第21話 御台所~金銀と簪

 翌日、熱が出てしまった菜月は総触れを欠席し、お匙の処方した薬を服用してこんこんと眠り続け、夕方にようやく身体を起こせるようになった。

  香が御膳所に頼み込んで味噌粥を作らせてもらい、それを食べると人心地ついた。

 よく摺った味噌を鍋で軽く焦がして味噌汁をつくり、洗ったご飯を入れて生姜のしぼり汁をたらして刻み葱を散らした粥は、熱いうちに食べると風邪によく効くのだ。 懐かしい味は菜月をほっとさせた。

 江戸は海に面しているから風が強く、風邪をひく者が多いのだとお匙が言っていた。


「お熱は下がりましたな」


 額に手を当てて香が言う。「しかし、無理はなりませぬぞ。明日もお休みになってくださいまし」

「もう平気よ」

「いけませぬ。治りかけに無理をするとかえって長引くというもの。なにごとにおいても慣用なのは体力にございます」


 確かにそうかと思い直し、高麗川からもらった書物を読み返そうかと考えていると、「すんまへん。よろしいでしょうか」と声がした。


「菜月さまはどうぞそのまま」


 そう言って、香が対応に向かった。

 御台所の部屋子だ。菜月はそっと耳を澄ませた。


「菜月殿のお加減はいかがですやろか」

「ようやく熱が引いて落ち着いたところにございます」

「この度は琴音さまを助けていただきほんまにおおきに。御台さまも大変感謝し、お礼の席を設けたいと言うてはります。菜月殿のお身体がようなったら改めてご挨拶いたします。こらほんの気持ちどす。どうか受け取っとぉくれやす」


 お礼の席……?

 菜月は困惑した。琴音のことで大騒ぎしていたから、自分のことなど気にしてもいないと思っていたのだ。

 御台さまにとって琴音さまは本当に大切な存在なのね。

 助けることができてよかったと思い返しながらも、御台所の招きに少し尻込みしてしまう自分もいる。

 しかし、それは杞憂だった。


「こ、これを菜月さまにと」


 桐箱を抱えて部屋にもどってきた香は、酷く慌てた様子で畳に置いた。

 なにかしらとのぞき込むと、豪奢な掻取かいどりが目に飛び込んできた。

 別の箱には簪が五本並んでる。


「御台さまから掻取を下賜されるなど、滅多にない誉れにございますぞ。それに簪まで。なんと雅なお品でしょうか」

「こ、こんな高価なものをいただいてしまっていいのかしら?」

「琴音さまをお助けした菜月さまのお心がそうさせたのです」


 掻取の銀糸、金糸の糸がキラキラと光り、絹自体がぼんやりと淡い陽光を放っている。掻取は季節に合った若竹色の地に草花が精密に織り込まれた蒔絵霞文唐織まきえかすみもんからおりだ。

 

「御台さまの掻取なんて家宝として扱うものよ。とても使えないわ」

「御台さまは二日と同じ打掛はお召しにならず、女中に払い下げすると聞いた覚えがござます」

「一度着たら終わり!? こ、こんな高価な掻取を!?」

「はい。御台さまは一日に五度お召し替えをなさると女中たちが申しておりましたゆえ、間違いはないかと」


 それが本当ならとんでもない贅沢だ。


「わたしは犬を助けただけなのに……」

「貞宗さまをお救いになったときにも、上様と高麗川より褒美を賜ったではないですか。それと同じことではないでしょうか。御台さまも琴音さまを我が子のようにかわいがっておられると聞き及んでおります。有り難く、いただきましょう」


 本当に大奥のことをよく知っている。

 香のほうが隠密に適しているのではないかと考えていると、頭がぼんやりしてきた。

 そういえば自分は寝込んでいたのだった。

 それに気づいた香にうながされて布団の横になったが、届けられた品にふわふわと胸が温かくなる。琴音もきっと元気で暮らしているのだ。

 明日になったら御台さまにお礼の文を書きましょう。

 そう考え、再びやってきた睡魔に瞼を閉じた。

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