月たちは身を寄せ合った。

 廊下に控えていた警護の者がすぐさま抜刀し、菜月たちを庇うように部屋の入口の前に立つ。


「――お静かに。ここにいることを気取られてはなりませぬ」


 菜月たちは慌てて口を押さえる。

 刀がぶつかるキイィンキィンという音と、砂利を蹴り踏む音のいくつかは、こちらへ向かってくる。


「こ、殺されるの……?」


 悲壮な言葉が幸の口からもれる。


「大丈夫にございますよ、幸さま。警護の者たちが必ずや退けてくれます」

「菜月殿……」


 菜月は無理にでも微笑んでみせた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る