第29話 共謀 肆

「なんでございましょう」

「俺と閨をともにして欲しいのだ」

「えっ? ね、閨!?」


 いきなり話が飛んで素っ頓狂な声を上げてしまった。


「そう驚くな。そなたは俺の側室であろう」

「そ、それはそうでございますが……なぜ、わたくしを?」

「今の話を聞いて決めたのだ。守るものが奥にあるのなら俺を裏切ることはないだろう。それに、そなたは俺を恐れぬ。今もこうして話ができている」


 会話など誰とでもできるのでは? そう考えたことが顔に出ていたらしい。


「女子は俺を恐れてまともに話などできぬ。こうして話せるのはそなたが初めてだ。俺が脅したにもかかわらずな。その肝の太さも含めて決めた」


 東斬直孝にも似たようなことを言われたなと思いながら、朝永の言葉を聞いていた。


「閨と言っても、ともに寝るだけだ。無体な真似はせぬ」

「それでは、こ、子は……できないと思うの……ですが」


「言ったはずだ。俺は己の子を持ちたいと思っておらぬ。世継ぎとなる養子をもらうよう話を進めているが、幕閣も入江も俺の血を引く男子を諦めていない。女のもとに通わないまま話を進めることは難しい。そのためには奥にかよい、養子の話が出ててもおかしくない時間を稼ぐ必要がある。その相手をそなたに頼みたいのだ」


 世継ぎを養子にもらう。

 一介の御中臈が聞かされていい内容ではない。ごく限られた人間にしか知らされていないはずだ。秘中の秘である話に、五月だというのに背中が冷たくなる。

 そんな菜月を朝永は愉快そうに見つめて言った。


「聞いたからには、そなたも共犯者だ。逃げらぬぞ」

「で……ですが、そのようなお役目をわたくしが勤めてよろしいのですか? 死んで蘇った女など、お世継ぎ問題に相応しからぬ人選であると思うのですが……」


「子を成せぬという汚名と、養子の話を口外せぬという責任を背負ってもらうことになるのだ。それに耐えられる強さを持つ者でなくては務まらぬ。だからこそ、そなたでなければならぬのだ。もちろん見返りは約束しよう。そなたと香が大奥で無事に暮らせるよう保証する。役目を終えたあとでも、そなたを無碍にせず奥内での立場も守ろう」


 朝永の提案は香を守るにはこれ以上ない後ろ盾だった。

 東斬直孝とうざんなおたかめいである隠密の役目を果たすのも難しくなった今、菜月が選択できる最善策はこれしかない。それに聞いてしまったからには逃げ出すことは叶わない。

 朝永の言うとおり菜月はもう共犯者なのだ。

 身体の奥にぐっと力を入れ、心を定めた。


「わかりました。お受けいたします」

「助かる。入江に奥泊まりを伝えるゆえ、明日にでも声がかかろう。そのつもりでいてくれ」




 その言葉とおり、朝永が菜月のもとへ通うことが入江によって知らされた。


『朝永が夜の渡りをする』


 その話は大奥中を駆け巡り、激震を走らせた。

 朝永が二度目の閨を希望したのは初めてのことで、入江は喜ぶというより、ようやくお世継ぎ問題の解決の糸口が見えたと身を震わせ、女中たちに指示を飛ばし、最新の注意を払って御小座敷おこざしきの準備が整えられた。

 菜月も日が沈むにつれ落ち着かない気持ちになってきたが、夕餉を食べ、湯殿で清められ、身体を改められと人の言うままに動いていたら、気づけば座敷に正座して朝永を待つ身となっていた。

 心臓は痛いほど高鳴り、身体がふわふわと浮いているようで落ち着かない。菜月はほぅと息を吐き胸に手を当てた。


 ――大丈夫。上様は無体はなさらないと仰ったのだもの。


 それは身を保証してくれる言葉のはずなのに、どうしたことか寂しい気持ちが胸の奥を引っかいた。どうしてしまったのかしらと怪訝に思った。

 子を欲しいと思うのは女の性だから?

 いいえと小さく否定する。


 ――きっとわたしは後ろめたいのだわ。入江さまだけでなく、香をも騙そうとしているのだから。

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