第23話 和解 壱

 すっかり回復した菜月は、気が入らなかった薙刀の鍛錬を再び熱心に励むようになった。総触れが終わると袴姿に着替えて一時間みっちり身体を動かす。

 そのあと昼食を食べてから書物を読むといったあんばいだ。

 しかし、今日は身支度を調えてしおらしくしている。

 再び、御台所のもとへ赴かなければならないからだ。琴音と助けた礼の席というのだから、初めて招かれた日のようなことはないだろうが、やはり少し緊張している。


「土産は御台さまに届いているかしら」

「はい。間違いなく女中たちに運ばせております」


 今度は琴音の首飾りや敷物などを揃えたのだ。

 呉服の間で御台所の好みを聞き、城に出入りする大店おおだなにあつらえさせたものだ。持参金では心もとなく、考え抜いて薩摩藩邸に文を出したところ、

『金に糸目をつけない。最高級のものを贈れ。支払いはこちらで行う』と返事があった。

 私生活に触れず、御台所へ献上する旨を書き記した文の内容は、仮に朝永に読まれても間者としての疑いを持たれないものになるよう細心の注意を払った。

 こうして、かぐや姫が条件とした、宝玉のような品々が御台所に届けられたのだ。


 ――今度はさすがに気に入っていただけると思うけれど。


 菜月は緊張した面持ちで御台所のもとへと向かった。


「御台さま。菜月にございます」


 そう名乗ると、にこやかな顔した部屋子たちと御台所に迎え入れられた。

 御台所の腕のなかにいる琴音の首には菜月が贈った品が付けられている。


「ようきてくれはりましたなぁ。琴音への品もおおきに。どお? 似合うてますやろか?」

「はい。とてもお似合いにございます」


 御台所が「これ」と言うとお茶と菓子が運ばれてきた。

 高坏たかつきに乗せられた干菓子は淡い桃色や緑色をしており、新緑の季節にふさわしい上品さだ。


「京から取り寄せた菓子や。遠慮のう召し上がって」


 うながされて口へ運んだ。

 ほろりと崩れたそばから、ほのかな甘さが口のなかに広がる。


「色も雅ですがお味も上品で美味しゅうございます」

「そうですやろ」


 御台所は目を細めてそう言ったあと、「こないだはきついこと言うてかんにんえ」とすまなさそうに呟いた。

「そんな……、どうぞお気になさらないでくださりませ」

「いいや。わたくしが聞いたことは嘘やとはっきりわかった。菜月はんに悪いとこなんてあらしまへん。又聞きしたことを信じるなんて、ほんまに恥ずかしいことや」

「御台さま」

「死ぬかもしれへんのに、犬のために池に飛び込むお人が、悪い人なわけがあらしまへん。お陰で琴音は事なきを得た。――ほんまにおおきにね」

「もったいのうございます」

「琴音はな、大奥で唯一の味方やの」


 御台所はふっと苦笑して、遠くの山を仰ぎ見るように視線をやる。


「こないな暮らしをしとって嘘やと思うかもしれへんけどほんまのこと。大奥ではやらなあかんことがぎょうさんあってな。やれ先祖に祈れ、やれ上さんと食事せえ、御台所として大奥法度を守れ言われてなぁ。そうやのに上さんはなんも喋らへん。すぐに中奥へもどってまうんや。わたしとることがそないに居心地悪いなら、一緒におる理由はいっこもあらへん。――そうやさかい御所風に暮らさしてくれと頼んだんや。総触れに出えへんのもそないな理由」


「そのようないきさつがあおりに……」

「好きでこないなとこにきたわけやあらへん。わたくしは幕府と朝廷を結ぶための人柱。つまりは将軍家の飾りものや。大奥の女はみぃんなそう。菜月はんも似たようなものですやろ」


 菜月は小さく頷いた。

 隠密として大奥へ入れられ、朝永には間者だと疑われ、それでも将軍家のご威光のために大奥にとどまっている。

 しかし、菜月はまだ好きなことをやれている。だが、御台所は想像できないほどの重圧を背負い嫁いできた。

 御台所は霞をむように呟く。


「あの青い目はだ―ぁれも映さへん。凍てついた冬や」


 その言葉はとても寂しげだった。

 上様は御台さまにも同じように、子供を望まないと仰ったのかしら。それとも御台さまも怯えてしまわれた……?

 どちらにせよ、御台所の矜持は砕けただろう。

 その後も渡りがなく、大奥の義務だけを要求されたのであれば、朝永に、大奥のあり方に背を向けても仕方ないと思える。

 朝永は人を信じてはいなかった。菜月にはその苦しみが少しだけわかったけれど、誰もが自分と同じ環境に身を置いていたわけではない。御台所は皇女としての責務を正負い、嫁いできたのだ。寄せ集めの自分とは重さが違う。

 儚く映る御台所を見て、

 なにか御台さまのお役にたつことはできないないかしら?

 そう頭をひねってみた。

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