第31話 共謀 陸

 雨粒のように零れた言葉に、菜月は横顔を見つめた。

 ひとりごとを呟くようにポツリ、ポツリと朝永は言葉を続ける。


「俺が生まれたとき父たちは手放しで喜んだ。『勝利の証の再来』だと。祖父が戦国の世を終わらせ、天下を平定した象徴である青い瞳は、幕府にとって思いがけない僥倖だった。この目は幕府の安泰を示し、諸藩をまとめるための純然たる切り札になるからだ。だが、誰しもが喜ぶわけではなかった。――赤子であった俺の目を見たとき、呪われた子だと殺そうとした者もいた」


 夜がふけていくひっそりとした部屋に朝永の声が流れていく。


「――それは母だった。どんなに努力を重ねても母の思いを覆すことができぬまま俺は大人になり、御台を娶り、側室を持った。ひとりでも幸せにすることができれば、子供のころに望んだ情というものを得られるかもしれないと考えた。幸せにしてみたいとも願った。――だが、誰もが物の怪に出会ったような恐怖をあらわにする。ゆえに、俺は情というものを求めることを止めた。同時にそれらを与えることも。そして、このような思いをする子が産まれぬことを望んだのだ。泰平の世に異質なものは必要ない。皆と等しく同じものであった方がよいのだ」


「菜月」と朝永が呼ぶ。

「はい」と菜月は答える。


「俺の勝手にそなたを巻き込んだ。許せとは言わぬ、だが、この呪われた目は泰平の世とともに終わらせるべきものなのだ。鬼と呼ばれる子に幸せなどない」


 朝永の言葉は菜月が予想もしないことだった。

 青い瞳は夜明けに残る月のようにどこか寂しげで、受けた傷が癒えていないことを現していた。


 ――このお方は、どれほど傷つき、そして重荷を背負ってこられたのだろう。母親に殺されそうになり、心ない噂を流され、その目をまつりごとにために利用された。それでも国の行く末を案じ、子を持つことを諦められた。産まれる子に苦しみを与えないために。


 菜月の瞳がゆらりと揺れる。

 時がもどるのなら幼いころの朝永を抱きしめてやりたかった。そして、あなたは優しい子だと励ましたかった。


「……俺などのために泣かなくてよい」

「いいえ、いいえ」


 菜月は香の言葉を思い出していた。

 生き返ったのはこの世で成すべき役割があり、それを果たすために神さまがそうしたのだということを。そんなことは起こらないとずっと思ってきた。

 でも、今はっきりとわかった。


 ――わたしが生き返ったのはこのためだったんだわ。痛ましい傷を負いながらも心を鋼のように強くして国を背負っている、この方に力を貸すために大奥へ導かれた。


 薩摩にいても子供も婚姻も望めない身の上だった。

 ならば、泰平の世を次に繋ぐ一助となればいい。

 菜月の指が朝永の心臓のうえにそっと置かれる。


「……誰かを幸せにしようとしたことを悔やまないでくださいませ。上様がそうなさろうとしたお心は、わたくしが抱いて参ります」


 自分の言葉に朝永を慰める力はきっとない。

 代わりに「わたくしはこの役目をやり遂げてみせます」と告げる。


 あなたのそばにいます。

 いつでもここで待っています。そんな願いを込めて。


「……もう眠れ」


 朝永はそう言って菜月を布団に横たえた。菜月は頷いて静かに目を閉じる。

 朝永の指が涙をぬぐった。

 菜月の力は抜け、朝永が布団に横になっても身体が強ばることはなかった。

 夜のしじまは、ふたりの上に静かに降り積もっていく。


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